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連載第5回(全21回)MTBウェブ小説「インナー×ロー」 第5話「トレイル②」

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 小川に沿って万源山を北に回り込み、頂上付近にある展望公園までの道を上り始める。標高300メートルほどの低山だ。坂の入り口で既に標高100メートルの表示があったから、上りは200メートルだけだが、標識に勾配10%とあり、雄一には相当な傾斜だ。

■あらすじ

 佐野倉雄一(サラリーマン)は突然自分の前から姿を消した恋人の愛車を駆り、彼女が走りたがっていた王滝SDAに参戦する。 彼が自転車を始め、彼女と自転車通勤をし、山に行き、ポタリングをし、恋人同志になり、彼女を失い、喪失感の中、王滝で自分を見つけ出す物語。

■登場人物

佐野倉雄一:アラサー独身のサラリーマン。無趣味だったが、MTBに出会い、サイクルライフをスタートさせる。27.5インチハードテール。

山下桜子:部署は違うが雄一の同僚。自転車乗りとしては先輩なので何かと世話を焼く。意味ありげな言動が多い。27.5インチフルサス。

柏木恋:桜子の親友。雄一とは同じ部署。桜子のお下がりのクロスバイクを使っている。

サイクルフォルゴーレの店長:雄一のサイクルライフを手助けするプロフェッショナル。「アウター×トップ」から引き続き登場。

加藤、小瀬木、有季:サイクルフォルゴーレの常連。

 そのうえ、くねくねと曲がりくねっていて、最初のカーブを曲がりきったところで心が折れた。あまり身体を動かすことなく上りに入ったため、心拍数が急に上がり、身体がついてきていない。幸い加藤が早々に諦めてくれ、1人でばつの悪い思いをせずに済んだが、トレイルバイクの小瀬木と軽量XCフルサスの桜子は上り続けていた。

「姉さん、気合い入ってるわ」

 バイクを押して坂を上る加藤が感嘆した。彼のバイクは公園でトリックに使っていたそれで、後部にディレイラーがついていない。つまり、シングルバイクという奴だ。上りは自走なのにと行きの車内で小瀬木に呆れられていた。

「本当、感心しちゃうよな」

「姉さんはああ言ってましたけど、佐野倉さんの方は気があるんでしょ?」

 ずばり訊いてくるなあ、と呆れつつ雄一は加藤を見る。これも若さだと思えた。

「分からん。親切にしてくれてるから勘違いしているだけかもしれない。そんなこと考えるより今日1日を楽しむ方が先だ」

「おう、真理。トレイルは正義!」

 加藤が感嘆した。

 カーブが終わり、少し坂が緩くなった。息も整ってきた。ギアは既に一番軽いインナー×ローにしていて、雄一はそれすら重くてペダルを踏むのが辛かったが、勾配が緩くなったのでまた頑張れそうだ。シングルバイクの加藤を尻目に、XCバイクに再搭乗し、ダンシングで上り始める。

「素人のダンシングなんて長続きしませんぜ」

 それでも雄一はここだけでも踏み切りたく思う。彼の言葉通り、脚はすぐに売り切れてしまったが、それでも雄一は前を見て、大きく深呼吸して、坂の上に小さく見える桜子のバイクを追う。大腿部に乳酸が溜まっていくのが実感され、それと同時にふくらはぎがピクピクと震え始めた。こむら返りの予兆だ。高校で自転車通学を始めた時にやった覚えがある。だが、こんな風にすぐになるものでもなかったはずだ。運動不足にもほどがあると気合いを入れる。しかし気合いだけで運動不足を補えるはずもなく、痙攣が激しくなる前にサドルから腰を下ろした。

「――悔しいなあ」

 桜子のバイクはカーブを曲がり、また見えなくなった。雄一の玉の汗が額から流れ落ち、アスファルトを濡らす。息も絶え絶えで、酸素不足でアクビが出る。

「佐野倉さーん。大丈夫?」

 坂の下から加藤の声が聞こえた。

「――大丈夫だけど、自分の、未熟さを、思い知った……だけだったよ」

 そしてペットボトルで水分補給をし、呼吸を整え、加藤が追いつくのを待った。追いつくとバイクを押して再び2人して坂を上り始める。途中、加藤はデイパックの中にタンクを仕込むハイドレーションシステムを使って水分補給をしていた。いちいちデイパックからペットボトルを出さなくて済むのが楽そうで、雄一はハイドレーションを、是非とも欲しいアイテムの上位にランクインさせた。

