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連載第4回(全21回)MTBウェブ小説「インナー×ロー」 第4話「トレイル①」

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 「日曜日が楽しみですね。明日は身体をよく休めてくださいよ」。出社前、コンビニのイートインコーナーで桜子は嬉しそうに笑う。「言われなくてもそうするつもりだよ」。雄一は身体の奥まで溜まった疲労を感じながら、カップのコーヒーに口を付ける。

■あらすじ

 佐野倉雄一(サラリーマン)は突然自分の前から姿を消した恋人の愛車を駆り、彼女が走りたがっていた王滝SDAに参戦する。 彼が自転車を始め、彼女と自転車通勤をし、山に行き、ポタリングをし、恋人同志になり、彼女を失い、喪失感の中、王滝で自分を見つけ出す物語。

■登場人物

佐野倉雄一:アラサー独身のサラリーマン。無趣味だったが、MTBに出会い、サイクルライフをスタートさせる。27.5インチハードテール。

山下桜子:部署は違うが雄一の同僚。自転車乗りとしては先輩なので何かと世話を焼く。意味ありげな言動が多い。27.5インチフルサス。

柏木恋:桜子の親友。雄一とは同じ部署。桜子のお下がりのクロスバイクを使っている。

サイクルフォルゴーレの店長:雄一のサイクルライフを手助けするプロフェッショナル。「アウター×トップ」から引き続き登場。

加藤、小瀬木、有季:サイクルフォルゴーレの常連

 彼女のエスコートがなかったら、ギブアップしていたに違いない。体力の限界を感じながらも今週の4日間、自転車通勤ができたのは彼女のお陰だ。目の前にある笑顔が気力の根源だ。桜子は笑顔のまま続けた。

「とはいえ、この1週間でだいぶ鍛えられたんじゃないですか?」

「その実感はある」

 雄一は自然と笑みが浮かんでくるのが分かった。1週間無事走りきったことがささやかでも自信に繋がっていた。

「でも、平地の練習が坂に生きないことはままあるのですよ。ペダルの踏み方が違うので」

 桜子は意地悪げな笑みを浮かべた。

「イヤなことを言うなあ」

「私は自転車の先輩ですから、後輩に心構えを伝えないとなりません故。あと、走った場所については他言無用ですよ。いろいろとやっかいなので」

 桜子は神妙な顔をして人差し指を立てた。

「どうして?」

「ロードのコースなら、大抵は公道ですけど、MTBの場合、山に入るわけですよ。麓までは公道、途中まで林道でも、山の中は地元の自治体の整備歩道だったり、植林した山の伐採用道路だったりする訳で……その辺は結構、法的にグレーなんです。MTBが禁止されている山もあるそうですし」

「そうなんだ……」

「オフロードのオートバイが林道を越えてアクセル吹かして伐採用道路を無理矢理上って、それで削れてできた轍に雨水が入って路面を大きく削って、道として使えなくなったところがいっぱいあるんです。最悪ですよ……もちろん、だからってMTBが山を荒らしていないとは言えないんですけど、現状、MTBライダーの目から見るとそんな感じです」

「オフローダーから見れば別の意見があるだろうし、地元の人から見ればMTBもオフロードバイクもひとくくりだろうしな」

「管理されたコースもあるんですけど、そこばかりってことにはどうしてもならないし、難しいんですよね。でも、それが今の日本MTB界の現状です」

「難しい問題を抱えていたんだね……でも、僕はまだそのトレイルを見ていないからイメージが湧かないのが正直なところかな」

「では週末は考えながら走ってください。もう行きましょう。遅刻できませんし」

 桜子はスツールから腰を上げた。1週間しか経っていないのに、彼女とは昔からの友だちのような、擬似的な恋人感覚を味わっている。しかし単なる自転車仲間でしかないことも分かっている。雄一もスツールから腰を上げた。

「日曜日が楽しみだ」

 雄一の気持ちを読めるはずもなく、彼女はごく自然に頷いた後、満面の笑みを浮かべた。

「本当。楽しみですね」

 その笑顔に当てられ、雄一は目を伏せる。そして、このマイナス思考をどうにかした方がいいのかな、と考えた。

 目覚ましのベルで起床すると、雄一はカーテンを開け、窓の外を眺めた。まだ暗い空は少々ぐずついていたが、雨は夜まで降らない予報だ。

店の前に朝5時半に集合で、雄一はデイパックにドリンクや補給食の類を詰め込み、寮を後にした。早朝に起きて出かけるのは久しぶりだ。今日のツアーに彼女がいなかったとしても同様に胸が躍っていたに違いない。ドアの外に置いてあるXCバイクから鍵を外し、非常階段を担いで降りる。改めて空を眺めると黒い雲が強い風に早く流されていた。

「降らないでくれよな」

 言葉にすると逆に降りそうな気がしてきた。XCバイクにまたがり、店の前までいくと、今日のガイド役を務めてくれる人と店の常連、加藤がSUVにMTBを積み込む作業をしていた。雄一はガイド役とは初顔合わせだった。彼は小瀬木と名乗り、もうMTBには10年以上乗っているし、万源山はよく知っているから大丈夫、と雄一の不安を拭ってくれた。

 見たところ、雄一と同年代だ。雄一の方も挨拶と自己紹介を済ませ、小瀬木のSUVにバイクを積み込む準備を始める。小瀬木と加藤のバイクは前後輪を外して後ろのカーゴスペースに積載済で、雄一と桜子のバイクは前輪を外してルーフキャリアに積む予定だ。

 そして雄一のXCバイクの固定を終えた時、ちょうど桜子が現れ、3人に声を掛けた。今日の彼女はアウトドア雑誌に載っているようなファッションに身を包んでおり、少し印象が違って見えた。彼女のXCバイクもルーフキャリアに固定し、荷物をカーゴスペースに放り込んで、ようやく出発になる。

