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猪野学の“坂バカ”奮闘記<43>14時間で310kmを走りきれ! 日本最長のデスライド「下北半島ロングライド」で最強の坂バカ“覚醒”

by 猪野学/Manabu INO
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 日本一過酷な最長ライドがこの世には存在する。310kmを走る「下北半島ロングライド」だ。時間さえかければ完走する人は多いだろう。問題は制限時間だ。これがかなり厳しく、なんと14時間! しかも獲得標高も2000mを超える。この過酷な“デスライド”に俳優の先輩サイクリスト、筒井道隆氏と挑戦することになった。

日本最長のデスライド「下北半島ロングライド」に俳優、筒井道隆さんと挑戦!

「私は貝になりたい」大作戦

 筒井氏は、速い人が少ない芸能界において走力を持ち合わせる実力派であり、心強い先輩だ。しかし、今回は走り方をめぐって先輩と意見が分かれてしまった。ロングライドで1番危険なエイド。私はできることならあまり止まりたくない。しかし筒井先輩はエイドはしっかり止まって補給する派。芸能界はロケバスの座る席まで年功序列で決まっている縦社会。もちろん私は先輩の意見を尊重した。

芸能界切っての実力派サイクリストであり、大先輩の俳優・筒井道隆さん(左)エイドをめぐって意見が分かれるが、先輩のいうことは絶対だ…

 3日前からしっかりグリコーゲンを身体に貯め込み、いざスタート! 310kmの参加者はなんと20人。やはりよほどの変態じゃないと出場しようとは思わないのか…。スタートしてしばらくは平坦が続く。私は後方固定で脚を温存する。なにしろ先は長いのだ。

 しばらくすると恐山に向かう山岳が現れた。集団は一気にバラけ、6人ほどに絞られた。上りでももちろん踏まない。クルクル回して、上げてもせいぜい200W。自我を殺して走る。

 そう!私は密かに作戦を立てていたのだ。310kmとなると身体はもちろん、メンタルもやられる。「まだ何kmもある…」という風に残りの距離を考えるとそれだけで心が疲れる。というわけで思い付いたのが心と頭をシャットダウンし、なるべく思考を止めた。もう最初の200kmは無きものとする、題して「私は貝になりたい」大作戦だ!

 何をくだらないことを、とお思いかもしれない。しかし、人間は苦しさにフォーカスするから苦しいのだ。苦しいと思考しなければ苦しくないのだ。そう!フォースを信じるのだよ。ルーカスが言っているのだから間違いない! …というわけで大好きな勾配も無きものとし…、恐山もなんなくこなす。本気を出すのは残り100kmからだ。

なんとかして貯めたい「時間貯金」

 恐山から下ると第1エイドだ。ここで先頭を走る集団に追い付いた。この集団と一緒にスタートすれば、これから続く海岸線を楽に走れる。これはいい! 急いで補給とトイレを済ませる。先頭集団がスタートし出した。「さぁ行きましょう!」と筒井先輩を見ると、なんと珈琲を飲んでおられる。先輩のティータイムを邪魔することは芸能界では許されない。仕方なく先頭集団を見送ることにした…。

我々を苦しめることになった第1エイド。ただ、制限時間のスリルは、ある意味ロングライドの魅力かもしれない

珈琲を飲み終え、ようやくスタートしようとした時、今度は一緒に走っていた方が携帯を紛失したというではないか! 今まで協力して走って来たし、一緒にスタートしたい。しかし結局携帯は見つからず、仕方なく先輩と2人でスタートすることになった。

 スタートしてすぐに海岸線に出た。幸い風は強くなかったが、ここで衝撃の情報が舞い込んできた。第2エイドの制限時間がギリギリらしい。これはペースを上げないとマズい! 出力を230Wまで上げた。先に出発した先頭集団に追い付くたいが一向に現れない。やはりゆっくりし過ぎた。エイドは危険なのだ!

エイドで出るウニイクラ丼。こんなに美味いウニは他に知らない。これを食べるために参加する方も多いとか…。これは非常に危険なエイドだ!

 2人で必死に回して何とか足切り時間の30分前に辿り着くことができた。急いで補給し、再スタートを切る。初めて走るコースは先が読めないため、油断は禁物だ。聞いた話によると、初挑戦の人はほとんどがリタイアするらしい。完走するのは2回目からだと…。やはり想像以上に手強いぞ、このライド!

 完走するには「時間の貯金」が必要だ! ペースを上げたいところだがここで筒井先輩に疲労の色が見え始めた。さらに追い討ちをかけたのが、ここから山を2つも越える山岳地獄だ。焦る気持ちを抑え、踏まずに粛々と上る。そして下りになると猛烈に攻める。筒井先輩はバイクコントロールが上手く、下りが超速い! 下りで時間を稼ぐ。

山岳からは美しい絶景が拝める

 ようやく山岳を終えるとマグロで有名な大間までの美しい海岸線。ここでまたもや痛恨のミスを犯す。美しい景色に見惚れてのんびり走っていたら、またもや制限時間がギリギリになってしまったのだ! しかも今度は本当にヤバイ!

