産経新聞【新・関西笑談】より芸人道と山道、ペダル全開! 安田大サーカス・団長安田さんインタビュー

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 人気お笑いトリオ「安田大サーカス」で、リーダーを務める「団長安田」こと安田裕己さん(39)。甲高い声で話すクロちゃんと巨漢のHIROを従えての活動に加え、最近ではテレビ番組でプレゼントされたロードバイクをきっかけに自転車にのめり込み、実業団チームに所属するレベルになった。「目指すのはバスの中でも、立ち寄った飲食店でも、周囲にいる人を笑わせることができる芸人」という団長。自転車と芸人の両立を貫く流儀を聞いた。 (聞き手 吉原知也)

 

2年ぶりにトリオで新ネタ 芸人になっていまが一番楽しい

サイクルジャージを身に着け、自転車に乗るポーズを決める団長安田さん (竹川禎一郎撮影)サイクルジャージを身に着け、自転車に乗るポーズを決める団長安田さん (竹川禎一郎撮影)

 ――クロちゃんとHIRO。安田大サーカスのメンバーは個性的ですね

 団長 クロちゃんはもともとアイドル志望だったんです。HIROは他人としゃべることが苦手なことを克服したくて芸人を目指していました。

 ――結成のきっかけはどのようなものだったのでしょうか

 団長 結成のきっかけは、マネジャーから、「ユニットを組まないか」と言われたことでした。
 方向性がばらばらで、笑いのセンスがあるとはいえない3人がどうすれば芸能界で生きていけるかが課題でした。ネタを考えたり、2人に演出の指導をするのは僕の役割。2人には「仲良くなることを努力して」と伝えて、トリオをまとめてきました。

 ――しばらく個別の活動が中心でしたが、久々に安田大サーカスとして新ネタを披露するようになりました

 団長 新ネタは2年ぶりです。今年に入ってから、「新宿角座」(東京都新宿区)に月1回、出演しています。一番好きなのはやっぱり舞台。またやりたいなと思ったんです。
 思っていた以上に3人でネタができているという感触があります。7月に大阪に「DAIHATSU MOVE 道頓堀角座」がオープンしたので、どんどん出ていきたいです。

安田大サーカスのメンバー。右からクロちゃん、団長安田、HIRO安田大サーカスのメンバー。右からクロちゃん、団長安田、HIRO

 ――あらためて安田大サーカスをどう感じますか

 団長 月2回ぐらいしか会わないときもありますが、最近は2人を見ていると、改めてクロちゃんは変な声だなあと思うし、HIROはでかいなあと思う。そういった意味で新鮮です。

 ――兵庫県西宮市生まれの関西育ち。幼少期から他人を笑わせるのは好きだったのですか

 団長 西宮市内の小中学校に通っていました。昔から友達の前でギャグをしたり、ものまねをするのが得意でした。小学生のころから、なんば花月とうめだ花月によく行っていました。当時はダウンタウンさんにあこがれていました。

 ――やはり、夢はお笑い芸人だったのでしょうか

 団長 サッカー選手になりたかったんです。小学1年からサッカースクールに通い始めて、高校は鳥取城北高校(鳥取市)のサッカー部に入りました。

 ――高校卒業後はどのような進路に

 団長 西宮の実家に戻ってきたのですが、就職もせずにこれからどうしようかと迷っていました。スキー場のスタッフや建築作業員をやりました。JR東西線の海老江駅の建設工事にも加わって、地面を掘る仕事をしました。
 どんな職場でも下っ端だったので、とにかく重い荷物ばかり運んでいた。力仕事ばかりでした。

 ――平成7年の阪神大震災では、自宅で被災しました

 団長 西宮の実家で寝ているときに被災しましたが、家族は無事でした。大きな揺れが起きて、体が飛ぶような感覚を覚えて、ガラスが割れる音を聞いた。目を覚ましたら、目の前にスキーブーツが見えた。目と鼻の先でブーツが壁に刺さっていたんです。 

 

震災で親友を失い一念発起 「のたれ死んでもお笑いをやる」

阪神大震災では家族で被災したうえ、親友を失った (竹川禎一郎撮影)阪神大震災では家族で被災したうえ、親友を失った (竹川禎一郎撮影)

