猪野学の“坂バカ”奮闘記<46>太っちょは強いサイクリストになるという‟都市伝説”は本当か? 「100キロ倶楽部」で検証
こんな都市伝説がある。「昔太っていた人が自転車に乗ると優勝するほど速くなる」。あなたの周りにもそんな人がいないだろうか? 私の周りには数人いる。最初に遭遇したのは、私がプライベートで所属している自転車チームの1人だった。
衝撃!バルベルデは「デブデルデ」だった
この自転車チームはダーツバーのお客で構成されているので、スポーツとは無縁の人が多かった。そんな中に体重100kgは超えるであろう部員がいた。
ある日、みんなでヤビツ峠に行こうという話になった。当初チームの中では私が1番速く、エース的な存在であった。スタートすると案の定、私が1人抜け出し独走状態となった。その状況に「まだまだエース座は安泰だな」と一人ほくそ笑んでいた。
しかしゴールが近くなったところで後ろに気配を感じた。振り向くと「100キロ君」が涼しい顔で付いてきているではないか!? 我が目を疑うとはこの事だ。
すると100キロ君は「坂って楽しいですね!」とその風貌に似合わないセリフを吐き、軽々と私を追い抜いていった。私の自転車より重いアルミの自転車でだ。彼はその後、数々のヒルクライムで優勝し、私のエースの座はあっけなく剥奪された。
もっとすごい例をあげよう。私は年明けに『チャリダー★』でスペインロケに行って来た。親友のアレハンドロ・バルベルデに会うためだったのだが、そのロケで衝撃的な事実が発覚した。それは、バルベルデはかつて幼い頃まるまると太っていた。そう、「デブデルデ」だったという事実だ!
驚きと同時に、世界中のメディアでこの事実を捉えたのは我々が初めてだろうという妙な誇らしさがこみ上げた。
自転車競技にはこういった側面がある。昔、太っていたり、スポーツとは無縁のオタクな人がとんでもないパフォーマンスを発揮する。私が思うにこの現象は、体重100kgの前身に血液を送る強靭な心臓と体重100kgの身体を支える強靭な下半身によって起こると推察する。筋肉を残したまま脂肪を削れば速くなるという論理だ。
選ばれし3人の「100キロ倶楽部」
この論理を立証すべく今年チャリダーでは新たな企画が始まった。その名も100キロ倶楽部」だ!! 表向きは体重100kgの人が距離100kmを走れるまでを密着することになっているが、私は密かに彼等には速くなってもらい、ヒルクライムで好成績を出すまで成長して、この都市伝説を具現化してもらいたいのだ。
選ばれし“勇者”はお笑い芸人の「上木恋愛研究所」のキューティー上木氏とロマンス河野氏。そして番組スタッフの、やく丸君の3人だ。見事に不健康に肥え太った3人。まずは現段階で何処まで走れるのか試してみることになった。
100kgがいきなり100kmに挑戦
走るのは「箱根駅伝」のコース。東京・大手町から箱根・芦ノ湖までの100kmで試すことになった。到底、芦ノ湖までは辿り着けないだろう…おそらく横浜まで行ければ良い方だ。
スタートして間もなく私はこのロケの過酷さを悟った。彼らは医師に指定された心拍数以上を上げられないため、出せるスピードが時速18km程度という縛りがあった。
タイ合宿の様に遮熱の40℃のなか時速45kmで引き摺り回される苦しさもあれば、真冬の極寒で時速18kmしか出せない苦しさもある。世の中は様々な苦痛に満ち溢れている。
しかし横浜を過ぎても彼等はまだまだ付いてくる。売れない役者や芸人には、一般人には備わっていない特殊な根性が宿っている。それは「売れない」という現実の悔しさ、嫉妬、不運など様々なものから構成される「意地」のようなものだ。売れない時期が長ければ長い程、それは根強く、粘り強いものになる。
しかし、そんな彼らに最大の試練が訪れる。箱根駅伝名物「権太坂」だ! やはり1番体重のある上木氏が最初に身体の痛みを訴えた。しかし顔を歪めながらもまだ走りたいという。リタイアは彼の意地が許さないのだ。
しかし私はこれ以上は危険と判断し、上木氏にリタイアを宣告した。そのすぐ後に、スタッフやく丸氏のチェーンが悲鳴をあげ、切れた。色々と悲鳴をあげ出す100キロ倶楽部。
しかし唯一悲鳴を上げない男…河野氏だ。まだまだ元気そうだ。これは逸材かも知れないぞ! バルベルデのようになるかも知れない。しかし日没が迫ったために、この日のロケは茅ヶ崎までの60kmで終了となった。
しかし私は彼らに可能性のようなものを感じた。彼らの走りの中に「強さ」を感じたからだ。売れない現状を何とか打破したいという、沸々と湧き上がるものがペダルへと乗り移る。
小さな光明が見えた時、未知の力を発揮し、奇跡を起こす。もしかするとそんな奇跡を起こすかも知れない…それが100キロ倶楽部だ。
一人で「逆100キロ倶楽部」に挑戦
こうなればそんなに売れていない私も黙ってはいられない! 私はこのコロナの騒動を利用して密かに実験を開始しているのだ。題して「逆100キロ倶楽部」だ! どうせドラマの撮影もないし、レースもない。複雑な気分だが、こんなことは滅多にないと受け止めて、これを機に肥え太り、筋肉ちゃんを増やそうではないか!
日々の規則正しいローラーと自炊のおかげで私の大腿四頭筋はみるみる着実に肥大化している。そしてお腹もポッコリ出てきた。何だこの腹は!我が人生初めての醜態だ! だ、大丈夫だ…外を走れるようになればこんなものは削ってしまえばいい、もちろん筋肉ちゃんを残したまま…。
100キロ倶楽部と逆100キロ倶楽部! 入り口は違うがゴールは一緒だ。いつの日か晴れた青空のもと、この実験結果を思う存分検証するヒルクライムを夢見ながら…私は今日も肥え太る。
(画像提供:猪野学)

俳優・声優。自転車情報番組NHK BS1『チャリダー☆』(毎週土曜18:00~18:50)にレギュラー出演し、「坂バカ俳優」という異名で人気を博す。自転車の他、空手やスキーなども特技とするスポーツマン。俳優として舞台や映画、ドラマなどで活躍する一方、映画『スパイダーマン』のトビー・マグワイアの声優としても知られる。ウェブサイト「マナブログⅡ」