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連載第10回(全21回)MTBウェブ小説「インナー×ロー」 第10話「酔っ払い①」

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 9月の3連休の中日、雄一は寮の自室で桜子からの連絡を待っていた。彼女は今、長野県王滝村の山中を走っている。

■あらすじ

 佐野倉雄一(サラリーマン)は突然自分の前から姿を消した恋人の愛車を駆り、彼女が走りたがっていた王滝SDAに参戦する。 彼が自転車を始め、彼女と自転車通勤をし、山に行き、ポタリングをし、恋人同志になり、彼女を失い、喪失感の中、王滝で自分を見つけ出す物語。

■登場人物

佐野倉雄一:アラサー独身のサラリーマン。無趣味だったが、MTBに出会い、サイクルライフをスタートさせる。27.5インチハードテール。

山下桜子:部署は違うが雄一の同僚。自転車乗りとしては先輩なので何かと世話を焼く。意味ありげな言動が多い。27.5インチフルサス。

サイクルフォルゴーレの店長:雄一のサイクルライフを手助けするプロフェッショナル。「アウター×トップ」から引き続き登場。


 王滝村は長野県の南西部、御嶽山の麓に位置する村である。西側は岐阜県下呂市だが、一般道は木曽側からしか通じていない。岐阜県側からは林道で繋がっているが普段は一般車の乗り入れが禁止されている。そのため、年に2回のMTBレース、セルフディスカバリーアドベンチャー・イン王滝(SDA王滝)だけが、この山深い土地を巡る林道を走ることができる機会となっている。

 そんな理由もあるのか、MTBを使うマラソンレースとしては大変人気があり、レースが開催される前には自転車雑誌に詳しい解説が載ることもある。レースは100キロ、42キロ、20キロと距離でコースが3つに分かれ、基本的に一筆書きのコースになっているというのが大きな特徴になっている。周回ではなく延々走り続けるというのが、冒険旅行的な要素を強調しているのだろう。林道のほとんどが未舗装のダートで、斜面の崩落が各所にあり、人の頭ほどもある岩がゴロゴロしているというハードさらしい。しかも常に上りか下りという厳しさだ。

 比較的距離の短い42キロのコースではあるが、どうして彼女がこんな過酷なレースに参戦するのか、雄一には分からなかった。怖い物見たさなのか、それとも前に言っていたように、苦しい中に身を投じることで、自分を見つけるためなのか。だとしたら、自分発見――セルフディスカバリーとはよく名付けたものだと思う。彼女は店の常連らの車で未明に東京を出発し、朝5時前には長野に到着していたはずだ。スタートは6時だというから、かなりの強行軍になる。

 漫然と結果を待っているのも馬鹿げている気がして、XCバイクを洗車しようと思い立った。バケツと中性洗剤、洗車用スポンジにタイヤ用のブラシを持ち出し、寮の管理人に断って外の水道とホースを借りる。そして自転車置き場前のスペースで洗車し、拭き上げ、チェーンに注油。余分なオイルは拭き取る。バイクを風通しのいい場所に移し、逆さに置いて水を抜く。こんな適当な洗車でも、直後は気持ちよく走れるから、やるべきだと思う。本当は乗った後はから拭きするのがいいらしいが、そこまではできていない。やった方がいいかなあ、と愛車を見ながら考える。

 9月に入ってもまだ暑さは厳しいが、木陰にいれば風が爽やかで過ごしやすい。雄一はバイクが乾くまで目に届くところで読書をすることにした。読書と言ってもMTBの入門書だ。知識を仕入れて損は無い。しかも書かれていることは身体の軸を意識するだの、体重移動だの、分からないことばかりだ。トレイルに行く前に読んでおけば少しは違っていただろうかと考えながら読み進めていると、昼近くになっていた。携帯端末が彼女の連絡を報せ、少し心配しながら雄一は携帯端末を開いた。

〝2時間40分で完走したよ! 女子で3位だって!〟

 彼女は無事完走したばかりでなく、カテゴリ別での入賞を果たしていた。添付してある画像には、誇らしげな顔をした桜子が愛車と共に写っていた。

〝おめでとう 帰ってきたら祝杯だ〟

 雄一は短く返した。彼女がほとんど毎日XCバイクに乗っていたのはこのためだ。苦しかった関宿行だって練習の一環だった。それが生き、カテゴリー入賞というカタチになった。我が身のように喜ばしかった。

 XCバイクが乾き、雄一は自室の前まで押していった。帰ってきた彼女がどんな笑顔を見せてくれるのか楽しみだった。しかし午前中の内にレースを走り終えても、一緒に行った他の常連たちは100キロのカテゴリで走っており、また、彼女自身も表彰式がある。中央道は渋滞するから帰りは深夜になるに違いなかった。今日はもう会えないかもな、と思いつつ午後を過ごしたが、夜10時過ぎに彼女から連絡が入った。

