三船雅彦の「#道との遭遇」<10>酷道はいつしか思い出の彼方に? 幻の五新線をたどり国道168号・新宮〜枚方を全線走破
長距離のエキスパートでプロサイクリストの三船雅彦さんが、全国の道を普通と違った走り方で紹介する連載「#道との遭遇」。今回は国道168号線を和歌山県新宮市から大阪府枚方市まで、全線走破します。かつては険しい“酷道”として知られた国道168号線は時代と共に変貌。開通できなかった鉄道路線、五新線が結ぼうとしたルートもたどります。

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紀伊半島を貫こうとした幻の五新線
奈良県五條市から和歌山県新宮市までを鉄路で結ぶ計画だった「五新線」。1922年、大正11年に計画され、1939年に着工し太平洋戦争で一時中断するも昭和30年代には再開し、城戸まで順調に路線を伸ばしていった。
駅の設置では難航するも、日本のトンネル技術もありいつかは新宮まで届くと思っていたが、結局昭和50年代に入り国鉄再建法により工事自体が全面凍結となってしまい、事実上五新線は幻の路線と化してしまった。その間、日本のモータリゼーションの発達は目覚ましく、国道168号は和歌山・奈良県境も車で走行することが可能となり開通。鉄道を通す意義も薄れてしまったのかもしれない。

このルートは険しく、国道168号が生まれる前は、西熊野街道として存在していた。そう、奈良から太平洋を結んでいた街道だった。十津川から和歌山県境は難航し、車が通行できるようになるのは昭和34年のこと。そう思うとそんなに昔のことではない…。

近代化の波で自動車社会は一気に加速し、この五條~新宮を結ぶ日本屈指の「酷道」168号線も、五條新宮道路として地域高規格道路に指定。国道168号線はどんどんとバイパス化され、以前は大塔村から本宮まではロードバイクと車のスピードでは離合できずに難儀していたことからすると、それはまさしく高速道路並み。鉄道の計画が凍結されたのも、完全に時代の流れから取り残されてしまったのかもしれない。

現在国道168号は紀伊半島を含む関西縦断の大動脈としての役割が期待されだしたのか、全線にわたりバイパス化が進み、いたるところで工事を行っている。ちなみにだが、国道168号の起点は新宮市で、終点が枚方市である。今回はそんな五新鉄道や素晴らしい熊野川や十津川を見つつ、国道168号を起点の新宮市から終点枚方市まで走ってみることにした。

道の進化にジレンマも
このルートは1990年代によく新宮まで走っていったので、勝手知ったる道のひとつだ。天辻トンネルを抜けてのクネクネと十津川沿いの道は、車がすんなりと離合できないこともあり、ロードバイクの方が新天辻トンネルから和歌山県境まで速く着けるという、ウソみたいな国道だった。
海岸に沿った新宮の町から北上するとすぐに越路隧道がある。今は立派な新越路トンネルがあるが、自転車は旧道の越路隧道走行指定となっている。余談だがこの隧道の入り口の地名は「五新」。何か五新線にまつわる人々の期待やロマンを感じずにはいられない。このトンネルを抜けるといきなりの別世界、新宮の活気ある町の雰囲気が一瞬でウソのような熊野川の流れに沿った穏やかな道路に変わる。
道は90年代のようなくねくねと進む印象はなく、着々と高規格道路として進化を遂げている。熊野川はその険しい山々から崩れてきた岩が石となり、河原を石が埋め尽くしている。そして好天が続いたタイミングだと川はエメラルドグリーンに輝き、サイクリングをより楽しい気分にしてくれる。

ここまでは川沿いに旧道をベースに路面改修などで車が通りやすい道に進化してきたが、本宮から十津川温泉まで、二津野ダムを横目に見る上りは、高規格道路らしいというか近代的なバイパスとなって、自然の景色の中で強く激しい存在感を出している。

これを善とみるのか悪とみるのかの判断はつかない。
たまにしかこの地に来ないよそ者の自分には旧道のつくりで十分だと感じるし、素晴らしい自然と調和がとれていない人工物に違和感を感じずにはいられないが、住んでいる人やそこに経済活動を期待している人の思いも同じ思いとは限らない。
この区間が国道168号誕生の際も最も難航した区間で、県境が車を通れるようになってからまだ70年、アマチュア時代に通っていた頃なんかは開通後40年しか経過していなかったのかと考えると、旧道ですら地元の人から歓迎されたのかもしれない。

