衝撃の逆転劇、戦後最年少、パンデミック下での奇跡…ツール・ド・フランス2020総括 歴史に刻まれる5つのポイントに迫る

by 福光俊介 / Syunsuke FUKUMITSU
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 新型コロナウイルスの感染拡大にともなって約2カ月遅れで開催されたツール・ド・フランス2020。9月20日に閉幕した今回だが、パンデミック下での大会であっただけでなく、勝負の面でも歴史に残るドラマが演じられた。そして誕生した若き王者タデイ・ポガチャル(スロベニア、UAE・チームエミレーツ)。それは戦後最年少覇者の誕生であり、ロードレース界に新たな時代の到来を感じさせるものとなった。いまだ歓喜と熱狂の余韻が残る中だが、改めてツール2020を振り返っていこう。今回は、今大会を後世に語り継ぐうえで外すことのできない5つの話題をポイントとして挙げていこう。

ツール・ド・フランス2020を制したタデイ・ポガチャル。戦後最年少優勝者の誕生など、数多くの歴史が刻まれる大会になった Photo: Yuzuru SUNADA

57秒差をタイムトライアルで大逆転 ドラマティックな幕切れ

 誰がこの展開を予想できただろうか。最終日前日、第20ステージは観る者の多くがマイヨジョーヌのウイニングライドになると考えていたのではないだろうか。

第20ステージの個人タイムトライアルで驚異的な走りを見せたタデイ・ポガチャル。ツール史に残る大逆転劇を演じてみせた Photo: Yuzuru SUNADA

 そんな中、1人の選手は残り少ないチャンスに賭けて最後のチャレンジに臨んでいた。スタート時点での総合タイム差は57秒。個人総合2位でこの日を迎えていたポガチャルは、山岳個人タイムトライアルで2位以下を1分20秒以上の差をつける圧勝劇。マイヨジョーヌでスタートしたプリモシュ・ログリッチ(スロベニア、ユンボ・ヴィスマ)もタイムトライアルを得意としており、57秒の差をひっくり返すのは至難の業だと思われていたが、ふたを開けてみればこのステージにおける両者のタイム差は1分56秒。ポガチャルが逆に総合タイム差59秒としてマイヨジョーヌを奪取。そして、この時点で第107回大会の王座に就くことが決定的になった。

 このステージ、ポガチャルはスタートから飛ばしたが、完全に流れをつかんだのは最重要局面だった1級山岳ラ・プロンシュ・デ・ベル・フィーユの上りだった。スムーズなバイク交換でノーマルバイクに乗り換えると、それまでのステージで見せてきた攻撃的な走りから「大会ナンバーワンの登坂力」と評されたクライミングを披露。上りの入口では両者のタイム差は36秒だったが、5.9kmの上りだけでそれが約1分20秒拡大したのだった。

 最終の総合タイム差59秒はツールの歴史上10番目の僅差。ここ10年では2017年のクリストファー・フルーム(イギリス、当時チーム スカイ)とリゴベルト・ウラン(コロンビア、当時キャノンデール・ドラパック)との54秒差に次ぐ数字だ。両大会の結果を単純比較することは難しいが、マイヨジョーヌをかけた最終決戦が個人タイムトライアルで、そこで発生した大逆転劇であること。そして残る力をすべて注ぎ込んだポガチャルが見せたインパクトは、ツールの歴史の中でも最も美しく感動的な瞬間の1つとしてファンの記憶に刻まれることとなるだろう。

マイヨジョーヌに袖を通したタデイ・ポガチャル。大会を通じてインパクト十分の走りを見せた Photo: Yuzuru SUNADA

ポガチャルは戦後最年少、ツール全体でも2番目の若き王者に

 ポガチャルのマイヨジョーヌ戴冠21歳11カ月29日は、戦後では最年少の若さ。戦前までさかのぼっていくと、1904年に行われた第2回大会でアンリ・コルネ(フランス)が残した19歳11カ月という記録がある。ポガチャルのツール制覇は、歴史上では2番目の若き王者となる。

