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連載第14回(全21回)MTBウェブ小説「インナー×ロー」 14話「クリスマス・イブ②」

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 翌日、雄一は1人で自転車通勤をし、つつがなく仕事を終え、帰路についた。会社を出る前、桜子と偶然会い、2、3、会話を交わした。アパートで待っていることと一応、雄一がケーキを買っていくことなどだ。彼は新大橋通りのケーキ屋でクリスマスケーキを買い求め、一度寮に戻ってから桜子のアパートに向かった。

■あらすじ

 佐野倉雄一(サラリーマン)は突然自分の前から姿を消した恋人の愛車を駆り、彼女が走りたがっていた王滝SDAに参戦する。 彼が自転車を始め、彼女と自転車通勤をし、山に行き、ポタリングをし、恋人同志になり、彼女を失い、喪失感の中、王滝で自分を見つけ出す物語。

■登場人物

佐野倉雄一:アラサー独身のサラリーマン。無趣味だったが、MTBに出会い、サイクルライフをスタートさせる。27.5インチハードテール。

山下桜子:部署は違うが雄一の同僚。自転車乗りとしては先輩なので何かと世話を焼く。意味ありげな言動が多い。27.5インチフルサス。

 こんな気持ちで外を歩くのは久しぶりだ。胸が締め付けられ、常に甘い何かに満たされている。それはおでんパーティの後に予想される、短いが2人だけの時間への期待だ。今、自分は恋をしている。そう確かに感じられた。これほどの幸せが自分の人生に訪れるなんて半年前には全く予想していなかった。彼女と一緒にMTBに乗り始めた頃ですらそうだった。いつから彼女に男として見られるようになったのかは分からないが、それでも今の関係があるのだ。もし許されるのならば訊いてみよう。そう心に決めるといつの間にか彼女のアパートの前に着いていた。

 呼び鈴を鳴らすと彼女が出て来た。部屋に上がるのは2度目だが、ドキドキする。そして雄一は中を覗き込み、柏木の姿がないことに気づいた。

「柏木さんはてっきり君と一緒に来ているんだとばかり思ってたけど」

 すると桜子は小さな声で言った。

「れんちゃんはドタキャン。高校生の時に憧れていた先輩となんか約束したみたいなこと言っていたけど……」

「そ、そうなんだ。それはそっちの方が重要だよね……」

 雄一は心ならずも言葉に詰まってしまう。それでは最初から2人きりということになる。大きく深呼吸して靴を脱ぎ、リビングに入る。座卓がコタツ化している以外は、前回入った時と何も変わっていなかった。コタツの上には取り皿と箸が2組並べられていた。

「おでん、温め直しているからちょっと待ってて」

 桜子はケーキを雄一から受け取って冷蔵庫に入れ、ガスレンジの前に立った。コタツに入って落ち着いて考えてみると柏木がドタキャンしたという話は不自然だ。桜子がイブのイニシアチブをとり、彼女のアパートで2人きりになるようにあらかじめ設定されたのだと考えるべきだろう。桜子の発案か柏木の発案かは分からないが、イブの夜、密室に男女2人きりとなれば自然とそうなる。となれば雄一にとって望外の喜びだが、今のところその考えを頭から消す。それはプレゼントを渡して、然るべき時に本音を話した後だと思われたからだ。雄一はコタツから出てキッチンに行く。

「何か手伝うよ」

「じゃあビールをお願い」

 雄一は軽く返答した後、冷蔵庫から缶ビールを2本持ってコタツに戻った。そのタイミングで桜子がおでんの鍋を鍋敷きの上に置いた。フタを開けると美味しそうなおでんが湯気の中から姿を現し、雄一は声を上げる。

