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連載第6回(全21回)MTBウェブ小説「インナー×ロー」 第6話「ポタリング」

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「今度の土曜日、晴れたら都内を自転車散歩しませんか」

 昼休みが終わりかけた頃、桜子から連絡が来た。朝、何も言っていなかったのに何を思いついたのだろうと読み進めると、「れんちゃんも一緒です」と書いてあった。彼女の友人で、雄一の同僚でもある柏木恋のことだ。

■あらすじ

 佐野倉雄一(サラリーマン)は突然自分の前から姿を消した恋人の愛車を駆り、彼女が走りたがっていた王滝SDAに参戦する。 彼が自転車を始め、彼女と自転車通勤をし、山に行き、ポタリングをし、恋人同志になり、彼女を失い、喪失感の中、王滝で自分を見つけ出す物語。

■登場人物

佐野倉雄一:アラサー独身のサラリーマン。無趣味だったが、MTBに出会い、サイクルライフをスタートさせる。27.5インチハードテール。

山下桜子:部署は違うが雄一の同僚。自転車乗りとしては先輩なので何かと世話を焼く。意味ありげな言動が多い。27.5インチフルサス。

柏木恋:桜子の親友。雄一とは同じ部署。桜子のお下がりのクロスバイクを使っている。

 ちょうど彼女がランチからフロアに戻ってきたところで、雄一は顔に疑問符を浮かべながら彼女を見た。その視線に気づき、やけに冷静な声で柏木は言った。

「見ました?」

「どういう流れでそうなったのか謎なんだが。梅雨真っ最中だし」

「私が言い出したんです」

「これまたどうして」

「どうしてって……友人を心配してです」

「はあ」

 フロアの同僚達が二人の会話を珍しいものを見る目を向けており、雄一はそれ以上、訊くのをやめた。

「では、お天気次第ということで」

 柏木は自席に着いた。何が起きているのかさっぱり分からなかったが、とりあえず週間予報をチェックすると、2日とも曇りの予報だった。7月に入り、本格的に梅雨に入ったお陰で身体を休ませられて、晴れの時は桜子と同じ遠回りのルートで出社できている。肩こりは減った。強くなってきた実感がある。その矢先にこの誘いである。ちょっとゆるい感じだが、自転車を買おうと思った時、ポタリングを頭に浮かべていたのも間違いない。これも自転車の楽しみの1つなのだが、それを柏木が言いだしたというのは彼にとって謎だった。

 翌日も翌々日も雨が降り、桜子との会話がないままに土曜日を迎えた。雨の日の通勤で待ち合わせる空気は、今の2人の間にはない。集合場所なども携帯端末でのやりとりだけで、浅草寺雷門前とのことだった。幸い、雨は未明に止んでくれ、まるで外国人の観光だと思いつつ通勤ルートを行く。荒川を北上し、スカイツリーを見ながら国道6号線を上り、今日は言問通りを直進して浅草寺に至る。そして雷門は逆側だったことに気づき、ぐるっと西から回り込んだ。

 集合時間は10時。10分前だったが、桜子と柏木は雷門の前にいた。土曜日だけあって観光客が多く、自転車が邪魔げだった。

「僕、実は浅草、初めてだったりして」

「実は私も」

 桜子が苦笑すると柏木が呆れたように答えた。

「あんた東京に住んで何年よ?」

「1年半だよ。実家は千葉だけど」

「僕なんか6年いる。近いと来ないんだよな」

 そして雄一は大提灯と赤い門を見上げた。

「一応、写真撮っておきますか。ほらほら、並んで」

 柏木がデジカメを構え、桜子と雄一にレンズを向けた。

「れんちゃんは?」

「あたしは3代続く江戸っ子ですよ。恥ずかしくって観光なんてできますかって」

 そう言われると言い返せず、雄一は桜子に訊いた。

「もしかして今日のガイドって彼女?」

「うん。私も行き先は教えられてない」

「はいはい、こっち見て!」

 はは、と苦笑いし、雄一は柏木が持つデジカメのレンズに目を向けた。

 自転車置き場にバイクを置いた後、仲店を通って浅草寺本堂にお参りをした。浅草に初めて来た雄一は自分の知らない東京の姿を目の当たりにして、観光客気分になれた。お参りを終えた後は再びバイクにまたがって、柏木の先導で言問通りを西に向かう。彼女の走りは安全運転で、MTBとの平地走行性能の差か、クロスバイクとしては走る速度が遅くても気にならなかった。

 谷中霊園を通り、数え切れないくらいお寺の前を通り過ぎて谷中に至る。そして野良猫が集まることで有名な階段から商店街に入った。この商店街から根津へ抜ける蛇道に掛けては点々とアート系の雑貨屋さんや作家の工房などが入っていることもあって一種独特なエリアを形成していた。商店街は人通りが多く、自転車を押して歩ける様子ではなかったので、3人は階段の前に自転車を停めた。

