ドイツ人サイクリストのMTB旅<5>富士登山ののち、「東京横浜独逸学園」で旅を語る

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<4>箱根・富士山麓で温泉、ビール醸造所、山小屋!

5月13日、日曜日

 朝5時、すでに朝食のテーブルに着いている。私たちの冒険にパワーを与えるべく、驚くほどボリュームたっぷりの麺が出された。太陽はすでに昇り、雲もなく、素晴らしい晴天だ。雪を戴いた富士山の雄姿がくっきりと輝いている。日本では富士登山について「一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」と言われている。日本一高い山なので、一生に一度は登っておきたいが、二度も登るのは大変で馬鹿げている、という意味だ。

 山頂への登山道はつづら折れに蛇行している。最初の二つのターンを過ぎると、早くも小さい雪原に行き当たった。さらに、落葉した潅木の茂みが行く手を阻み、大きな枝があると再三再四、立ち往生した。ただ、登山道と案内標識ははっきり確認でき、道には迷わなかった。

 標高3,100メートルでドイツ・ヘッセン州旗を持ち記念撮影 標高3,100メートルでドイツ・ヘッセン州旗を持ち記念撮影

 ついに7合目!私たちは最高の眺めを楽しみ、目的達成を喜んだ。ドイツ・ヘッセン州の旗を取り出し、ほとんど手の届きそうなところにそびえている頂上を背景に、素晴らしい写真を撮った。

 下山も、同じように苦労すると考えていた。しかし、ほんの数メートル歩いたところで、私たちは子供の頃を思い出し、「雪の上は歩くよりも滑っていった方がいい」と考えるようになった。

 雪の上にお尻をつき、短くゆすって、ヒューッと下山していく。数百メートルもの距離をかなりのスピードで下ることは、けっこう楽しかった。

 次の滞在地となる横浜のホテルには、午後9時に到着。レストランが既に閉まっていたため、タクシーで街へ繰り出し、イタリアン・レストランで食事をとった。真夜中にやっとベッドへ倒れ込んだ。

5月14日、月曜日

 午前7時半に横浜市都筑区のドイツ学校「東京横浜独逸学園」を訪れる約束があったので、ホテルでの朝食はなし。学校では、スヴェン・ギュンター氏と会った。彼は、学校の歴史や、どのような子どもたちが授業を受けているかを説明してくれた。サッカーの名選手だったピエール・リトバルスキーのような、有名な保護者もいるという。

生徒たちを前にMTB旅を語る=東京横浜独逸学園、神奈川生徒たちを前にMTB旅を語る=東京横浜独逸学園、神奈川

 東京横浜独逸学園は、東アジアにおける最古のドイツ学校である。1904年9月20日に開校し、最初のクラスには3か国から9人の男女が在席した。しかし、その後は激動の歴史を辿った。2度も火災に見舞われたほか、1923年9月の関東大震災や、第一次、第二次世界大戦などで、何度も移転や新築、一時閉鎖が繰り返された。

 第二次大戦後は休校状態だったが、1953年9月に学校法人として再建され、同年12月1日、17人の生徒で再開された。60年には、最初の高校卒業生を輩出。67年11月23日には新校舎に移転した。1970年以降は日本とドイツの結びつきがますます強まり、学校が小さすぎるほど生徒数が増えてしまったため、91年に現在の所在地である横浜の仲町台へ移転した。

 図書館で、カール・イリスの2人の子供の就学届を閲覧した。イリスは、ドイツと日本の貿易の先駆者であったルイ・クニッフラーのビジネスパートナーであり、最終的に「クニフラー商会」を引き継いだ人物だ。

 私たちは学校で授業をする機会を与えられ、歴史の授業で講義した。また、好奇心旺盛な生徒の質問に答えた。しかし、この日もスケジュールは慌しく、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまった。

 横浜外国人墓地にあるヘルマン・リッターの墓の訪問は取りやめることにした。リッターは1827年にドイツのヒルデスハイムで生まれ、東京帝国大学などで講義した。

◇      ◇

 東京の帝国ホテルへ向かう途中、現金を引き出した。日本滞在中、ATMは稀にしか利用できず、すでに予備金に手をつけている状況だったからだ。

 正午頃、帝国ホテルに到着。なぜ帝国ホテルに? それは、この高級ホテルがドイツとの興味深いかかわりを持っているからだ。

 フライク兄弟、特に1865年にヴァルトゼーで生まれたカール・フライクは、このホテルの支配人を務め、国際的な名声をもたらした。墓石にはドイツ語と日本語で、次のように記されている。

「ヴァルトゼーで1865年5月7日に生まれ、1907年8月28日に東京で亡くなったカール・フライクはここに、帝国ホテル及び彼の友人によって奉られている。」

 帝国ホテルの全ての出版物は、今もなおフライク兄弟の功績を称賛している。

◇      ◇

 ホテルに着くと、すぐに自転車に乗る用意をし、長い歴史を持つドイツ菓子製造販売会社「ユーハイム」に向けて出発する。しかしナビ・システムに問題が起こった。どうやら、GPS信号がビルの谷間で悪すぎるのか、あまりにも多くの妨害信号があるのか…。ユーハイムへ時間通り着くために、道を急いだ。

 東京支社長のアルター氏は、素晴らしいドイツ料理で私たちをもてなし、ドイツ人カール・ユーハイムによって100年以上前に設立された会社の歴史を説明してくれた。今では日本に7工場と300以上の店舗を有している。最後に、有名なバウムクーヘンをお土産にもらった。

 この日はさらに別のイベントがあった。私たちのメインスポンサーの1つであるライカカメラAGが、東京でいくつか運営している直営店の1つで、50人以上の日本人ジャーナリストに対して新製品を発表。その新製品を私たちがリュックサックの中に忍ばせ、イベントに持参して、公表したのだ。

 発表会が終わると、日本のドイツ語新聞編集者からの取材に応えた。そして夕食に伝統的な日本料理に招待された。信じられないほど美味しかった。

レポート文・写真 ”Hinterländer Mountainbiker”(ヒンターランドのMTB乗り)
<6>雨の東京を疾走 駐日ドイツ大使と次の旅を約束

Hinterländer Mountainbiker(ヒンターランドのMTB乗り)
ドイツ・ヘッセン州、ヒンターランド出身のハラルド、ヨルク、マティアス、ウリ、ジギの5人から成る、MTBのグループ。1992年より、世界に散在するドイツ史を求め各地をMTBで訪れている。ヨーロッパのほか、中国、ブラジル、ナミビアを回り、今回は「日本に秘められたドイツ史をMTBで発見する旅」。

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