 制限時間というヤツは気が付くとすぐ背後に迫ってくる。全身から冷や汗が出る。大勢のスタッフを引き連れて青森まで来て、200kmも走らず2人でリタイアというのは洒落にならない! やれることはやらねば!と貯めていた脚と心肺を使い、一気にペースを300Wまで上げる。なぜそこまで上げる必要があったのかというと、もし次のエイドに間に合ったとしても、またその次のチェックポイントがかなり厳しかったからだ。

大間のエイドは中トロとおにぎり。30秒で食べたので味は分からない(泣)

 限界まで上げて少しでも(時間の)貯金を貯めたい。一緒に頑張って来た筒井先輩には申し訳ないが、やはりここまで来たら完走したい! 一人、エイドまで黒マグロのように疾走し、大間のエイドに到着したのが制限時間20分前。マグロとおにぎりを頬張り、5分だけ止まって再スタートを切った。

目覚め過ぎた「坂バカ」

 ここからさらに地獄が始まった。見事な向かい風だ! おまけに雨まで降り出した。しかし飛ばさないと間に合わない。“貯金”は15分ぐらいだろうか…。

 ここで「私は貝になりたい」作戦が本領を発揮する。パカっという音と共に「坂バカ」の自我を目覚めさせたのだ! 残り100km、今までは何も起きていなかったが、ここからがいよいよスタート! スターウォーズの音楽が脳内に流れる。テンションは最高潮! 参加者を次々にゴボウ抜き! 作戦は大成功だ!

 しかし…しかしだ…、走っても走っても一向に次のチェックポイントが現れない。なぜだ! 貯金はあったはずだ…おかしい…

 無情にもサイコンの表示が制限時間を示す。「ダメだ…間に合わなかった…やっちまった」。人生初めてのリタイア…。今までの頑張りが無となり、空虚感が全身を包む。帰り方が分からないので、せめて次のチェックポイントまでは辿り着こうと走る。すると前方に310kmクラスのゼッケンを付けた選手が走っているではないか。聞くとまだ完走できるというではないか! なぜだ!?

 どうやら自我に目覚め過ぎた坂バカは、テンションが上がり過ぎてチェックポイントに気付かず通り過ぎていたらしい。我ながら見事な馬鹿っぷりだ。全身に再び力が漲る…。

 「良かった…まだ走れる」

テンションが上がり過ぎてチェックポイントを通り過ぎてしまった! 我ながらなんというバカっぷりだ!

 ここからゴールまでは2人で協力して走れる。前を引きたいが、もう全く脚が残ってないので付かせてもらう。そして270kmを過ぎた辺りでさらなる試練が訪れた。…持病の腰痛が再発したのだ。これは拷問だ! この状態であと40kmを耐え続けねばならない。心肺を上げられなくなり、体温が下がり始める。痛い…寒い…辛い。苦しい…、苦しいものは苦しい!! フォースなんて 嘘っぱちだ!

 悶絶地獄を耐え忍んでいるとスタート地点の市街地が見え始めた。サイコンは300kmを超えていた。おのれ史上初めての距離だ。しかし喜びは湧いて来ない。どうやら喜ぶ体力すら残っていないようだった。

 そして待望の瞬間が訪れる。なぜか制限時間より1時間早く、トップでゴール。しかし寒さと疲労で、なかなか喜びが湧いて来ない。ここまで無になるのは初めての体験だった。

ラーメンを「極上の味」にした何か

 ホテルに戻り、熱いお風呂に浸かった時に初めて何かが融解し始めた。そして1日を振り返り、思う。310kmはやはりとんでもない距離だ。しかし挑戦する価値はある。不思議と喜びというものは湧かないが、私は「何か」を得ているはずだ。

 風呂から上がり、近くのラーメン屋に駆け込み、スタミナラーメンを注文する。お世辞にもきれいとは言えない薄暗いラーメン屋で、壁に軍艦の写真がたくさん飾ってある。近くに自衛隊の基地があるのだろう。

 ようやくラーメンが運ばれて来た。大して旨くはない…のであろう。しかしこんなに旨く感じるラーメンは初めてだった。食というものは、そのシチュエーションで味が変わるものだ…。

 私にとってこのスタミナラーメンは永遠に忘れ難い極上の味となった。

猪野 学猪野 学(いの・まなぶ)

俳優・声優。自転車情報番組NHK BS1『チャリダー☆』(毎週土曜18:00~18:50)にレギュラー出演し、「坂バカ俳優」という異名で人気を博す。自転車の他、空手やスキーなども特技とするスポーツマン。俳優として舞台や映画、ドラマなどで活躍する一方、映画『スパイダーマン』のトビー・マグワイアの声優としても知られる。ウェブサイト「マナブログⅡ

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