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教えて! 安井先生<9>ロードバイクの「~~らしさ」とは何なのでしょう?

by 安井行生 / Yukio YASUI
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今回のお題

Q:ロードバイクのインプレを読んでいると、「~らしさ」という表現がよく出てきます。メーカーの“らしさ”って何ですか?今でもメーカーの“らしさ”はあるのでしょうか?

A:シンプルに見えて奥が深い質問です。

 “らしさ”、言い換えれば“個性”ですね。

 最も簡単なのは、素材、製法、見た目、金額などで決まる分かりやすい“らしさ”でしょう。パナソニックやライトスピードのチタン、アルミのCAAD。RTMのタイム、ラグ製法のコルナゴ。ブルーのジオス、チェレステのビアンキ、ハートマークのデローザ。それらは乗らずとも分かる個性です。

 でも質問者さんの意図は、そういうものではないでしょう。走りや製品哲学における“らしさ”ですよね。今昔の比較をしながら、「スポーツバイクの性能における個性」についてちょっと考えてみましょう。

たとえば、ピナレロの「ドグマらしさ」のようなものはあるのでしょうか。今回はロードバイクの性能面における「~~らしさ」について考えます Photo: Shusaku MATSUO

個性的だったかつてのロードバイク

 昔、僕がロードバイクに乗り始めた頃は、メーカーの(性能における)個性が今よりもっとはっきりしていたように思います。○○はしなやかとか、○○はとにかくガチガチとか、○○はハンドリングがクイックとか、○○は脚が残る…とか。

 もちろん当時はアルミもスチールもチタンもカーボンもレースで活躍していたので、素材の特性が出ていたという理由もあります。しかし、同じカーボンフレームでも、走りの方向性は様々でした。

 今のロードバイクには、そこまでの個性がなくなったような気がします。もちろんエンデュランスロードやグラベルロードというカテゴリーが登場し、ロードバイクという解釈が多様化したことで、味付けの幅は広がっています。でも同じカテゴリーに限定すれば、どれも同じようにソツなく走る。価格帯が同じであれば実力もほぼ拮抗している。

 なぜそうなったのか。それには、構造的な理由があると思うんです。

 昔のバイクが個性的だった理由、それは、よく言えば「設計者の思想が貫かれていた」、悪く言えば「技術が未熟だった」からではないかと、今になって思います。

 もちろんローカルな理由(欧州にはロードレースの歴史が息づいているとか、路面状況が悪い国のバイクは快適性が高くなるとか、クリテリウムが盛んな国のバイクはハンドリングがクイックになるとか)も影響していたと思いますが、「ロードバイクはこうあるべきだ」というトップエンジニアの強烈な主張が、そのまま製品に反映されていた。そして、それは「その主張の正誤を冷静に吟味する技術が不足していた」からだった。

 しかも、当時はメーカーが自社工場で作るケースも多かった。設計したものを、目が届きやすい現場で作る。となれば原初のコンセプトを妥協なく貫ける。結果、各メーカーの個性が濃く表出していたのではないかと思います。あくまで推測ですけど。

ロードバイクの作り方が変わった!?

 現在は、解析技術が発達したことで、設計が工学的な正解に到達しやすくなっています。BMCのACEテクノロジーに代表されるような自動設計を取り入れるメーカーも出てきました。設計者の思想は出る幕がなくなった…とまでは言いませんが、個人的な設計思想を挟む余地は少なくなったと言えるでしょう。

 結果、どれも似てきてしまいます。CFDと風洞実験で作られるエアロロードがどれも同じ形状になっているのと同じことです。

 さらに、グローバル化によって商品を世界中で売ることになり、どの地域でもウケるように特性が調整されたことも影響しているでしょう。マーケティング部門が世界中のご要望を開発部門に伝え、それを盛り込むことを要求するようになった。

 となれば、世界中の平均化された要望に対して適合するような自転車が作られるようになります。メーカーとして生き抜くには、「自らの理想を貫く」より、「高い商品力を備える」ことが求められるようになった、とも言えるかもしれません。

 しかも、今は製造現場の大半が本国とは遠く離れたアジアの工場です。製造だけでなく設計まで工場サイドが行うケースも多くなっていると聞きます。同じようなコンセプトで同じところが設計していたら、どうしても同じようなフレームになりますよね。

個性は一部で強くなっていく

 しかし、各メーカーが市場を共にして競争を繰り広げた結果、独創性は奪われたかもしれませんが、技術は進歩しました。よく「もうダメなバイクはなくなった」と言われますが、技術格差が小さくなったということは、業界全体の技術レベルが底上げされたということです。

 それに、今でも個性は残っているところには残っています。ピナレロ・デローザ・コルナゴの豊富なジオメトリ。トレックやメリダがこだわる棘のないペダリングフィール。レーシング性能に全振りしてきたターマックSL7。タイムもルックも相変わらず“らしさ”の塊です。

 それは、メーカーが「ロードバイクはこうあらねばならぬ」という主張をまだ持ち続けていることに加え、「個性を商品力に使い始めた」ことが原因だと思います。

 このような個性は、一部のメーカーではこれからどんどん強くなっていくでしょう。

 開発プロセスの電脳化による性能の均一化。マーケットの変化によるコンセプトの画一化。このままでは同工異曲のバイクばかりになってしまう― そういう危機感がメーカー内部に芽生え、「これからは個性が必要になるんだ」という思想になっても不思議ではありませんから。

 昔の“らしさ”は、エンジニアの意志の貫徹と技術の未熟によるものだった。

 これからの“らしさ”は、メーカーが生き残りをかけて作り上げていくものになる。

 僕はなんとなくそう思います。

インプレッションライダー・安井行生(やすい・ゆきお)

 大学在学中にメッセンジャーになり、都内で4年間の配送生活を送る。ひょんなことから自転車ライターへと転身し、現在は様々な媒体でニューモデルの試乗記事、自転車関連の技術解説、自転車に関するエッセイなどを執筆する。今まで稼いだ原稿料の大半をロードバイクにつぎ込んできた自転車大好き人間。

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