「しかし桜子ちゃん、やっぱり彼氏いたんじゃないのさ~」

 運転席の小瀬木が残念そうに言い、雄一と一緒に後部座席に座る桜子が、わざとらしく残念そうに答えた。

「これがまた、ただのお友だちなんですね」

「自転車人口が増えても、MTB人口はそうでもないから仲間が増えるのは歓迎ですよ」

 助手席の加藤が小さく頷いた。

「やっぱり遊び方……フィールドの問題ですか」

 小瀬木が答えた。

「そうだね。地元の人との付き合い方とか、山との関係とか、考えなくっちゃならないことはいっぱいある。そういうのが面倒だと思えば、止めちゃうしね」

「ですよねえ」

 雄一は頷き、小瀬木は次に桜子に話を振った。

「でもさ、桜子ちゃんの彼氏じゃないってんなら、まだオレにも望みある?」

「やだなあ。小瀬木さん、彼女いるじゃないですか」

「桜子ちゃんがつきあってくれるなら別れるよ、本当だよ」

「1ミリも信用できません」

 桜子は笑って答えたが、その横顔の中にどこか真剣な表情を見つけ、雄一はじっと彼女を見詰めてしまった。ガードは堅そうだ。気安くその手の話題を振らない方が身のためだろう。今はお友だちで十分なのだし、と自分に言い聞かせて瞼を閉じ、桜子の横顔を意識の表層から消した。

 渋滞していたため、関越道を秩父方面に降りたのは出発の1時間半後だった。東京の東部に住んでいると山を見ることはほとんどない。晴れていれば荒川サイクリングロードから見えるが、遠くに見えるだけだ。だから秩父山系が目前に見えるようになると、雄一は田舎に帰ったような心持ちになれた。整備された道路に水田。ところどころ残る古い家屋。どこにでもある地方の町が埼玉県西部には広がっている。インターから20分ほど車を走らせると道の駅があり、臨時駐車場に車を止めた。長時間駐車することになるので一般のお客さんの迷惑にならないようにしたいから、ということだった。

「ここの道の駅、うどんが美味しいんですよ。でも日曜日だと午前中になくなっちゃうかもしれなくって」

 XCバイクをルーフから下ろし、出発の準備をしながら桜子が言った。

「なるべく地元にお金を落としたいから、お昼前に1度、ここに戻ってくるつもり。それからもう1度出かける」

 小瀬木が自分のバイクを組み立てながら続けた。彼のバイクはトレイル用のハードテールで、見るからに頑丈そうなフレームだった。

「一度、山に行ったら戻ってこられないのかと思っていました」

「ここは短く上って短く下ってを繰り返す感じだから。それだけに初心者向きだし、疲れたら道の駅で休めるし、佐野倉さんも無理しないで行けると思うよ」

 バイクの準備が終わると小瀬木が雄一の背後に立った。

「はい、佐野倉さん、身体を楽にして立って~」

「何が始まるの?」

「簡単なテストですよ。それっ!」

 そして小瀬木が思いっきり雄一の背中を押し、雄一はバランスを崩して右脚を前に出して、どうにか倒れずに済んだ。

「先に前に出た足はどっちですか?」

 加藤が訊いてきて、何が起きているか分からないまま右、とだけ雄一は答え、小瀬木が続けた。

「それが佐野倉さんの利き足。諸説あるけど、一応、今日はそういうことで。下る時は腰はサドルから上げて、ペダルを水平に。脚は利き足の右を前にする」

 そういえばスノーボードをやったときも利き足を調べた。前にしたのが右だった。フットサルをやっていた時も、利き足とそうでない方ではコンマ何秒、コントロールに差が出るという話を聞いた。自転車でも同じらしい。

「あと、ブレーキはコーナーに入る前に早め早め。左手リアのブレーキレバーで減速して、右でコントロールする。視線は常に前の方。近くを見ると変な方に行っちゃうから。それと、危ないと思ったらバイクを放り投げて身体を守ること。バイクが谷に落ちても、後で引き揚げられるし。怪我するよりずっといい」

「私も最初、その洗礼受けましたねえ」

 桜子が懐かしげに言った。「初心者の私から付け加えますと、両手を突っ張らないこと。フロントが大きく揺れるけど、逆らわず、自然にコントロールしつつ、腕で衝撃を吸収しないと、後で鞭打ちになっちゃいますから。そのためには小指から握り込んで、親指は添えるだけって感じで」

「覚えることがいっぱいあるもんだ」

 雄一はため息をついた。

「スポーツを始める時は覚えることがいっぱいあるっしょ? さ、今日は三本は行きたいから早く行きましょうよ」

 加藤がバイクにまたがり、臨時駐車場を後にした。

「若い奴は元気が良い」

 小瀬木が加藤に続き、雄一も後を追った。

「いやいや、まだ僕らも若いでしょう」

 小瀬木の言葉に雄一は頷いてみせる。

「置いていくなよな、こらー」

 振り返ると桜子がようやくXCバイクにまたがったところだった。

「姉さんなら簡単に追いつけるでしょ。オレらの中で一番走り込んでるじゃないスか」

 先頭を行く加藤がバイクに乗ったまま静止させ、桜子を振り返る。年齢も生まれも違う。今日、初めて会った人間もいる。なのにこれから一緒に何かをしに行く。それが嬉しくて、そして、そう感じられる自分がいることも雄一はまた嬉しく思った。

<つづく>
※この物語はフィクションであり、実在の人物や団体、地域などとは関係ありません

監修
岡 泰誠(日本スポーツ協会公認自転車競技コーチ)コスモス パフォーマンス コンサルティング
松本佑太(フカヤレーシング)

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