タデイ・ポガチャルが猛追するきっかけとなった第7ステージ。風による集団分断で1分21秒の遅れを喫し、そこから驚異的な追い上げが始まることとなった Photo: Yuzuru SUNADA

 3週間を振り返ると、風による集団分断で1分21秒の後れを喫した第7ステージをきっかけに、翌日の第8ステージから反撃開始。このステージで総合争いのライバルたちから40秒を取り戻すと、続く第9ステージで勝利。中央山塊やジュラ山脈を走った第2週では、その時点でマイヨジョーヌを着用していたログリッチと“スロベニア同盟”かと思わせる協調シーンもあって、個人総合2位に浮上。猛追を誓って臨んだ第3週では、コル・ド・ラ・ローズを上った第17ステージでログリッチに逆に差を付けられ、ここで万事休すかとも思われた。第18ステージでも攻撃には出たもののログリッチに動きを読まれ、「引き離すだけの脚は残っていなかった」と敗北宣言ともとれる発言もあった。

 だが、前述した激走でタイトルを手に。タイムトライアルステージに関しては、早くからコースチェックを行って、コーナーの角度や障害物となりそうなものまですべて把握していたことをレース後に明かしている。どこでペースを上げるかのイメージもできていたといい、細かな準備がレース結果に反映されたといえるだろう。

第21ステージのパレードで記念撮影に臨むUAE・チームエミレーツの選手たち。タデイ・ポガチャル1人でも戦えることを示したが、やはり山岳で支えられるアシストを強化したいところ Photo: Yuzuru SUNADA

 たびたび見せた攻撃的な走りや、プロデビュー当時から持ち合わせていたスター性など、これからのロードレース界を背負って立つ人材となることは間違いないだろう。絶対王者への期待も膨らむが、この先は果たして。

 今回は山岳アシストとして期待されたファビオ・アルとダヴィデ・フォルモロの両イタリア人ライダーが途中リタイア。代わってダビ・デラクルス(スペイン)の貢献度が高かったが、要所ではポガチャルが単騎となる場面も多く、今後はあらゆるレース展開に対応できるようアシスト陣の整備がチームとしての課題になる。

 ちなみに、スロベニア人ライダーによるツール制覇のみならず、中東資本のチームが大会を制することも史上初めて。その点でも大会の歴史を大きく変えたものとなっている。

ユンボ・ヴィスマ “王朝”完成間近でまさかの落城

 今大会で最も印象を残したチームは、間違いなくユンボ・ヴィスマだろう。

 第1ステージから始まったイエロー軍団の集団統率。大会全体を通しても大きなミスはなく、ライバルの動きを封じ込めてレース全体の主導権確保を決定的なものにしていた。第9ステージでログリッチがマイヨジョーヌを手に入れて以降は、リーダーチームとして絶対的な地位を構築。トニー・マルティン(ドイツ)とアムントグレンダール・ヤンセン(ノルウェー)が前半の集団コントロールを担当し、上りに入るとロベルト・ヘーシンク(オランダ)がペーシング。ジョージ・ベネット(ニュージーランド)がその役割を引き継ぎ、勝負どころへと持ち込んでいった。

スプリントに山岳に、マルチプレイヤーとしての能力を発揮したワウト・ファンアールト Photo: Pool / BELGA / SUNADA

 そして今大会で超人的な走りを見せたのがワウト・ファンアールト(ベルギー)だった。第5ステージと第7ステージでスプリント勝利を挙げたが、どちらも直前まで隊列の牽引を務めあげてからのスーパースプリント。驚異はそれだけではない。超級山岳や1級山岳でもアシストとしてログリッチのライバルとなり得る選手たちを次々とふるい落とす獅子奮迅の働き。ときに“本職”山岳アシストのセップ・クス(アメリカ)やトム・デュムラン(オランダ)を最後まで余してしまうことがあったほどに、殊勲の走りを見せた。