 展望公園に着くと、既に桜子と小瀬木は平然とした顔をして木陰で休んでいた。4人とも公園の売店でアイスを買い求める。身体を酷使した後だけに異常に美味しく感じられた。食べ終えると山頂へ向かう遊歩道へバイクを走らせる。未舗装の遊歩道は緩い勾配があり、雄一でも慎重にハンドリングしてペダルを踏めば上れた。だいぶそれらしくなってきたと思われた辺りで、少し下りに差し掛かったが、そこは道の左右が切り立った、いわゆる尾根道だった。道幅は70センチ以上ある。落ち着いて走ればどうということはないはずだが、左側は視界が開けていて、山間の水田と用水路が一望できる。歩いているなら眺めがいいで済むが、自転車で通るとなると話は別だ。

「じゃ、加藤1番、桜子ちゃん2番。佐野倉さん3番で、オレ、しんがり」

 小瀬木が仕切り、まずは加藤がさっと前に出て、尾根道を渡りきり、その先の茂みの中に消えていった。加藤に続いて桜子も尾根道を渡り、消えた。次は雄一の番だ。

「大丈夫。ゆっくり行って構わないから」

「おう」

 小瀬木は同年代だから、自然と口調も変わる。雄一は桜子のアドバイス通りハンドルを小指からしっかり握りしめ、尾根道に向かってペダルを踏んだ。幸い緩い勾配があるのでその後は自然に任せて進む。所々に木の根が現れている。衝撃をフロントのサスペンションが吸収し、無事前輪が乗り越える。しかし木の根が道に対して斜めに現れているため、後輪で引っかかって、ずるっと滑った。しかし慌てなかったお陰かなんとか乗り越えた。冷や汗ものだ。尾根道はまだ続き、木の根もまだまだある。しかし怖がっていては身体が強ばり、思うように動けなくなる。

 最初にアドバイスされたようにサドルから腰を上げて右を前にペダルを水平に。そして両脚でバランスをとって、バイクを制御する。緩いカーブではハンドルバーを動かすのが躊躇されたため、身体を傾けてバイクを操る。どうやら、それが正解のようで、すっと曲がれた。無事、尾根道が終わるとまた茂みの中に入った。その先はまた上り返しており、そこで加藤と桜子が待っていた。小瀬木は無事に雄一が渡りきったのを確認した後、猛烈なスピードで追いつき、褒めた。

「佐野倉さん、上出来だよ」

「でも、イヤな汗かいたよ。後輪の挙動が読めないのが怖い」

「私も初心者ですけど、フルサスだとその辺の心配が無いから怖くないんです」

 桜子が得意げに言った。

「リアサスのお陰でバイクが勝手に乗り越えてくれますからね。最強です」

 加藤がそう言うが、加藤と小瀬木のバイクもハードテールだ。

「だから逆にフルサスだと上手くならないと言うけどね……」

 小瀬木は桜子のバイクと雄一のバイクを見比べた。

「佐野倉さんがハードテールを選んだのって、やっぱり悪くないと思うよ」

「そう言われると、やる気出さないわけ、いかなくなるじゃないの」

 雄一は笑って見せた。少し休んだ後、また上り始める。今度は押し担ぎだ。所々掲示板が出ていて、城跡の表示もあった。とりあえず頂上を目指してバイクを押していき、ほどなく到着する。そこには半ば朽ちた木のテーブルと椅子があり、また休憩。北側に視界が開けていて、田畑が広がるのどかな町が一望できた。

 記念写真を撮った後、ようやく本格的な下りの道に入った。そこは半ば藪と化しており、ガイド役の小瀬木がいなければ通り過ぎていたであろう小径(こみち)だった。順番は先ほど同じで、加藤、桜子、そして雄一の順番で下っていく。尾根道ではないので、比較的怖い思いをせずに、ブレーキを掛けながら、ゆっくり下れた。後輪が滑っても慌てずにバランスをとればそのまま抜けてくれることが分かり、雄一は大きく息を吐きつつ下り続ける。藪を抜けるとまた普通の下り道になっており、道が分かれていた。そこに2人の姿があり、安堵しながら雄一はバイクを止めた。しっかりとグリップを握りしめていたせいか、握力が無くなりかけていた。