“酷道”は消えゆく
十津川村は走っていると思いのほか大きい。正確には面積が広いのではなく道がクネクネとしているので、全然十津川村から脱出できない。旧道ベースで言うと50km強。そりゃ離合で止まったりしていると車でも2時間ほどかかっていたのもうなずける。

この十津川村から旧大津村(現五條市)は幾度となく土砂崩れを繰り返してきている。元々この地域の地形を見てもわかるように、太古の昔から土砂崩れを起こしては今の地形へと変化し、実際法面を完全にコンクリートで固めていない旧道を走ると、いまだにあちこちで落石している。

2000年代には大塔村で大規模な地すべり。これは当時大きなニュースとなったので記憶に残っている人も多いだろう。鉄骨を組んで対岸に迂回路を設置し交互通行させていたのだが、その時に見た地すべり個所はいまだに脳裏に焼き付いている。
その後も何度となく土砂崩れや地すべりを繰り返し、旧道区間では既に廃道と化している区間もある。これだけバイパス化が進み、もう30年もすれば酷道だったことが嘘のようになるだろう。

枚方〜新宮が200kmを超えていたのは90年代、今では約20kmも短くなっている。バイパス化が進めばさらに短くなるだろう。
しかしこの男前な国道168号も、五條から北の区間となると到底同じ道路とは思えない。同じ国道番号で実は違う道路だと感じてしまう。例えるなら超人気イケメン2枚目アイドル、腹筋もシックスパック!が突然シモネタ全開コメディアン、腹は誰か入ってますシャツのボタン止まりません!ぐらい極端に違うと感じるのである。
それもそのはず?大和高田から枚方間が国道168号に編入されたのは昭和57年。私が小学生の頃は違ったということが興味深い。五條から北は国道24号と共用区間。おむすびマークは24号で、道路インフォメーションでのみ168号表記されている。
終点は呆気なく素っ気なく
しかしそのあと大和高田市に入ると、24号はバイパスに振り分けらた関係で168号単独になるのもつかの間、すぐに東からやってきた国道165号と今里交差点で共用区間に。100mほどで今度は国道166号と共用区間に変身する。
日本最古の官道と言われる竹ノ内街道と長尾交差点で別れ、ようやく単独になったと思うと今度は何と言うことかさっき別れた165号とクロスする。クロスするならここまで一緒いいんじゃないのか?と思ってしまうのは私だけではないだろう。

ちなみに165号、166号共用区間では、おむすびマークもなければ道路インフォメーションでも168号とは表記されない。
香芝から大阪の県境にかけては、奈良西幹線として整備が進んでいる。新宮から五条までに見た男のロマンのような、男前な国道の印象は薄れ、ことあるごとに他の国道と共用化と離合を繰り返す。王寺では国道25号とも共用している。
そしてこの旅?もようやく終焉が見えた頃、ここで初めてすごいことに気づいた。
国道168号線は現在約190kmほどだが(バイパス化でさらに短くなりそうだが)、残り50kmを切ってはじめて終点「枚方」の文字が出てきたのだ。普通ならもっと早くに出てきてもいいのではないか。終点なのだから。ちなみに新宮から走っていても、五條は出てきたが制定当時の終点である大和高田ですら出てこない。
ここでふと思った。
国道168号とは、本来五條〜新宮間の五新線計画こそがそこに期待されたことであり、京都や奈良の都を離れて遠く新宮や熊野へと「離れていく」のが本来の姿、目的だったのだろう。十津川の地名を「遠津川」「遠都川」と昔は表記し、そのキレイな十津川の水も、奈良や京都に背を向けて熊野へと流れるのもそう感じさせたのかもしれない。

五新線を計画していた人がいまこの国道168号の姿を見ると、もしかすると列車ではないが自分たちの行ってきたことが脈々と続いていると感じるかもしれない。

元プロロード選手で元シクロクロス全日本チャンピオン。今でもロード、シクロクロス、ブルべとマルチに走り回る51歳。2019年は3回目の『パリ~ブレスト~パリ』完走を果たす。今年は新型コロナウィルスの影響でイベントがことごとく中止。その腹いせ?に関西圏の道を走り回っている。「知らない道がある限り走り続ける!」が信条。