 ツール史上最高との声も挙がった充実した戦力。コル・ド・ラ・ローズを上った第17ステージではログリッチがクスにステージ優勝を狙わせたり、デュムランがアシストをしながらも徐々に個人総合順位を上げていくなど、ステージを経るごとにチーム状態の向上と余裕を感じさせる戦いぶりだったが、最後の最後に予期せぬ展開が待っていたのだった。

大会を通じて主導権を握ることが多かったユンボ・ヴィスマの選手たち Photo: Yuzuru SUNADA

 ユンボ・ヴィスマのレース運びはおおむね、エースのログリッチを守りながら進行し、やがて迎える勝負どころでライバルの動きにエース自らしっかりと対処するというスタイルだった。開幕以降、ログリッチ自身がライバルから遅れたり、トラブルに巻き込まれるような局面がなく、そのスタンスを維持していくうちにライバルたちが自ら崩れていき徐々にタイム差が生まれていった。

 一方で、ログリッチ自身が攻撃に転じて情勢を有利にしたものとしては、勝利を挙げた第4ステージや、ステージ優勝こそ逃したがアタックが光った第15ステージ、そして一度はポガチャルを総合タイム差で引き離した第17ステージが目立った程度。第20ステージスタート時のポガチャルとの総合タイム差57秒が結果として足りなかった点に関しては、その前までにもっと攻撃に出るべきだったのでは、という見方をされても致し方ない。

順調な戦いぶりと思えたプリモシュ・ログリッチだったが第20ステージの個人タイムトライアルでまさかの首位陥落 Photo: Yuzuru SUNADA

 ただそれは結果論でしかなく、ユンボ・ヴィスマにとってはベストな手段を選んだ末での最終リザルト。ログリッチも、そしてチームも、まさに“最強の敗者”で今大会を終えた。

 とはいえ、収穫の多さは今後につながるに違いない。ログリッチは当面、ツールをはじめグランツールの頂点を狙う存在としてチームを率いるだろうし、けがや体調不良で約1年間レースから遠ざかっていたデュムランが完全復活。クスもクライマーとして大きな戦力に成長。そして何より、ファンアールトはかつて世界を制したシクロクロスで培った能力を生かして、これからは石畳系クラシックに、スプリントに、さらには山岳にと、あらゆる状況下で勝利を狙っていくことになりそう。

 ログリッチのタイムトライアル敗北後、すぐに彼のもとへ駆け寄った選手たちの姿にチームとしてのまとまりも感じられた。今大会での“王朝”建国は失敗に終わったが、選手個々の能力やチームのムードを見れば、まだまだ再チャレンジできる機会はめぐってくるだろう。

新スプリント王も誕生

 新たな時代の到来は、マイヨジョーヌ争いに限った話ではない。

マイヨヴェールを初受賞したサム・ベネット(中央)。シャンゼリゼでのスプリントも制して文句なしのスプリント王に Photo: Pool / BELGA / SUNADA

 スプリンターの栄誉であるポイント賞「マイヨヴェール」にも、新たな歴史が刻まれた。サム・ベネット(アイルランド、ドゥクーニンク・クイックステップ)が、8度目の同賞獲得を狙ったペテル・サガン(スロバキア、ボーラ・ハンスグローエ)に勝利。初のグリーンジャージ獲得となった。

 要因はさまざま挙がる。なかでも大前提となるのが、ベネットがしっかりとこの大会にピークを持ってきていたこと。開幕からしばらくはスプリントチャンスをモノにできずにいたが、第10ステージで涙の初優勝を遂げると完全に流れをつかんだ。

 平坦ステージでは確実に上位を押さえ、同じく重要な中間スプリントポイントでもメイン集団の先頭で通過をノルマとしながらポイントを積み重ねていった。持ち味である爆発的なスピードや勝負強さはもちろんのこと、ミケル・モルコフ(デンマーク)らリードアウト陣のハイクオリティな仕事にも支えられた。

