山口和幸の「ツールに乾杯! 2013」<5>忘れもしない1989年の革命記念日 地下鉄の鉄格子から聞いた喧噪

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 ボクのツール・ド・フランス初取材は忘れもしない1989年7月14日だ。毎年のこの日はフランス革命記念日として知られているが、1789年のフランス革命からちょうど200年という特別の1日だった。

 この日パリのシャンゼリゼ通りでは盛大な記念式典が行われていて、地上には出られなかったが封鎖された地下鉄の鉄格子からその喧噪を聞いた。そこからツール・ド・フランスのゴールとなるマルセイユへ。フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」ゆかりの地でツール・ド・フランスを目撃できたというのも運命だ。

 当時の取材態勢はどうだったというと、現在とは隔世の感がある。写真はフィルムで撮影していたが、新聞社などは暗室の設備を持ち込んで現像していた。電話ボックスを何台も設置したカミオン(トラック)があって、記者は電話口で原稿をしゃべって送った。サルドプレスにはタイプライターの音も聞こえた。

 日本の自転車専門誌の場合は1カ月後の発売に間に合わせればいいので、撮影済みフィルムを日本に持ち帰り、現像後に写真をセレクト。レイアウトを出しながら取材メモを頼りに原稿を執筆したのだ。

 独立後の1997年に新聞記者としてツール・ド・フランスを追うようになったとき、インフラはかなり進化していた。インターネットが普及し始めた直後で、原稿はEメールで送ることに。フランステレコムの電話ブースでモジュラージャックを使って送信。最終日に電話料金を精算した。

 当時、フランスには「ミニテル」という独自の端末システムがあった。これはインターネットに淘汰されてしまうのだが、有料でレストランを予約したりさまざまな情報を引き出すことができるものだった。サルドプレスではこれが無料で利用でき、レース途中でようやくゴールにたどり着いたのち、ミニテルを使ってレース展開をチェックした。

 当時から勝利者インタビューは遠隔操作だった。ゴール地点に選手がいて、音声とカメラの映像がサルドプレスにつながっていて、質問と回答がやり取りできるようになっていた。ただしフランス語だけで、たまにスペイン選手が登場したときはフランス語の通訳がついた。英語はまったく通じなかった。

 大会側の情報提供は毎年飛躍的に進化を遂げていく。現在では日本に居ながらにして国際映像を見ながらインターネットで展開をチェックする。選手インタビューも公式サイトで見ることができる。さらには主催者提供画像も無料配信されるようになると、現地に足を向ける記者やカメラマンの優位性はなくなりつつある。

 だったら現地にいるメリットを生かした報道を心がけるようにしようと思ったのは、ツール・ド・フランスをひととおり見たなと感じた5年前だ。もっと人間に近いところ、フランスの文化や観光にふれながら、それらのエッセンスを盛り込みながらこのレースの魅力をお伝えしていこうと。

山口和幸山口和幸(やまぐち・かずゆき)
ツール・ド・フランスをはじめ、卓球・陸上・ボート競技などを追い続け、日刊スポーツ、東京中日スポーツ、ナンバー、ターザン、YAHOO!などで執筆。国内で行われる自転車の国際大会では広報を担当。著書に「ツール・ド・フランス」(講談社現代新書)、「もっと知りたいツール・ド・フランス」(八重洲出版)など。

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