「どうにか無事、降りられました」

 2人は頷いた。ほんの少し下っただけなのにどっと疲れた気がした。残り少ないペットボトルのスポーツドリンクを口にし、小瀬木を待つ。彼はすぐに現れ、下りを再開する。それを2度ほど続けるとかなり麓の方まで来てしまっていた。そして、いかにもな植樹林を抜けるとアスファルトの道に出てしまった。

「1本目終了! どうでした? トレイル初体験は?」

 加藤が雄一に言い、桜子も訊いてきた。

「ね、私が言ったとおり、大丈夫だったでしょう?」

「ああ。でもこのトレイル、村の周りでスライム退治しているくらいの難易度なんじゃないの?」

「そんな感じですね。トレイルは長い方が面白いってのはあるけど、コースの難易度で楽しい、楽しくないってのは、また人それぞれですしね。みんなで楽しめることが大切で」

 加藤が頷きながら言い、雄一は興奮気味に答えた。

「でも、だから3本行きたいとかって言っていたのは理解したよ。短くてもこんな感じで何度か降りられればそれはそれで楽しいしね。自転車だからさ、長く、それこそツアーみたいなのを想像していたんだけど、そうでもないんだね」

「途中で美味しいモノを食べられるのも大切だしね」

 桜子の台詞に加藤と雄一は、笑って同意した。小瀬木が戻ってくると、朝が早かった分、昼食も早くとろうということで一端、道の駅に戻ることになった。小川に沿って、まったりとペダルを踏んで道の駅に戻り、レストランに入って全員同じ、天盛りうどんを注文する。まだ昼の時間前だったのでお客は少なく、すぐに出て来た。天ぷらは数もあり、天ぷらタネはいずれも地元産の野菜で、昔からこの土地では家の主婦がうどんを作る風習があり、郷土料理として残っているとのことだった。天ぷらもうどんも美味だった。

 お腹が満たされた後、2本目に出かけた。2本目は別ルートで、オフロードの伐採道を上がっていくものだった。これまで大汗をかいて、休み休み上り、下りも雄一のペースに合わせて、スローに降りて貰った。そして山を最後まで下りずに折り返してまた上りに入り、城跡に周って別の斜面を降りた。その頃にはもう腕が上がり、太ももは乳酸でパンパンになり、膝から下は自分の身体ではないと思ってしまうくらい重くなっていた。これで3本目を下るのは危険だと思われたので、雄一は素直に辞退した。桜子も3本目には向かわず、2人一緒に道の駅まで帰ってきた。

「しかし2人ともタフだよなあ。当たり前だけど上手いし」

 雄一は自販機で買った微糖のアイスコーヒーを飲みながら桜子に言った。

「佐野倉さんだってすぐにトレイルに慣れると思いますよ」

 桜子はペットボトルの炭酸飲料を飲みながら答え、そして続けた。「またコーヒーを飲んでいるんですね」

「うん。コーヒー中毒なんだ」

「妹の彼氏もそうなんですよ」

「へえ。意外だ。山下さんって、お姉さんなの?」

「私ってばしっかり者で、お姉さんタイプだと思いませんか?」

 桜子は少し上目遣い気味に雄一を見た。雄一は少し考え、言葉を選んでから答えた。

「面倒見はいいよね。常にハイテンションだし。お姉さんってイメージじゃないからかな」

「ひどいな。ムードメーカーって言って下さいよ」

 雄一は大笑いしたが、桜子は声を荒げた。

「何がそんなにおかしいんですか!」

 彼女はもう上目遣いではなく睨むようにして雄一を見ており、彼は笑うのを止めた。

「ごめん。僕さ、実はこんなに笑うの久しぶりなんだ。今日1日、トレイルが楽しくて、君と一緒にいるのが楽しくて、笑ってたんだ。本当にこいつに会えて良かった。そう思う」