 一方のサガンは、大会途中で失格になった2017年以来の敗戦。大きな痛手だったのは第11ステージでの降着。スプリントでのファンアールトとの争いで侵害があったとして着外へと下がるとともにポイントの減点を喫したことで、ジャージ争いで不利な状況を自ら作り出してしまった。

大会終盤にはペテル・サガン(右)を徹底マーク。サム・ベネットはマイヨヴェール獲得を狙って戦術的に動いていた Photo: Yuzuru SUNADA

 また、今大会が全体的に山岳比重の高いステージ編成だったことも関係して、中間スプリントポイントがレース前半に設けられる傾向にあったこともベネットにはプラスに働いた。アシスト陣がスタート直後からレースをコントロールし、肝心なところでベネットに高得点を稼がせる。これまで山岳ステージでは逃げに入ってポイントを押さえていくスタイルだったサガンにとっては、今まで通りの戦術が利かなかった。もっとも、数回逃げへのジョインを試みていたサガンだったが、大会終盤になるとベネットが自らチェックに出て動きを封じられるなど、かつてない苦戦を強いられた。

 現行のシステムとなってから、実質初めてサガンを打ち破った選手が現れたことになる。それを果たしたベネットはピュアスプリンターにカテゴライズされるライダー。そんな彼が、山岳比重の高いこの大会でスプリント王の称号を得たことに大きな価値があると言えるだろう。

パンデミック下での3週間完走 ツール全体の「勝利」

 ツールの歴史に刻まれる新たなページは、レースだけにとどまらない。パンデミック下では無謀と見られた大会が、無事3週間を走り切り、最終目的地のパリ・シャンゼリゼに到達したのである。これは「ツール・ド・フランス」全体の勝利と捉えてよいだろう。

今年もシャンゼリゼにはフランス空軍によるトリコロールが見事に浮かんだ Photo: Yuzuru SUNADA

 勝利の背景には、「選手を守り抜いた」ことが挙げられる。選手やチームスタッフは、レース以外の時間は基本的に隔離される状況が作り出され、会期中2回ある休息日にはPCR検査を実施。判定が出されるまで1~2時間という迅速な対応も、選手・チームの円滑な活動に寄与した。大会ディレクターのクリスティアン・プリュドム氏や一部のチームスタッフ、プレス関係者(取材陣)に陽性者が出る事態があったものの、選手の感染者は期間中ゼロ。これによって、レース運営に直接的な弊害が生まれなかったことは大きい。

 また、フランス国内の情勢に沿った臨機応変な感染対策も、結果としては成功だったといえよう。観戦者へのマスク着用や消毒の呼びかけが徹底されたほか、感染者が急増しフランス政府によって「レッドゾーン」に指定された地域を通るステージでは、一部コースへの立ち入りを制限するなど、できうる限りの対応が進んだ。

 大会に携わる人たちだけでなく、フランスという国をも巻き込んでのレース運営。閉幕にあたってプリュドム氏は、記者団の質問に対して「パリへ到達できないかもしれないと心配だった。本当に怖かった」と打ち明ける。感染や大会そのものの打ち切りの恐怖をはねのけ「勝利」を収めたが、これがフィニッシュ地点ではないことも忘れてはならない。パンデミックが長く続くといわれる中、3週間のレースを実施していくために何がベストなのかの判断は、今回同様に都度考えていく必要性がまだまだあるだろう。そして、今年のツール運営が自転車界を越え、スポーツ界全体の有観客開催の指標となることにも期待が膨らむ。

 次回、2021年大会は同年6月26日から7月18日までを予定。今大会での収穫や課題をもとに、より高められたオーガナイズのもとで次の開幕を迎えられるかが、今後のテーマとなってきそうだ。

中止や途中打ち切りの危機を乗り越えて完走を果たしたツール・ド・フランス2020。次回大会へ向けた取り組みがすでに始まっている Photo: Yuzuru SUNADA

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