「アイアンマン・ジャパン北海道」に挑戦<中編>スイムの恐怖に打ち勝ってオリンピック・ディスタンス完走 続いて日本横断、韓国縦断の自転車旅へ

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 壮絶な腰痛と闘う中でトライアスリートへの道を歩み始めた神奈川県茅ヶ崎市の歯科医、塩田厚さん(56)。25mプールでスイムデビューを遂げたのち、いよいよトライアスロン大会に参戦したが、最初のスイムでリタイアしてしまう羽目に。次の大会で何とか完走を果たすと、こんどは自転車で日本横断、そして韓国縦断の旅に出た――。腰痛熟年男の「アイアンマン・ジャパン北海道」への軌跡を追ったこの連載、ドラマはまだまだ尽きない。(柄沢亜希)

 

おぼれてリタイア…涙をのんだデビュー戦

初めてのトライアスロンを完走した後に購入したKUOTA。「SHIOTA(しおた)と似ているからいいなと思って」=神奈川県茅ヶ崎市初めてのトライアスロンを完走した後に購入したKUOTA。「SHIOTA(しおた)と似ているからいいなと思って」=神奈川県茅ヶ崎市

 プールで泳ぎ方を身につけた後、「さらに泳げるようになるために」と設定した目標がトライアスロンだった。

 最初に参戦を決めたのが「東京都トライアスロン渡良瀬大会」。スイム0.75km、バイク20km、ラン5kmの計25.75kmのスプリント・ディスタンスで争われ、遊水池でのスイムが特徴だ。

 距離が短く、淡水でチャレンジできるとあって参加したものの、本番では初めてプール以外の場所で泳ぐことになり、「足がつかない」という恐怖感に襲われた。結局、スイムでリタイア。おぼれてしまったのだ。

 「なぜ泳げなかったのか…」。ウエットスーツから洋服に着替え、家路へ向かう前に、敗因を見極めようともう一度会場へ足を運んだ。

 そこで目にした光景にショックを受けた。遊水池では、まだ女性が1人、浮いたり沈んだりしながら泳ぎ続けていたのだ。「自分が簡単にあきらめてしまったその場所で、まだ戦っている人がいたのです」。塩田さんは今にも身震いしそうな様子で振り返った。

 大会を終えてからというもの、どうすれば怖がらずに泳げるのか、塩田さんには分からなくなっていた。

 

スイムはみんな怖かった

 そんな時、塩田さんが営む歯科医院に、偶然にもプロトライアスリートの堀陽子さんが検診に訪れた。堀さんは、総距離約226kmのアイアンマン・ディスタンスで世界を舞台に戦ってきた強豪選手だ。ニュージーランドを拠点に活動し、この時はたまたま地元の茅ヶ崎へ帰郷していた。

 「泳げない」と悩みを打ち明けると、なんと堀さんから翌日に開くメンタルトレーニングの講習会に誘われた。

 講習会に参加すると、「周りには『どこまで自分を追い込むべきか』というように“高度な質問”をするアスリートが集まっていて、萎縮する思いでした」。このとき塩田さんは、ただただ恐怖心を抱かずに泳げる術を知りたいだけだった。

 恐る恐る質問を投げかけた塩田さんに、堀さんはこう答えた。「私だって怖い。プロである私たちでも、スイムが終わるとレースを半分終えた気持ちになるんです」。その言葉を聞いて、重圧に押しつぶされていた心が軽くなっていくのを感じた。

愛車には「堀陽子」とサインが入っていた愛車には「堀陽子」とサインが入っていた
トップチューブには堀さんに書いてもらったとっておきのコメント「負けるな!」トップチューブには堀さんに書いてもらったとっておきのコメント「負けるな!」

 さらに講習会の会場では、塩田さんと同じ茅ヶ崎市に住むベテランのトライアスリートを紹介された。「全日本トライアスロン宮古島大会」に27回連続出場を遂げているその男性は、60代の部で優勝した経験もあるという大先輩だ。

 