 雄一は植え込みに立てかけてあるXCバイクに目をやった。

「――そんな寂しい人生送ってたんですか?」

「平々凡々。ここ数年、何にも起こらなかったのさ。涙を流すようなことも、笑うこともなかった。だから今、笑っちゃったの、許してくれる?」

「そんなこと言われて許さなかったら、どんな極悪人ですか、私」

 桜子は唇を尖らせてそっぽを向いた。

「ありがとう。本当に楽しめたよ。だからこいつに半分感謝、もう半分は君に感謝だ」

 雄一がXCバイクと桜子を交互に見ると、彼女はいつもの調子に戻って振り返った。

「あ、でもまだ終わっていませんよ。この後、日帰り温泉に行くんですから」

「そりゃ今日は、本当にイベント目白押しだね。温泉、筋肉痛に効くといいな」

 そしてまた雄一は笑った。

 加藤と小瀬木が帰ってくると、彼女が言っていた通り、車で町営の日帰り温泉施設に向かった。男3人は風呂で筋肉をほぐし、その後、売店で和菓子とおにぎりを買い求め、休憩所で腹を満たした。その頃、ようやく桜子が風呂から上がってきた。お茶とお冷やを飲み、TVを眺めつつ疲れを癒し、閉館時間を迎えて車に乗った。どうせ渋滞しているからここで休んだ方が得策という判断だったが、関越道はまだ外環道出口で渋滞しており、車は止まった。渋滞にはまるとどうにも眠気を抑えられなくなり、結局雄一は寝落ちてしまった。そしてしばらく眠った後、鼻元をくすぐられて目を覚ました。すると隣に座っていた桜子も瞼を閉じて眠り、雄一に体重を預けていた。結い上げた髪が少しばかり乱れ、彼の鼻をくすぐっていたのだ。高速の道路標示を見ると三郷まで来ていた。鼻孔がシャンプーの香りに満たされると同時に、肩に彼女の体温を感じた。

 そして、恋をしたい、と思った。

 翌朝、雄一は目覚まし時計のアラームで目を覚ましたが、布団の上で身動きが取れなかった。全身の筋肉痛と首のむち打ちのせいだった。とてもではないが自転車通勤は無理だ。この1週間あんなに距離を走って慣れたつもりだったが、付け焼き刃だったらしい。這々の体でかろうじて起き上がり、桜子に連絡を入れる。

〝今日は電車で行きます。動けません〟

 彼女が言っていたように、坂を上る筋肉と平地を走る筋肉は違うのだろう。それに、帰ってきてから調べたら、下りは無酸素運動で身体に結構な負担になると知った。呻きつつワイシャツに袖を通し、スラックスをはいて寮を出る。携帯端末を見たがレスはなかった。おそらく彼女は今日も自転車通勤なのだろう。無事駅に到着し、雄一は手すりを使って地下鉄の階段を下りた。

「生きてますか?」

 そして改札の入り口にスーツ姿の桜子を見つけ、雄一は声を上げた。

「山下さんも今日は電車なの?」

「私も休足日にしました」

 桜子はニッと笑って見せた。彼女と会えたことは素直に嬉しかったが、その笑顔には裏があるように思われた。

「自転車通勤を止めると思ったんだろ。で、釘に刺しに来たって感じ?」

「違いますよ。動けないって書いてあったから心配したんです」

「それはありがとう」

「本当に感謝してます? それと朝ご飯きちんと食べました?」

「食べる暇無かったよ」

「じゃあ、いつものコンビニで軽く食べてから出社しましょうか」

「僕の健康まで気遣ってくれて、またまたありがとう」

 桜子はまたニッと笑い、自動改札をくぐり、雄一も後に続く。混雑した通勤電車に乗るといつもなら憂鬱になるが今朝は隣に桜子がいる。今日は自分達のバイクよりも距離が近い、と嬉しく感じた。

<つづく>
※この物語はフィクションであり、実在の人物や団体、地域などとは関係ありません

監修
岡 泰誠(日本スポーツ協会公認自転車競技コーチ)コスモス パフォーマンス コンサルティング
松本佑太(フカヤレーシング)

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神野淳一 連載小説「インナー×ロー」

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