 ――九死に一生を得ました

 団長 揺れのあと、母親が起こしにきたのですが、母親に片付けなさいと怒られるのかと思ってしまい、とっさに寝たふりをしたんです。母親に「こんな時に寝てるやつがおるか」と怒鳴られてしまいました。結局、怒られました。

 ――つらい経験もしました

 団長 当時20歳だった親友を亡くしました。
 小中学校の同級生で、高校卒業後もよく食事をしていました。震災の日、彼はビルの中にある祖母の家にいました。ビルの倒壊現場に友人たちが集まって、十数人で順番で野宿をしながら「がんばれよ」と呼びかけ続けました。

 ――それでも、数日後に遺体で発見されました

 団長 当初は「おーい」と呼びかけると、言葉にならないような声が聞こえてきた気がしました。心の中では、ダメかもしれないという思いと、それでも声が聞こえてくれという思いがありました。

 ――親友の死をきっかけに、芸人を目指すようになった

 団長 彼はずっと、「お笑いをやったらええねん」と言ってくれていた。彼が亡くなって、「人はいつ死ぬか分からない。好きなことをやらないといけない」と思うようになった。当時、高校卒業後に仕事を転々としていた時期。死ぬときより苦しいときはない。芸能界は苦しいこともいっぱいあるだろうけど、がんばれると思った。お笑いをやると決めました。

 ――覚悟を決めたということでしょうか

 団長 腹をくくりました。両親は反対しましたが、「のたれ死にになってでもやる」と説得しました。親友にはパワーをもらったと思っています。

震災翌年、「のたれ死にになってでもお笑いをやる」、松竹芸能の養成所の門を叩いた (竹川禎一郎撮影)震災翌年、「のたれ死にになってでもお笑いをやる」、松竹芸能の養成所の門を叩いた (竹川禎一郎撮影)

 ――震災翌年に松竹芸能の養成所に入りました。平成13年に安田大サーカスを結成し、ネタ作りに取り組みました

 団長 3人でやってみたらライブで調子がよかったんです。当時は週2回、ネタ見せに通いました。朝にダメ出しをされて、修正して、またネタをやってといった具合で、1日3回ぐらい行きました。

 

ロードバイク初体験は「ママチャリに代えてほしい」

 ――平成17年のテレビ番組のプレゼントが、自転車との出合いでした

 団長 最初は、ロードバイクをもらったのはいいんですが、サドルは小さいし、タイヤも細い。乗り方が分からなかったので、自転車屋に行き、ママチャリに代えてほしいとお願いしたんです。乗り方の説明を受けて乗ってみたら、乗り心地のよさにはまった。「明日からこれしか乗りたくない」と思いました。

 ――自転車関連のテレビや雑誌の仕事が増えました

 団長 自転車競技のレースにも選手として参加して、ヒルクライムにも出場しています。

「2013サイクリング屋久島」に参加 =2013年2月(松竹芸能提供)「2013サイクリング屋久島」に参加 =2013年2月(松竹芸能提供)

 ――純粋にアスリートとして参加しているのでしょうか

 団長 スタート前やゴール後にトークをすることは多いですよ。ビンゴゲームの司会もやったりします。ほかに、子供たちに自転車の乗り方や交通ルールを教えるイベントにも呼ばれます。

 ――現在、自転車は何台持っているのですか

 団長 13台ぐらいです。レースでメーンに使用しているのは、キャノンデール(米国メーカー)と、キクロス(伊メーカー)のロードバイク。坂道を上るときの推進力と柔軟性がずば抜けている。まさに、競技用自転車のF1。値段は100万円を超えます。

「お台場サイクルフェスティバル」でステージを盛り上げる安田さん。自転車関連の仕事も増えている「お台場サイクルフェスティバル」でステージを盛り上げる安田さん。自転車関連の仕事も増えている
「お台場サイクルフェスティバル2013」では、ガールズケイリンの選手と三輪車での勝負に挑んだ「お台場サイクルフェスティバル2013」では、ガールズケイリンの選手と三輪車での勝負に挑んだ