次の目標は「完走後、豪快に飲み食い」

 男性の勢いに押されるように、塩田さんも宮古島大会にエントリーしてみたが、人気大会とあって抽選もれの憂き目に。それでは、とエントリーしたのが2009年の「村上・笹川流れ国際トライアスロン大会」(新潟県村上市)だった。スイム1.5km、バイク40km、ラン10kmの総距離51.5kmのオリンピック・ディスタンスで争われる大会だ。

 結果は、みごと完走。ゴール会場には、参加者たちの労をねぎらおうと、ありったけのごちそうがビールなどの飲み物とともに用意されていた。

 初めてトライアスロンを完走したばかりの塩田さんは、何かを口に入れるどころか、話すのもままならないほど疲れ切っていた。しかしそんな塩田さんを横目に、他の参加者たちは、仲間や家族と盛り上がりながら豪快に飲み食いを楽しんでいた。

 「愕然としました。私は限界を感じているのに、皆は平気なのか、と。次の目標は、完走後にごちそうを平らげることだと心に誓いました」

長女の菜々さんと一緒にバイクトレーニング。この日は湘南海岸を約60kmを走った(2013年5月)長女の菜々さんと一緒にバイクトレーニング。この日は湘南海岸を約60kmを走った(2013年5月)

 ただし、この大会で応援にかけつけた長女の菜々さん(27)には、懸命に走り切った父の姿がキラキラと輝いて見えた。そんな“カッコイイお父さん”の背中を追って、ロードバイクに乗り始め、さらにはトライアスロンを目指そうとしている菜々さん。そう遠くない未来にデビューを果たすのだという。

 

韓国縦走、ツーリングも情熱的に

 腰痛と戦う中でスポーツへの挑戦に目覚めた塩田さん。しかし関心の矛先は競走だけではなかった。2009年にロードバイクで東海道を走破。その後、9月の連休を利用して日本横断にもチャレンジした。

 「自転車旅は、御朱印を集めながら走ってみたりとマイペースなところが魅力。自転車仲間の中には『そんなにゆっくり?』と言う人もいたけれど、それには異論を唱えたい」

 2010年5月には、韓国のソウルから釜山(プサン)まで600km、5泊6日の旅に出ようと考えた。誰もやらないことを成し遂げたかったからだ。

 とはいえ、韓国に知り合いがいる訳ではなく、朝鮮語も話せない。地図に定規をあてて、何となく目指す街を決めてルートを組んでみたものの、それが適切なルートなのかどうかさえわからない。まずは、韓国をよく知る人にルートを見てもらいたかった。

 そこで塩田さんが目指したのは、東京のコリアンタウン、新大久保だった。食事を注文したあとで、店の韓国人におずおずと話を切り出すと、大感激された。電車の乗り方の手ほどきから始まり、現地で知人の迎えを用意する手はずまで整えてくれた。

昨年は韓国を自転車で縦走。最後に釜山まで案内してくれたサイクリストと記念撮影昨年は韓国を自転車で縦走。最後に釜山まで案内してくれたサイクリストと記念撮影

 韓国では、塩田さんを悩ませたことが3つあった。ひとつは、地名が判読できないこと。例えばデジョンは、日本の地図では「太田」だが、韓国ではハングルか、英語の「Daejeon」。自分が本当に行きたい方向へ進んでいるのかどうか、始終不安だったという。

 次の悩みは、韓国の道路の悪さだ。「舗装路の路面のギャップがすごい。ひどいところだと、マンホールが路面から30cmも凹凸しているし、路肩を走っていたらそのまま小川へとゆるやかに入っていってしまうような不思議な道もありました(笑)」

 そもそも道路の設計が自転車ツーリングを楽しめる構造でない点も問題だった。村々をつなぐ幹線道路は、日本の高速道路のように防音パネルに覆われ、クルマしか走っていない。このため、いつも危険にさらされているような感じがするのだ。路肩には割れガラスから冷蔵庫までゴミがいっぱいで、パンクもよくしたという。

 ただし、オロオロしていると手を差し伸べてくれるのが韓国人のいいところだ。パンクに見舞われると、通りかかった人が修理を手伝ってくれた。お腹を空かせると、飲食店の場所を教えてくれる人が現れた。また何より、初めての土地をけがをせずに走り切った経験が、塩田さんには大きな収穫となった。

後編へつづく>

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