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つれづれイタリア~ノ<9>イタリア自転車文化の黎明期と、歴史と共に誕生する自転車レースの名前の秘密

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 季節は秋へと向かい、イタリアでもたくさんの自転車レースが行なわれるシーズンとなりました。今回は、自転車、そしてレースの名前の歴史について触れたいと思います。レース名をその時代背景から読み解くと、意外に面白いことが見えてきますよ。

 

自転車の普及とレースの誕生

クラシックデザインが美しい伊ハンドメイドメーカー「Montante」の自転車クラシックデザインが美しい伊ハンドメイドメーカー「Montante」の自転車

 20世紀初頭、ヨーロッパの道路は古代ローマ人が築いた街道の上に作られて、たいていが荒れ果てていました。イタリア全土では鉄道ネットワークが発達し、ようやく自由な行き来ができるようになったものの、自転車は、アスファルトはまだ開発されておらず砂利だけという道においても、鉄道と馬車を凌ぐ19世紀後半の画期的な交通手段でした。

 サドルは木製で固く、現在の自転車よりも非常に重くて私たちからしてみれば“不便な乗り物”でした。それでも近距離なら歩くより速く移動できるとあって、爆発的な人気を博したのです。

 ある資料によれば、1902年の自転車の値段は290イタリアリーラ。当時の一般的な会社員の月給が60リーラでしたので、給料5カ月分ほどの、それはそれは高級な品でした。

 1922年のファシスト政権発足時には、イタリア全国に登録されていた自転車の数は110万台と言われています。クルマ4万台、オートバイ3万6000台、トラック2万台という時代ですから、自転車は市民の足として圧倒的に支持されていたことがわかります。

 こうした自転車の普及、また自転車の性能とタイヤの耐久性をアピールしたいメーカーの思惑もあって、多くの自転車レースが誕生しました。

1989年のジロ・デ・イタリアで自転車を持つスタッフ1989年のジロ・デ・イタリアで自転車を持つスタッフ

 

「ミラノ~サンレモ」登場 伝統的なレースの名前

 イタリア初の公式レースは、1870年2月2日に世界遺産フィレンツェから隣町のピストーイアまでの33kmで開催された「Firenze-Pistoia」。19世紀末までのレースの基本的な名前は、このレースのように出発地点とゴールの街の名前をくっつけた、わかりやすいものでした。

街中飾り付けて選手を迎える文化がある(ジロ・デ・イタリア2006)街中飾り付けて選手を迎える文化がある(ジロ・デ・イタリア2006)

 Firenze-Pistoiaの参加者は19人。レースとして距離は非常に短いものですが、舗装されていない道に厳しいアップダウン、さらにギアが変速できない木製の自転車で走り切る33kmは、決して快適ではなかったはずです。

 1876年には「Milano-Torino」(ミラノ~トリーノ)が登場しました。レースの距離はぐんと伸びて全長150kmでした。参加人数はわずか8人でゴールしたのはその半分…たったの4人! 木製の自転車を使っていたので平均時速は13.30km、参加者の半数は途中リタイアし行方知れず…とても過酷なレースだったに違いありません。

 1896年には、お隣のフランスで「パリ~ルーベ」と「パリ~ツール」が登場しています。そしてこの時代から「レース=過酷な物」となり、そのハードな環境と長距離を走る競技者は、スーパーヒーローとなりました。

大雪に見舞われ、コースが短縮となったミラノ~サンレモ 2013大雪に見舞われ、コースが短縮となったミラノ~サンレモ 2013

 自転車の性能が良くなるにつれて走行距離はさらに長くなり、ついに200kmを超え始めました。1905年に始まった「Milano-Sanremo」(ミラノ~サンレモ)は280kmを超えるレースで、ゴールまはで12時間以上かかったそうです。

 ちなみに今年開催されたミラノ~サンレモは、298kmのレースが吹雪で一時中断され、途中選手たちがチームバスで移動したというのは記憶に新しいところです。この時のコースは結局、総距離246kmでした。

