「アイアンマン・ジャパン北海道」に挑戦<レース編>洞爺湖畔の暗闇で迎えたアイアンマンのラスト1時間 遠のく意識に舞い降りた“エンジェル”

  • 一覧

 気絶するほどに激しい腰痛と戦ってきた歯科医、塩田厚さん(56)=神奈川県茅ヶ崎市=が、腰痛を克服し、「アイアンマン・ジャパン北海道」に挑戦するストーリーを、「Cyclist」では<前編><中編><後編>と3回にわたって連載してきた。今回、8月31日のレースに臨んだ塩田さんからの大会出場レポートをお届けする。

 

レースの1カ月前にまさかの腰痛再発

塩田さんが自転車に寄りかかりながら撮影した場面塩田さんが自転車に寄りかかりながら撮影した場面

 腰痛が再発…しかも15年ぶりの“大物”だ。過去30年の経験から、痛むポイントは3カ所ある。それは、「痛くても動かしていれば治る」部分と、「ここのスイッチが入ると大変!」という部分に分類することができる。今回は、その「大変!」の場所だったのだ。

 背筋の一部が強く緊張して起こる「索状硬結(トリガー)」という症状がある。これが起こると、筋肉がこわばって動かなくなってしまい、無理に動かすと腰どころか足の親指まで痛くなる。日本語での病名は「筋筋膜性疼痛(とうつう)症候群」。なかなか治らないことは良くわかっている。治るには半年かかるだろうということも…。

 アイアンマン出場を目標に掲げ、冬の寒い時も頑張って練習してきたのに…今になってこの痛みはないだろう! 「夢であって」と願ってみても、痛みは変わらなかった。

前日のパーティーにて大盛りのパスタを食べた前日のパーティーにて大盛りのパスタを食べた

 実は「Cyclist」の取材を受けた時がまさに絶不調だった。自転車に寄りかかり、ひきつった笑顔で写真撮影をこなした(上の写真! 前回の連載の前編にも掲載された)。

 アイアンマン・ジャパン北海道行きをキャンセルすることも真剣に考えたが、前回の連載掲載時にCyclist編集長が語った「完走ありきですから」の言葉が心に刺さっている。連載記事に対する「いいね」の数にも押され、大会までの1カ月間は完全休養に努めた。そう、レースで突然、泳いで、こいで、走ることになるのだ。軽い鎮痛剤を毎日飲み続けながら、「腰の状況次第では出場しよう」という楽な気持ちで北の大地へ向かった。

 

洞爺湖を楽しんだスイムののち、激痛の始まり

洞爺湖でのスイム ©FinisherPix.com洞爺湖でのスイム ©FinisherPix.com

 洞爺湖は普段は遊泳禁止のため、大会の試泳も行われない予定だったが、“水があまりにもきれいなせいで泳げないことを防ぐため”という理由で、前日に急きょ、試泳が行なわれることになった。どういうことかと言うと、湖に入ったとたんに、崖下を覗いているみたいに底まで見えるので、体がすくんでしまう人がいる…というのだ。

 私は試泳はパスして本番へ。8月31日午前6時から、レースは順にスタート。スイム4kmはなかなか順調だった。深い深いブルーの洞爺湖では、泳いでいるとすごく先の人の足まで見える。

 当然、水は淡水で、喉が乾いたら泳ぎながら飲んでしまっても問題ない。スイムは笑顔で終了。

 180kmのバイクパートには、朝7時台から突入。上りばかりと思えるほどきついコースで、100kmを過ぎて腰痛も激しさを増してきた。出走前に1回の用量を超える鎮痛剤を飲んだにもかかわらず、効果が感じられないので、途中休憩してさらに鎮痛剤を飲んで走った。

会場に設置されたバイクラック ©FinisherPix.com会場に設置されたバイクラック ©FinisherPix.com

 サドルには片尻を乗せて、片手でDHバー、その反対の手はハンドルというねじれた姿勢でこぎ続けた。「これぞ北海道!」という雄大な絶景ではあったが、霧雨から、さらに激しさを増す雨の中では景色を堪能することができない。そもそも、腰が痛すぎだ。