「うわあ、一度、来てみたかったのよね。本当に猫がいる~~」

 桜子が民家の塀の上にいる野良猫を見つけて声を上げ、柏木がまた呆れたように答えた。

「そう思ってたら来ればいいのに。サイクリングロードを走ってばかりじゃなくてさ」

「柏木さんはここによく来るの?」

 雄一が訊くと、柏木は一拍おいて首を横に振った。

「中学まではこの辺に住んでいたんですよ。ここに来ると懐かしい感じがしますね。もうその頃には既に観光地化してましたけど。さて、お2人にここで質問。商店街で買い食いをしてお腹を満たすか、美味しい定食屋さんに入るか、どっちがいいですか?」

「歩きながら決めちゃダメかな?」

 桜子が即答し、雄一もそれでいい、と同意した。

「まあ分からないでもない」

 柏木は頷いた。そして商店街を歩き始めるとまず桜子が猫の手のカタチをしたドーナツを売っている店に掴まり、次に雄一が昼間しか営業していないというコーヒー屋に掴まり、最後に有名人の写真が一杯張り出された肉屋のメンチカツを3人で立ち食いして止めを刺された。立ち飲みのビールと日本酒は飲酒運転になるのでスルーしたが、それでもお腹は満たされた。桜子は商店街の出口付近で項垂れた。

「――これで定食を食べると完全にカロリーオーバーです」

「でもいいんじゃない? 僕はこういう立ち食い好きだな。学生に戻った気分だ」

 雄一は小さく頷き、柏木が桜子に声を掛けた。

「暑いし、ちょっと疲れちゃったからどこかでお茶にしようか」

「賛成!」

 雄一は女子2人に意見する気はない。商店街の入り口に戻ってバイクを回収し、柏木の先導で根津方面に下り始める。途中、甘い香りが漂う焼き菓子の専門店で作りたてのフロランタンを買い求め、帆布を使ったバッグ工房や、千代紙や手ぬぐいを売っているお店に立ち寄った。雄一は手ぬぐいを購入した。そしてまた少し自転車で走り、寺の脇を通り、猫グッズが店頭に並ぶお茶屋さんに至った。時計は既に2時を回っていた。店中は至って和風で、昭和の佇まいだった。説明書きによると、猫がいるカフェ、とのことで、残念ながら3人が入った時には1匹も猫がいなかった。それぞれお茶やコーヒーを頼み、ちゃぶ台を囲む。注文の品が来るまでの間に桜子は席を外し、柏木と2人きりになった。会社では会話がないため、雄一としては気まずい。しかし桜子の姿が消えるや否や、柏木が口を開いた。

「2人は不思議な関係ですね。確かに付き合っているって感じじゃないけど」

「事実、つきあっていない」

 雄一は柏木の顔を見ず、窓から店の外を眺めながら答えた。

「社内で噂になっているの、知ってます? 私は警備のおじさんから聞いたんですけど。毎朝一緒に出社して……」

「特に隠してないから、見られてるかもね」

「桜子、社内で人気あるんですよ」

「だろうね。美人で人当たりいいし」

「影の薄い佐野倉さんとどこに接点があったのか、みんな不思議がっています」

「彼女を心配しているんだろう?」

 雄一は今日のポタリングの趣旨を悟った。桜子との関係を訝しみ、内偵及び聞き取り調査するための場として設けられたのだ。

「桜子は桜子でお友だちって公言してたし。でもあの子、男嫌いで通していたのにどういう変化だって、しかも佐野倉さんが相手で……もう理解不能です、私」

 柏木は眉をひそめ、じっと雄一を睨んでいた。

「今日だけで柏木さんと1年分くらい話しているかな」

 今は怒った顔だが、柏木も普段はなかなか可愛い顔をしている。

「やればこうやって会話できるじゃないですか!」

「話す内容があればね……まあ、社内で浮いているのも分かっている。そんな僕が若手のアイドルに手を出したとなれば、それは問題だとも分かる」

「別に誰かに言われて今回のこれを企画した訳じゃありません。言ったとおり、親友を心配しているんです。桜子とはどういう関係なんですか?」

「むしろ僕が聞きたい。どういう風に見られてる?」

「失礼ですが、釣り合わないって見られてますよ」

 雄一はため息をついた。

「いや。彼女の言うとおりのお友だち。自転車を通じた、ね。それでいいんじゃないかな」

「でもあの子、入社時は男嫌いだって断言していたんですよ」

「単なるお友だちならOKなんじゃないの? それとも何か僕が彼女の弱みを握って付き合わせているとか、そんな風に思われているとか?」

「そんなこと思ってもいませんよ。なんですかそれ!」

「少し自分を卑下し過ぎたか」

「そういう問題じゃないです……もう、全く分かってないんだから……」

 そして不意に柏木は口を噤んだ。桜子が戻ってくるのが見えたからだった。桜子と入れ替わりで柏木が席を立ち、桜子は雄一の隣に座った。

「何を話していたんですか?」

 ちょうどその時、店長さんがコーヒーとお茶を持ってきてくれた。猫の手に見えるクッキー付きだった。

「何って……世間話」

 内偵されていたとは言いづらかった。

「れんちゃんから佐野倉さんを誘ってくれって言っていた割りには世間話なんですか? 本当ですか? 私、お邪魔だったら席、外しますよ」

「あのねえ……」

 どうやら桜子はいらぬ勘違いをしているらしかった。

「同じフロアにいるのになかなか話せないって、彼女、前に気にしていましたから。なのに私が何も考えずに佐野倉さんにMTBをプッシュして、結果的に一緒に行動するようになって、もしかして失敗だったのかなあと。友情にヒビは入らないかなあ、と」

