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連載第13回(全21回)MTBウェブ小説「インナー×ロー」 13話「クリスマス・イブ①」

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 本格的な寒さが訪れた12月の初旬、雄一はフォルゴーレのカウンター越しに店長に相談をしていた。

■あらすじ

 佐野倉雄一(サラリーマン)は突然自分の前から姿を消した恋人の愛車を駆り、彼女が走りたがっていた王滝SDAに参戦する。 彼が自転車を始め、彼女と自転車通勤をし、山に行き、ポタリングをし、恋人同志になり、彼女を失い、喪失感の中、王滝で自分を見つけ出す物語。

■登場人物

佐野倉雄一:アラサー独身のサラリーマン。無趣味だったが、MTBに出会い、サイクルライフをスタートさせる。27.5インチハードテール。

山下桜子:部署は違うが雄一の同僚。自転車乗りとしては先輩なので何かと世話を焼く。意味ありげな言動が多い。27.5インチフルサス。

柏木恋:桜子の親友。雄一とは同じ部署。桜子のお下がりのクロスバイクを使っている

サイクルフォルゴーレの店長:雄一のサイクルライフを手助けするプロフェッショナル。「アウター×トップ」から引き続き登場。

加藤:サイクルフォルゴーレの常連

「桜子ちゃんのXCバイクで交換すると一番戦闘力が上がるパーツって何ですかね?」

 店長は発注書から目を離し、雄一を見た。

「ホイールだね。メーカー完成品のホイールも今はそんなに悪くないけど、やっぱりコストが掛かったホイールは軽いし、剛性が高い。ホイールが軽くなると遠心力が違ってくるから走っていて体感できるよ。そこに掛かっているのとかイイ……」

 店長は天井からぶら下がっている、赤いスポークのMTB用のホイールを指さした。10万円弱のPOPがついている。

「た、高い。僕のバイクと値段が変わらないじゃないですか」

「もしプレゼントとかっていうならもっと引いてあげるよ。工賃もサービスする」

「うーん……」

 雄一が腕組みをして悩んでいると脇にいた加藤が会話に加わってきた。

「姉さんにプレゼントっスか? ブランド物のバッグでも10万あれば結構なのが買えますからね。自転車のパーツだとそんなもんかって感じだけど」

「そうなのか……やむを得ないのか」

「大切な彼女へのクリスマスプレゼントがホイールなんて憧れちゃうなあ~~」

 店内にいた女子高生ロードレーサーの有季も会話に加わった。彼女は実業団レースに参加してプロを目指している努力家だ。

「――桜子ちゃんは彼女じゃないよ、まだ、その、たぶん」

 聞いていた即座に3人は驚きの声を上げ、有季が言った。

「で、でも、私と話をしている時の桜子さんは佐野倉さんのことを『ウチのは~』とか言ってますよ。あ、でもそれは“ウチ”も同じか……」

 有季はがっくり肩を落とした。

「そうなのか……嬉しいけど。有季ちゃんは彼氏からホイール買って貰えたら嬉しい?」

「もちろん。あ、でも、ウチの場合はプレゼントにそんなお金を掛けるくらいなら自分のフレームを替えて欲しいです、ハイ……」

 有季は笑顔になったり落ち込んだりと忙しい。

「でも佐野倉さんの場合、経済力が伴っているわけで、宜しいんじゃないでしょうか」

「そうだそうだ。買っちゃえ買っちゃえ」

 加藤が無責任にもけしかけ、店長はホイールに『商談中』のPOPをつけた。

「これは27.5インチのホイールだから特価でディーラーさんから入ってきたものなんだ。今はXCは29インチが主流に戻りつつあるから。桜子ちゃんのXCバイクは27.5インチでちょうど良いんだけど。だから佐野倉さんたちくらいしかこのホイールを買いそうな人、この店にはいないんだ。一緒にチューブレス化すればもっといい。だから、相談に乗るよ」

 店長は笑い、雄一はホイールをもう一度見上げた。

「じゃあこのまま商談中ってことにしておいてください」

 そして小さく頷いた。

 時計の針が8時を回り、閉店時間がくると店内に一般車を片付ける作業が始まる。有季は一足早く帰宅し、加藤と雄一で店長を手伝う。片付けが終わった後、石油ストーブの周りで缶コーヒーを飲んでいると暗くなった軒先から桜子の声がした。

「あれれ、佐野倉さん、まだお店にいたんだ」

 彼女の部署は忙しいらしく、最近は残業が多くなっていた。今日、閉店時間に間に合ったのも比較的早く仕事を切り上げたに違いなかった。

「なんとなく帰りづらくってさ……」

 フォルゴーレは居心地が良く、来るとつい長居をしてしまう。桜子が店内に入ってきて、自然にホイールに目が行ったのだろう、声を上げた。

「そっか。あーっ、私が狙ってたホイールが『商談中』になってる!」

「まだ決まってないけど、もし破談になったら桜子ちゃんに真っ先に教えるね」

 雄一が彼女へのプレゼント候補にしているなんてことはおくびにも出さず、店長が答える。桜子はそう聞いても浮かない表情だ。

「そうですか……でも、やっぱり買うのは無理かな……」

 自転車大好きの桜子でもやはりこの値段はなかなか手が出るものではないのだろう。この反応を見る限り、ホイールをプレゼントにというのは良い選択肢のようだ。本人が欲しい物を上げられたらそれが一番だ。