 痛みでうまく膝が曲げられられないまま、最後の激坂を迎えた。「ダンシングならこげる!」と3kmの間、サドルから立ち上がってペダルを回し続けた。

 

走る、やっぱり歩く、でも走る

 バイクを終えた時点で、タイムリミットまで6時間15分。普通に走ることができれば、時間内の完走は十分に可能な時間だ。

 湖畔のランコースで、20kmまでは歩かずに行こうと思ったが、13kmの折り返しまでに何度か歩いてしまった。コース上にはまだまだたくさんのランナーが走り、エイドステーションではたくさんのバナナとコーラが目に入ってきた。

笑顔で参加者をサポートするスタッフ ©FinisherPix.com笑顔で参加者をサポートするスタッフ ©FinisherPix.com

 2周回目。あと21km、残り3時間。走る、やっぱり歩く、でも走る…。

 途中で話をしたお姉さんの、威勢のいい言葉が耳に響いた。「高っかいエントリーフィー払って、すでに16時間以上も走っているのに、ここでリタイアはありえないです! 私、完走メダルは絶対もらって帰ります。私のあとについてくれば絶対、間に合います」

 力強い言葉についていく。しかし歩く、ちょっと走る、でも歩く、まだ歩く、決心して走る、でも歩く。

 次第に腰の痛みの範囲が広がって、右膝裏から右首まで痛くなってきた。ついに、この日3回目の鎮痛剤を2錠服用した。この日飲み続けていた薬は、歯痛の患者さんに出す鎮痛剤。「1回1錠ですよ。2回目を飲む時は4時間以上あけてくださいね」。――そう言っている医者の不養生とはこのことで、最大でも1日5錠までの薬を6時間ですでに6錠も服用している。飲みすぎた!

 日が暮れて、すっかり少くなったランナーが、100mおきに設置された特設LED照明の光に浮かび上がっては、また闇に消えていく。なにせ、照明と照明の間は真っ暗闇だから、周りは何も見えないのだ。時間を気にするランナーたちの腕時計の照明が、闇の中にぼんやりと浮かんでいる。

 今度はお兄ちゃん、おじいさんと一緒になる。おじいさんは完全に諦めていて、身の上話を始めた。「これを聞いていたらどんどん遅くなる…」そう思って、走った。お兄ちゃんも一緒に走り始めた。

 しばらくすると、さっきのお姉さんの白いカッパが、遠く遠くの照明に浮かんだ。「いた!」。お兄ちゃんは「お先に、追っかけます」と行ってしまった。

 そしてまた、歩いてしまう。少し眠い。

 

もうろうとする意識の中で聞いた“エンジェル”のささやき

 雨足が強くなり、気温が下がってきた。寒い。

1着のMartin Jensenさん(デンマーク)のゴール ©FinisherPix.com1着のMartin Jensenさん(デンマーク)のゴール ©FinisherPix.com

 最初のエイドステーションではあんなにたくさんあったコーラも、温かいスープも、もうなくなっていた。お湯なら残っているらしく、白湯をもらって飲む。「あぁ、美味い」

 手首のポラールには、歩くスピードが“9分/km”と表示されている。このまま歩いたのでは間に合わない…わかっている。すでに周りにはほとんど選手がいない。雨で道路は墨のように黒く、照明の周りだけ異常に明るいため、目がくらんで、ガードレールがない湖の方に歩きそうになる。危ない。

 ついに止まった。

 そして道路の真ん中で天を仰いだ。北海道洞爺湖サミットの会場となった高級リゾート「ザ・ウィンザーホテル洞爺」が、降り続ける雨の向こうにぼんやりと見えた。

 あぁ終わった、ついに終わってしまったんだ…。

手をつないでゴールする参加者 ©FinisherPix.com手をつないでゴールする参加者 ©FinisherPix.com

 仕方ない――腰痛が再発した要因を思い起こす。診療中の無理な体勢が災いしたのだから…。直前の事故だったのだから…。遊びで悪化させたわけじゃないから…。さぁゆっくり歩いて帰りましょう。