〝そろそろ首都高を降りるんだけど……〟

 雄一はそそくさと外に出る支度を始めた。寮からフォルゴーレまでは徒歩の距離だ。扉を開けて外に出ると夜風が気持ち良い。歩いているとその内、店から明かりが漏れていて、その前に車が数台止まっているのが見えた。あの光の中に彼女がいると思うと、甘美な血液が心臓から全身に広がるのが感じられた。店に着くと、皆、荷下ろしで慌ただしげだった。そして自販機の前に手ぶらの桜子の姿を見つけ、雄一は小さく手を上げた。

「お疲れ」

「本当に疲れたよ……」

 彼女は心底疲労困憊している様子だ。髪は乱れ、化粧も落ちている。それでも満たされたような笑顔を彼に見せてくれた。

「荷物は?」

「――その辺に落ちてると思う……」

 桜子はがっくり力なく肩を落とした。XCバイクは店のスタンドに掛かっていたが、ハイドレーションパックとヘルメットは文字通り、店の前に落ちていた。雄一は荷物を拾い、彼女のXCバイクを押して持ってきた。

「帰ろうか」

「――うん」

 彼女は力なく頷いた。桜子が店長や常連に別れを告げ、雄一は彼女と一緒に歩き始める。

「自転車に乗った方が楽じゃないの?」

「お尻痛いし、股ずれもあるし、乗るどこじゃない……片脚、肉離れしちゃったし。荷物持ってくれて感謝です、はい……」

 弱々しい微笑を浮かべた横顔が街灯に照らし出されていた。

「このくらい、いいけど」

「頼まなくても来てくれるって思ってた……」

「話を聞きたかったし、顔を見たかったし」

「――なんでこんな疲れ切ってる時に歯の浮く台詞言うかな……ホント、謎なんだけど」

「君が初レースで初入賞した記念日だから、今日は特別」

「そっか……そういうことか。なんか実感湧いてきた……走りきって良かった」

 桜子は目を細めて嬉しそうに笑った。

「満足した?」

「うん。やってみるもんだね。最初は恥をかきたくない一心で練習してただけなんだけど。本当に辛かった。でも、もう次は100キロを走りたくなってる。不思議だな……」

 くたびれきった桜子の横顔に笑みが浮かんだ。そんなに苦しくて辛い思いをしたのに今度は更に上を目指そうとしている彼女が雄一も不思議だった。

「次はさ、佐野倉さんも参戦しようよ」

「そんな疲れ切った姿で言われてもな……」

「悪魔の契約ですよ、ダンナ」

 桜子はニッと笑って見せた。

「何が楽しいのか」

「120キロツーリングの時に言ったでしょう。『当たり前の生活じゃ分からなかった自分の感情が見えてくる』って」

「そうだったね」

 自分自身のことは意外と分からないものだと、彼女と一緒に走るようになってから幾度も感じている。今もそうだ。

「って訳で、来年5月の王滝は佐野倉さんも参戦決定、だよね」

「どうだろうね」

「未明出発で長野でレースだと時間的にも体力的にも厳しいから、次回は前泊しようって話が出ているんだけど」

 他の王滝参戦者は男ばかりだ。雄一は思わず眉をひそめた。

「仕方がない。予防線を張るために行くか」

「なにそれ。1人だって悪い虫なんて寄せつけないよ」
 そして2人顔を合わせて苦笑した。そんな他愛もないことを話している内に桜子が住むアパートの前に着いた。XCバイクを自転車置き場に入れ、鍵を二重にかけてからカバーをかけ、2階に上がる。本当は室内に持ち込みたいが、そこまで広さに余裕がないので悩んでいるそうだ。そして桜子が自室の扉を開けると雄一は荷物を手渡した。

「――お茶でも飲んでいく?」

 桜子が弱々しい笑顔を浮かべながら言った。

「疲れているのに気を遣わせたら悪いよ」

「荷物持ちしてくれたお礼は絶対にするから」

「今さらお礼なんて関係でもない。そうそう、明日はゆっくり身体を休ませなよ」

「連絡するから」

 その時グウと腹の虫が鳴った。雄一のそれではなく、桜子が苦笑していた。

「食べてないの?」

「車内じゃ寝てたし、渋滞激しかったんで……」

「何か作ってあげよう」

 軽い親切心で雄一は言った。

「荷物持って貰った上に気を遣わせてる私ってダメダメだね……」

「疲れてるんだし、仕方ないさ。冷蔵庫には何かある?」

「食材は普通に残ってると思う……」

 桜子は廊下に荷物を置くと力なく雄一を手招きした。考えてみると一人住まいの異性の部屋に入るわけだが、ロマンティックなシチュエーションではない。今日のところは保護者的感覚らしい。それに彼女は自分を信頼しているのだろうから、裏切ってはならないと思えた。雄一は玄関に入り、邪念よ去れと心の中で唱えながら、扉を閉めた。

<つづく>
※この物語はフィクションであり、実在の人物や団体、地域などとは関係ありません

監修
岡 泰誠(日本スポーツ協会公認自転車競技コーチ)コスモス パフォーマンス コンサルティング
松本佑太(フカヤレーシング)

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