「アイアンマン・ジャパン北海道」に挑戦<前編>腰痛で気を失ったミュージシャン歯科医 歩いて、走って…そしてトライアスロンの道へ

  • 一覧

 「スイム・バイク・ラン」の3種目に挑む過酷な競技でありながら、年々、人気が高まっているトライアスロン。8月31日には、洞爺湖で「アイアンマン・ジャパン北海道」(スイム3.8km:バイク180.2km:ラン42.2km)が初開催される。2012年に海外のアイアンマン大会を完走した経験を持つ神奈川県茅ヶ崎市の歯科医、塩田厚さん(56)も、アイアンマン・ジャパン北海道を目指すひとり。そんな塩田さんがトライアスロンを始めたきっかけは、気を失うほどの激しい腰痛だった。これは、腰痛と戦いながら鉄人レースに挑む、1人の熟年男の物語である。(柄沢亜希)

 

失神に至った腰痛 治すには「歩け!」

40代までまったく運動してこなかった、筋金入りのミュージシャン。自宅の壁にはCDがずらりと並ぶ=神奈川県茅ヶ崎市40代までまったく運動してこなかった、筋金入りのミュージシャン。自宅の壁にはCDがずらりと並ぶ=神奈川県茅ヶ崎市

 歯科医師の塩田さんは、診療の最中に無理な姿勢を長時間とることがある。腰痛は職業病のようなものなのだろう。同業で腰を痛めている人も少なくないという。だが2000年頃、塩田さんの腰痛は、仕事どころではなく日常生活を送れないレベルにまで悪化していた。

 伸ばせないを腰をかばいながら、いつもうつむき気味の姿勢で行動し、クルマの乗り降りもひと苦労――「あまりの痛さに失神したことが3回あります」と話す塩田さんは、あらゆる治療を試みた。はり灸、マッサージ、整体はもちろん、除霊、遠隔治療、十字式健康法…良いと言われるものは次々に実践したという。

 ある時は、筋骨隆々な男性たちが顔と背中をさするという治療を行なった。帰宅して背中がヒリヒリするのを感じて家族に確認してもらうと、背骨の形に皮がむけ、赤くなっていたということもあった。

 残された方法は、癒着している背骨を離す手術だけだと言われ、大学病院に予約を入れる話を進めた。そんな中、手術が成功するかわからない不安に駆られ、すがる思いで知人の整形外科医の病院を訪ねてみた。

 診察室で腰痛の日々を語り続ける塩田さんに、知人の医師は「歩け」と一言。そして、「おまえ神経症だよ。ずっと同じことを繰り返し話してることに気づいてる?」と続けた。

 塩田さんは、歩くことも試し続けたが改善しなかったと訴えようとすると「気分転換の散歩ではダメ。きょうから死ぬ気で歩け!」と一喝された。「1年間続けたら治りますか」とこわごわ問う塩田さんに、「絶対に治る」という言葉が響いた。

 

ウォーキングからラン、そしてNYシティマラソン完走

 それから1カ月、毎日欠かさず自宅から500m離れた茅ヶ崎海岸を目指して歩いた。電柱にしがみつきながら進んでいた塩田さんの目に、やっと海が見えた時は「ついに来た」と喜びがこみあげた。

愛車を持つ塩田さん=神奈川県茅ヶ崎市愛車を持つ塩田さん=神奈川県茅ヶ崎市

 海岸には、エネルギーに満ちた新しい世界が広がっていた。塩田さんよりも明らかに年齢が年上の人や、リハビリ目的のような人が、海沿いの道を行き交っていたのだ。半年後には1~2kmを歩けるようになり、塩田さんもランニングを始めてみることにした。走りだしてすぐ、いつも遭遇するランナーから、最初の目標として5kmのマラソン大会への出場を勧められた。

 参加してみると、30分で完走――「なんだできるじゃない」。出場を勧めてくれたランナーに報告をすると、今度はニューヨークシティマラソンを紹介された。

 そのランナーは、ジャズバンドでウッドベースを奏でる塩田さんにピッタリだと勧めてくれたのだった。

本来の趣味はベースマン(2012年11月、渋谷音楽祭)本来の趣味はベースマン(2012年11月、渋谷音楽祭)

 塩田さんのミュージシャン歴は高校からと長い。ジャズの本場ニューヨークのライブハウスでセッションをすることは、長い間描いてきた夢でもあった。さっそく2005年の参戦を目指して走りこんでいった。

 10km、ハーフ、そしてフルマラソン2回…国内での大会で経験を重ねること数年、ニューヨークシティマラソンでは6時間台で完走した。そしてもちろん、初対面のミュージシャン同士が行なうセッションでの演奏も満喫。帰国後しばらくは“燃え尽き症候群”に陥ったほどだった。

 

25m泳いだ! プールが拍手に包まれた

 当時、GIOSのシクロクロスバイクで通勤することで、自転車には親しんでいた。でも、まだトライアスロンには出会っていない。スイムを始めたきっかけは、翌年に参加した東京マラソンで足の甲を痛めたことだった。

通勤用のGIOS(右)と、レース用のKUOTA通勤用のGIOS(右)と、レース用のKUOTA

 「この歳まで運動はまったくしてこなかったのに、いきなりヤケクソみたいに走ったのがよくなかったんです。東京のど真ん中で、ふだん走れないような場所をたくさん通過する大会とあって、はしゃいでしまって(笑)。翌日にはものすごく腫れて、歩くのもままならない具合でした」

 この負傷のせいで、筋トレにかよっていたジムでもできる運動が限られてしまった。どうしようかと思案していると、スタッフから「こんな時は泳ぐのが一番です」と強く勧められた。

多趣味な塩田さんが、アイアンマングラスに挽いたばかりのエスプレッソコーヒーを注ぐ多趣味な塩田さんが、アイアンマングラスに挽いたばかりのエスプレッソコーヒーを注ぐ

 実は「1mも泳げなかった」と振り返る塩田さん。体験教室で蹴伸びをしても、なぜか裏返ってしまうような“スイム音痴”だった。だから泳ぎ続けるつもりはなかったのだが、噂を聞いたジムのスタッフの「大丈夫です。1年後に1000m泳げるようにしてみせます!」という熱意に押し切らる形で、週1回の特訓が始まった。

 笑い話がある。顔が濡れることに慣れていなかった塩田さんは、プールサイドにタオルを常備。水から顔を上げるたびに、「ちょっと待って」と顔を拭いてから会話をしたのだそうだ。

 「当時はちゃんと拭いてからでないと話しだせなかった」と塩田さんは笑う。「40代のこの頃まで運動はまったくして来なかった。高校のマラソン大会なんで、最終周回までうどん屋でサボっていたくらいですから」

 苦しみながらも25mを完泳できたのは、特訓開始から2~3カ月後。25mを立たずに泳ぎきり、死にそうになりながらも感動にひたっていると、プールでは拍手が起こっていた。腰は、順調だ。

中編へつづく>


この記事のコメント

利用規約順守の上ご投稿ください。

関連記事

この記事のタグ

トライアスロン

  • 一覧

新着ニュース

もっと見る

ピックアップ

e-BIKE最新特集

スペシャル

自転車協会バナー

ソーシャルランキング

インプレッション

インプレッション一覧へ

連載