「君が気にすることじゃない。朝一緒に自転車通勤しているのが社内の噂になってるって心配してくれたみたい」

「いや、だから、れんちゃんは佐野倉さんのことが気になっていて……」

「ないない。それはない」

「でも、佐野倉さんにはいいところ、いっぱいありますよ?」

 桜子はじっと雄一の瞳を見詰めた。彼女にそんな風に言われるとは心底意外だ。だから表情を繕えず、ぽかんと口を開けてしまい、気まずい空気が流れた。

「あ、そう。そりゃ、ありがとう」

 そしてコーヒーカップに口をつけたが、雄一にはその味が分からなかった。すぐに柏木が戻ってきて、2人とも平静を装う。しかし雄一は気がつかない内にため息をついていた。せっかくのポタリングなのにこれでは楽しみ半減だ、と心の中で言葉にしたからだが、すぐに気づいてフォローをした。

「いろんな所を回ると意外と疲れるね。小休憩を何度もとるのも、分かるよ」

「ポタリングっていいね。また計画してよ、れんちゃん」

「これからは暑くて自転車どころじゃないから、涼しくなったらね」

 柏木は桜子に笑顔を見せた。確かに彼女の言うとおり、真夏のポタリングは辛いに違いなかった。しばらく静かにお茶を飲んでいると、外から猫が1匹戻ってきた。そして2人の女子の前でアクビをして、だらしなくお腹を見せた。やっと猫カフェらしくなってきた、と手をのばそうとした瞬間、先に2人がなで始め、雄一は出鼻を挫かれた。

「うわー慣れてる~」

 柏木が感嘆し、桜子が眉をひそめた。

「実家の猫でもこうは触らせてくれないわ。動物としてはいかがなモノだろうか」

「桜子ん家、猫飼ってるんだ」

「自分が王様だって思ってるバカ猫だけどね」

 雄一と話している時とは打って変わった桜子の口調に、雄一は笑いを禁じ得なかった。

「私、何か変なことしました?」

 桜子が解せない、というような顔をして眉をひそめた。

「いや、それが山下さんの素なのかなと思って。口調が全然違う」

 雄一がそう答えると桜子は真っ赤になった。

「それは……女の子だけの時と男性と一緒の時と、口調が違って当たり前じゃないですか。それぞれ立場ってものがあるし」

「分かってるよ」

「でも佐野倉さんだって本当は2人だけの時に『桜子』って呼んでいるんじゃないんですか? なら今の桜子と同じことでしょう?」

 柏木の問いに雄一は首を横に振って答えた。

「いや。いつも『山下さん』って呼んでる」

 信じられない、と言う顔をして柏木は絶句した。

「――本当に?」

 桜子も頷いた。雄一は思い返した。

「そういえば店長も常連さんも『桜子ちゃん』って呼んでたなあ」

「私は佐野倉さんの呼びやすい方で構わないと思いますよ」

「――って言われても今、桜子ちゃんって呼ばないとならない雰囲気じゃない?」

「じゃ、桜子と呼んでください」

 満面の笑みで答えられ、雄一はまたそっぽを向き、窓の外を見た。柏木に責められ、桜子に問われ、災難が続いたが、今、この瞬間が一番大変だ、と雄一は思った。

 猫カフェの後は、上野を通り過ぎて御徒町まで下り、JR高架下にアトリエショップが建ち並ぶエリアを散策した。革細工や木工細工のアトリエ、ジュエリーやバッグのショップなどが揃っており、女子2人は時間を掛けてウィンドウショッピングを楽しんでいた。雄一もそんな2人を見ながら、ささやかな満足感に浸っていた。

 時間を掛けた割りには2人とも何も買わず、柏木とは蔵前橋通り高架下で別れた。彼女の今の住まいは北区とのことだった。

「今日1日、お楽しみ頂けたでしょうか」

 柏木の別れの言葉は、彼にとっては難しい問いだったが、それでも小さく頷いた。一方の桜子はといえば、大きく頷いていた。

<つづく>
※この物語はフィクションであり、実在の人物や団体、地域などとは関係ありません

監修
岡 泰誠(日本スポーツ協会公認自転車競技コーチ)コスモス パフォーマンス コンサルティング
松本佑太(フカヤレーシング)

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神野淳一 連載小説「インナー×ロー」

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