 

イタリアに数ある“ジロ”レース

 20世紀に入ってから「ジロ」という言葉が登場し始めました。「ジロ」はイタリア語で「周遊コース」を意味します。

秋めくイタリアで毎年開催されるジロ・ディ・ロンバルディアの歴史は古い秋めくイタリアで毎年開催されるジロ・ディ・ロンバルディアの歴史は古い

 1907年に「ジロ・ディ・ロンバルディア」が登場。周遊コースらしく、1960年まではスタートとゴールはミラノに設定されていました。現在では、スタートとゴールで異なる場合が多くなっています。

 日本でも親しまれている「ジロ・デ・イタリア」は、1909年にイタリアを一周するレースとして始まりました(なお、正しい発音は「ジロ・ディタリア」)。スタートとゴールはミラノ、全8ステージで総距離2448km。優勝者には、当時“億万長者”になれる夢のような金額、5250リーラが賞金に設定されていました。

主な“ジロ”の開始年

 1905年 Giro di Lombardia
1906年 Giro del Piemonte (現、グラン~ピエモンテ)
1909年 Giro del Veneto
1909年 Giro d’Italia
1923年 Giro della Toscana
1933年 Giro del Lazio (現、ローマ~マクシマ)
1962年 Giro del Trentino

戦後のレースは“希望の光”

戦後は自転車レースが“希望の光”となった戦後は自転車レースが“希望の光”となった

 イタリアが戦争に負けた1945年、中断されていた自転車競技が再びスタートしました。飢えと貧困に苦しんでいた国民に、希望の光をもたらすような存在でした。また、戦争の苦い経験により、過去の政治家やレーサーにちなんだ名称のレースも誕生しています。

 敗戦の年には「Trofeo Giacomo Matteotti」、ファシストに暗殺された首相の名前です。また翌年には戦争で亡くなったレーサーの名を冠した「Coppa Ugo Agostoni」というレースが登場しました。少し戦争から離れた1984年には「Settimana Coppi-Bartali」と2人の伝説的なレーサーが名前に採用されています。

 90年代に入ってからは、スポンサーの名が付くレースが増え始めました。この時代はイタリアの“自転車黄金時代”で、企業にとって自転車レースは最高の広告手段のひとつでした。

 92年の「Trofeo Melinda」はメリンダというリンゴ生産者が主催、96年「Giro delle Pesche nettarine」はロマーニャ地方の特産、ネクタリン生産者が主催したレースです。97年には「Gran Premio Nobili Rubinetterie」という蛇口メーカー主催のレースもあります。

車窓から眺めるイタリアの風景とジロ・デ・イタリアのスポンサー、フェレーロ社「Estathe'」車窓から眺めるイタリアの風景とジロ・デ・イタリアのスポンサー、フェレーロ社「Estathe'」
ジロ・デ・イタリアのマリアロッサ(スプリント賞)のスポンサー、NTV高速列車の待合室ジロ・デ・イタリアのマリアロッサ(スプリント賞)のスポンサー、NTV高速列車の待合室

 現在、経済危機に苦しんでいるイタリアですが、多くのレースは“がんばって生きながらえて”います。その原動力は、スポンサーをはじめとした主催側の努力と、我々愛好家の協力です。イタリアを訪れたらぜひ、自転車レースのスポンサーの商品を買ってください。レースを支える人は我々、自転車を愛するファンたちです。

マルコ・ファヴァロMarco FAVARO(マルコ・ファヴァロ)
イタリア語講師。イタリア外務省のサポートの下、イタリアの言語や文化を世界に普及するダンテ・アリギエーリ協会で、自転車にまつわるイタリア語講座「In Bici」(インビーチ)を担当する。サイクルジャージブランド「カペルミュール」のモデルや、Jスポーツへ「ジロ・デ・イタリア」の情報提供なども行なう。東京都在住。ブログ「チクリスタ・イン・ジャッポーネ

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