 めまいがしてきた。原因は、照明の光だけではなく、鎮痛剤の影響もあるはずだ。歩くとかかとが地面を引きずってしまい、後ろに倒れそう。左右のバランスもあやしい。立木につかまって休み休み歩いた。橋の欄干で突っ伏し、そのまま寝てしまった。1秒か、それ以下か? どのくらい寝ただろう。再びエイドステーションで白湯を飲み、頭に冷水をかけた。

 ふと、あのお姉さんの言葉を思い出した。「私のあとについてくれば絶対、間に合います」

 残り5km、タイムリミットの夜11時までは残り50分。もう一度、前に進む気になった。この先には1km以上続く下りの部分がある。そこから絶対に走ると決めた! 坂が待ち遠しいぜ! 早く来い、坂、SAKA!

『まさか会うことはないと思うけれど…』

 坂が来た。痛みもめまいもない。走った。

 すると坂の下にいたよ、お姉さんに追いついた!

 「お~、追いつきましたね。心配してました。もう大丈夫、あとは歩いても間に合いますよ」

 「ありがとう、あなたのおかげで完走できそうだよ。塩田といいます。よろしく!」

 「エッ、塩田先生ですか?」

 「なぜ名前を知ってるの? (Cyclistの)連載記事を読んだ?」

 「私の親しくしている歯医者さんが、『塩田って奴が出るらしいから、まさか会うことはないと思うけれど、もし会ったらよろしく』って言ってました」

白戸さん(左)とあいさつする塩田さん白戸さん(左)とあいさつする塩田さん

 こんなことがあるのか! 友人が「塩田に声をかけるように」と伝えてくれた、私にとっては見ず知らずの女性のおかげで、私は再び立ち上がり、最後の力を振り絞ってアイアンマンのゴールへと向かっているのだ。

 かくして制限時間内に完走! ゴールした時刻は午後10時56分25秒、タイムは16時間36分25秒で、完走1283人中1210番目という結果だった。白戸太朗さんには「じっくり楽しんできてと言ったけれど、こんなに遅くまで楽しまなくてもいいじゃない」と出迎えを受けた。

 後日、友人の歯科医が私に言った。「(声をかけてくれた)その娘は、塩田を完走させるために俺が送ったエンジェルよ!」

悪魔の誘惑を振り切って

 制限時間17時間のうち、完走のポイントとなるのは最後の10km。そこが80%のウェイトを占めるといって過言ではない。アイアンマンは、1等賞の次は最終ランナーがヒーローと言われる。その最終ランナーが、ゴール前の暗闇の中で何を考え、何をしているかを垣間見た。

 自分の中に、「ヤメテシマエ」とささやく悪魔と、「ヤメルナ」と激励を送り続ける応援団がいる。競技時間が長くなればなるほど、また関門や制限時間が近づけば近づくほど、悪魔と応援団は何度も何度も反芻して現れる。簡単な方は、やめること。その場に座り込んで「僕、やめまーす」と言うことなのだ。

 やめなくてよかった! 面白かったよ、アイアンマン! ありがとう、エンジェル!

(レポート 塩田厚)

 

今回、塩田さんの「アイアンマン・ジャパン北海道」完走レポートを掲載するにあたって、大会事務局より、競技の様子を伝える写真をご提供いただきました。塩田さんの写真も交え、フォトギャラリーとして掲載します。レポートにもあるように、透き通るように澄んだ洞爺湖、羊蹄山やニセコの山々を望む絶景のバイクコースなど、魅力満載のアイアンマン・ジャパン北海道。何より、アイアンマンに挑んだ選手たちの汗と笑顔が、まぶしく輝いていました。

フォトギャラリー

この記事のタグ

トライアスロン

  • 一覧

新着ニュース

もっと見る

ピックアップ

e-BIKE最新特集

スペシャル

自転車協会バナー

ソーシャルランキング

サイクリストTV

インプレッション

インプレッション一覧へ

連載