「一応、考えておいてよ」

 店長は頷いて奥に引っ込んでいった。店を完全に閉めるまでまだ少し時間があるようで、雄一は表の自販機で缶コーヒーを買い足し、桜子にカフェオレを買った。

「忙しそうだね」

「私だけね……ちょっといろいろあって」

「そっか。でも、イブは予定を空けてくれているんだよね?」

「ああ、そのことなんですが……」

 彼女は言いにくそうに続けた。

「れんちゃんがね、何も予定がないのなら私のアパートでおでんパーティをしようって……」

「イブにおでんですか」

「実家でよくおでんを作っていたって話をしてたら、何故かそんな話になって。あ、もちろん佐野倉さんも呼ぶって話になっているんだけど……2人きりじゃないから、佐野倉さんには悪いかな、って」

 柏木の中では桜子との仲がまだ進展していないらしい。逆に彼女は彼女なりに気を遣ったのだろう。

「気にしないよ。彼女は終電があるし、その後、少し2人でいられれば十分だ」

 雄一は頷いて、そのまま顔を伏せた。その時にしっかり気持ちを伝えなければならない。でなければこのままズルズルと中途半端な関係が続いてしまうに違いない。

「ありがと」

 桜子は笑んでカフェオレ缶に口をつけた。

 缶が空になってしばらくしてから桜子は先に店を後にした。店内の片付けも一通り終わり、くつろいでいる店長に雄一は言った。

「POPを『売約済』に替えておいて貰えますか」

「合点承知」

 店長は笑顔で『商談中』のPOPを『売約済』のそれに替えた。

「けどさ、ホイールをクリスマスカラーにラッピングしてプレゼントするの?」

 加藤が首を傾げ、雄一は大げさに笑って応えた。

「そんなわけない。手渡すのは説明書と保証書だ」

「桜子ちゃんにはバイクを点検するから店に預けるよう言っておくよ。そうしたらすぐにホイール交換したバイクに乗れるだろ?」

 店長が親指を立て、雄一も立てて返した。恐らく10年ぶりくらいに、充実したクリスマスになりそうだ。この機会を逃したら一生後悔する。決して失敗するものかと気合い込めて両の拳を固めた。

 イブの前日は日曜日だった。朝から2人で荒川を岩淵水門まで軽く走り、一之江に戻ってきた。そして桜子のXCバイクを店に預け、午前中の内に解散した。

「じゃあ明日、楽しみにしているから。仕事が終わったらウチに直接来てね」

 別れ際、桜子が言った。

「ああ。僕も楽しみにしているよ」

 そして桜子は小さく手を振って店を後にした。店長がニンマリして雄一と桜子を見ていて、雄一は照れて笑った。

「これで無事、プレゼントできそうですね」

「お陰様で……」

 店長にはホイールの値段を口にできないくらい勉強して貰った。感謝しても仕切れない。

「でもこれで佐野倉さんも5月王滝に参戦決定だね。申し込みはクリスマスのすぐ後だよ」

「やっぱりそれが誠意ですかね。僕、彼女に誠意を見せたいんですよ」

「まだプロポーズってタイミングじゃないもんねえー」

 雄一は激しく動揺した。

「あ、当たり前ですよ。プロポーズなんてとてもとても。告白すらこれからなんですから。でも王滝に一緒に行くっていうのはこれからも同じものを見て、同じ体験をして、一緒に人生を歩んでいく、そういうことだと思うんです。もちろん、僕と彼女の場合限定ですけど」

 そういうことなのだろう、と雄一は考える。王滝で自分を発見するだけでなく、彼女が何を見てきたか、どうして今度は100キロを目指すのか、それを知りたいし、それがお互いを理解していく過程なのだと考えた。

「うわー。さすがにそれはのろけ過ぎだよ」

 店長が思わず声を上げ、雄一は苦笑した。

「そうですね……初めてこの店に立ち寄った時は、こんな風に店長と話せるとも、自分がこんな風に変わるなんて微塵も思っていませんでした」

「人生を変えるお手伝いができて、幸いですよ」

 店長はまたニンマリと笑った。きっかけさえあれば人間は変わる。その一番のきっかけになるのはやはり人間だろう。店長は最初、パソコンと一緒で、自転車は買っただけで終わるものではない、その先の何かを探すお手伝いもできれば店的には最高だと言っていた。雄一は自転車を介して多くの人と話すようになり、時が経つにつれ彼女を深く知り、人生の岐路にさしかかったことを自覚できた。これも店長と自転車のお陰だ。

「本当に今年はお世話になりました」

「どういたしまして。あとは君が頑張るだけだよ」

 雄一は大きく頷き、無言の内に店長と拳を合わせた。

<つづく>
※この物語はフィクションであり、実在の人物や団体、地域などとは関係ありません

監修
岡 泰誠(日本スポーツ協会公認自転車競技コーチ)コスモス パフォーマンス コンサルティング
松本佑太(フカヤレーシング)

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神野淳一 連載小説「インナー×ロー」

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