「1人暮らしをしているとコンビニおでんかレトルトだからこういうのは嬉しいね」

「実家にいる時は毎年飽きるほど作ってたんだ……練り物系のタネはスーパーで買ったけど、出汁は自分で取って、タマゴと大根、こんにゃくは自分で手を入れたよ」

 スープは澄み、タマゴは丁寧に殻が剥かれており、大根は面取りがしっかりしてある。こんにゃくにも隠し包丁が入れられている。

「丁寧な仕事してますね」

 桜子は満面の笑みを浮かべた。

「この前、美味しいうどんを食べさせて貰ったから、意地になっただけなんだけど。面取りとかするの、実家にいる時は妹の役目だったし……」

「祥子ちゃんも今夜は彼氏と一緒なのかな」

「だと思うよ。いつ見ても初々しくてこっちが赤面しちゃうようなカップルだけど。私が思うに、あの2人は赤い糸に結ばれてるね」

「そんなにいい彼氏なんだ?」

「私は小さい頃を知ってるしね。祥子が羨ましいよ」

 桜子は遠くを見るような目をした後、鍋の中をお玉でぐるっとかき混ぜた。

「もう大丈夫でしょ。さ、頂きましょ。あ、その前にDVD借りてきたんだった。見ない?」

「何借りてきたの?」

「シザーハンズってのクリスマス映画。古い映画だけど、お勧めだったから」

「新しい映画が最高の映画って訳じゃないしね」

 桜子がTVをつけ、DVDのリモコンを押した。

「じゃ、頂きます」

「メリークリスマス」

 そして缶ビールで乾杯をしておでんをつつきながら、映画を見始める。内容はジョニー・デップ演じる両手がハサミの人造人間が人里に連れてこられて人気者になり、娘と恋に落ちるが、結局は人の悪意と偏見に苛まれて罪を犯し、人里を去ってしまう。そしてクリスマスになると人造人間は愛した娘のために両手のハサミで氷を削って雪を降らせる、というお話だった。映画は2時間近くあったが、エンドクレジットが始まっても2人はしばらくの間、言葉を失っていた。

「クリスマスには最高の映画だったな」

 完全にDVDが終わった後、雄一はようやく口を開いた。桜子は頷いた。

「人を愛するのってステキなことだね。それがたとえ、悲しい恋に終わっても。何年も何十年も人を愛し続けるって、どれほど幸せなんだろう」

 雄一は夢見るような彼女の瞳に射貫かれ、息を止めた。そうはならない。そうはしたくない。そう願いつつ、雄一はプレゼントの包みを取り出した。

「はい。そろそろ渡す頃合いかな……なんて」

「開けていい?」

 桜子が小さく首を傾げ、雄一は頷いた。包みを開けると彼女は小さく口を開けた。

「何これ?」

「ホイールの説明書と保証書。これで王滝が少し楽になるんじゃないかな」

「あれが売約済みになったのって、佐野倉さんが買ったからだったんだ……」

 桜子はどことなく困ったような、はにかんだ笑顔で雄一を見た。

「もっと別なのが良かったかな……同じくらいの値段なら、ブランド物の方が後に残ったかな?」

「ううん……クリスマスプレゼントが自転車のパーツなんて私たちらしいな、って思って。だから店長、バイクを点検してあげる、なんて言ってくれてたんだ……でもこれで佐野倉さんも王滝に行くこと決定でいいんだよね? それとも私だけに行かせる気?」

 桜子は半ば俯き気味に、上目遣いで彼を見た。

「そのつもり。年明けに申し込むよ。100キロ」

「うん……頑張れ。約束だぞ」

 そして桜子も大きな包みを取り出した。

「じゃあこれは私から。まさかホイールなんて高価な物をプレゼントしてくれるとは思わなかったから釣り合わないけど……」

「値段は問題じゃないよ」

 包みを受け取って開けてみると、サイクル用のレインウェアが出て来た。雄一が持っているレインウェアはホームセンターで買った安物だ。本格的なものが欲しかったから、彼女はよく分かっている。桜子は苦笑した。

「やっぱり自転車系のアイテムっていうのが私たちらしいよね」

「お互い様だし、2人ともフォルゴーレで買っているってところが……」

 そしてしばしの間、笑い合い、お互いの表情を窺った。

 雄一は大きく深呼吸をした後、口を開けた。

「本音を言う然るべき時って、今しかないと思うんだ」

「うん」

 桜子は瞳を潤ませて頷き、思い切って雄一は内なる想いを言葉に変えた。

「この半年間、君と一緒にいて……情けないところも見せてしまったけれど、あの暑い夏、強い向かい風の中で思ったんだ。もっと、ずっと、これから先も君と一緒にいたいって。だから……」

「ごめん……私、それが聞けただけで十分だ」

 桜子が雄一の言葉を遮った。

「これ以上聞いたら自分を抑えられなくなる。だから、もう言わないで」

 彼女が自分の何を抑える必要があるのか、雄一には分からない。しかしそれを考える間もなく、彼女は言葉を繰り続ける。

「今夜は……一緒に思い出を作ろ……」

 そして桜子は瞼を閉じ、一筋の涙を零した。その意味も雄一には分からないが、やるべきことは分かる。その勇気と決心を、そして心から彼女を求める気持ちを彼は持ち合わせていたし、その準備もしてある。雄一は桜子の涙を指で拭うと優しく押し倒し、自ら唇を重ねる。柔らかなその触感と痺れるような甘い快楽を覚えつつ、より深く彼女の中に入り、探る。そして彼はしばしの間、時が経つのを忘れた。

 雄一が寮に戻ったのは午前2時を回っていた。別れ際、桜子は恥ずかしげに、また明日、と言って。

<つづく>
※この物語はフィクションであり、実在の人物や団体、地域などとは関係ありません

監修
岡 泰誠(日本スポーツ協会公認自転車競技コーチ)コスモス パフォーマンス コンサルティング
松本佑太(フカヤレーシング)

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神野淳一 連載小説「インナー×ロー」

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