 ――結婚も自転車を通じてのプロポーズでした

 団長 平成21年9月にタレントの岩田さち(30)と入籍しました。もともと自転車を通じてプロポーズができないかと考えていて、テレビ局のスタッフと相談して、番組を収録することになりました。
 8月に大阪市内で指輪を買って自転車で出発し、東京タワーの下で指輪を手渡してプロポーズをしました。

 ――相当苦しい道のりだったのでは

 団長 6時間遅れの到着で45時間かかりました。睡眠時間は長くて1時間。首が回らなくなり、ひざも痛くなってダメだと思った。それでも、やる以上はリタイアしたら示しがつかない。失敗したら結婚しないという思いでした。

 ――プロポーズの言葉は

 団長 ゴールして嫁の顔を見たけれど、何も言葉が出てこなかった。走っている途中に考えようと思っていたのですが、それどころではなくなった。すかさず、Uターンしようかと思いました。
 それで、指輪を差し出して、「これいる? 結婚せなあかんで」と。嫁は「いる」と答えてくれました。

 

自転車に乗って東京から愛知まで 家族4人で帰省するのが夢

 ――家族には自転車を勧めているのですか

 団長 長女(3)と次女(1)はまだ小さいので、大きくなったら家族で自転車に乗りたい。2、3日かけて、東京から嫁の実家がある愛知県豊川市に家族4人で帰省するという夢があります。

ブラウ・ブリッツェンの入団発表で、チームジャージを着て廣瀬佳正ブラウ監督と握手する団長安田さん (2012年11月)ブラウ・ブリッツェンの入団発表で、チームジャージを着て廣瀬佳正ブラウ監督と握手する団長安田さん (2012年11月)

 ――昨年9月に、実業団の自転車ロードレースチーム「ブラウ・ブリッツェン」(栃木県宇都宮市)に入団しました

 団長 テレビ番組の企画を通じて、テストに合格しました。スケジュールが合わなかったり、けがをしてしまったので、なかなか練習に参加できていないのが実情ではあります。
 今年の春に番組ロケで背中を痛めてしまった。一時は自宅の階段を上るのも困難で、体重は8kgも増えた。練習を再開して3、4kgは痩せましたが、レースに出場しながら練習量を少しずつ増やしています。

 ――レースの魅力は

 団長 山間地を上るヒルクライムは、汗だくで自然の中を駆け抜けることで、風を感じることができる。これは自転車ならではの感覚です。それに、上りはスピードが出ないので危険も少ないので、初心者におすすめです。
 レースは99位の選手も100位の選手も勝負しあっている。1着じゃなくても面白いです。

インタビューに答える団長安田さん (竹川禎一郎撮影)インタビューに答える団長安田さん (竹川禎一郎撮影)

 ――自転車人気にともなってマナーの問題も出ています

 団長 自転車が車道を走ることは認識されていますが、左側通行はあまり意識されていない。スポーツバイクは30kmぐらいのスピードが出る。車も60kmで走る。これがすれ違うわけで、自転車の逆走ほど危ないことはないです。

 ――お笑いと自転車にどう向き合っていきますか

 団長 自転車は趣味の延長であり、楽しく長くできること。一生やっていきたい。お笑いは、単純にみんなから面白いと言われる芸人になりたい。一人でも多くの人に面白いと言われるように努力することの積み重ねで、番組の司会や全国ネットのテレビに出られるようになればいいと思っています。

だんちょう・やすだ(本名=やすだ・ひろみ)
昭和49年、兵庫県生まれ。平成13年に結成されたお笑いトリオ「安田大サーカス」(松竹芸能所属)でリーダーを務め、テレビや漫才の舞台で活躍する。17年から競技用自転車ロードバイクに乗り始め、多くの自転車関連のテレビ番組に出演するほか、山や丘陵を登る「ヒルクライム」などのレースにも精力的に出場している。

産経新聞夕刊【新・関西笑談】より)
 

「Cyclist」のサイトも読んでもらいました! (竹川禎一郎撮影)「Cyclist」のサイトも読んでもらいました! (竹川禎一郎撮影)

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