救命措置はどのように行われているかその時落車が起きた 「ツール・ド・おきなわ」医療本部の現場から

by 大澤昌弘 / Masahiro OSAWA
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 ホビーレーサーの甲子園と称される「ツール・ド・おきなわ」。この日のために練習を重ねる参加者は多い。練習するほどに思い入れは強くなり、レースで熱くなるのかもしれない。しかし、熱くなりすぎて落車を招くのは問題だ。「単独落車なら問題ないでしょ?」といった考えも、大きな間違いである。2017年大会から医療救護体制を大きく変えた理由を知れば、単純に捉えられなくなるはずだ。

ツール・ド・おきなわで負傷者に対応する医療本部の様子 Photo: Masahiro OSAWA

ツール・ド・おきなわのかつての課題

 ツール・ド・おきなわの医療救護体制が大きく変わったのは2017年大会から。かつては負傷者を立哨員や市民が発見して、119番通報をするケースが頻発した。それは地元にとって歓迎できないことだった。沖縄の北部地域の救急車は、予備を入れて8台、運用中が6台しかなく、救急車は常日頃からフル稼働に近い状態。レースでの落車で救急車が対応することで、日常生活を送る市民が救急車を呼べなくなる事態を生んでいた。

 問題はほかにもあった。怪我の程度によっては、搬送先の病院で対処できないからだ。北部地域には、重傷者に対応できる二次医療機関が2つしかない。幸い、ツール・ド・おきなわでは死亡事故は発生していないが、一刻を争うようなケースが生じる恐れはある。「負傷の程度に応じて、どの病院にどの負傷者を搬送すべきか」という最適な判断が下せる体制が必要になっていた。

情報管理を一元化した新医療体制

もとぶ野毛病院の出口宝院長。東日本大震災を機に災害医療に取り組み始めたという Photo: Masahiro OSAWA

 こうした状況を改善しようと、北部地区医師会が動いて、立ち上がったのが理事を務める、もとぶ野毛病院の出口宝院長だった。出口氏は災害医療の「マス・ギャザリング・メディシン」の考えをツール・ド・おきなわに導入した。

 これは大規模災害などで急病人が同時に多発する状況で、迅速かつ最適な医療を行おうという考え方だ。ロードレースは落車で同時多発的に重症者が出かねないため、マス・ギャザリング・メディシンが有効なのだ。

 迅速・最適な対応を実現するために、負傷者の情報の集約、負傷の程度に応じた搬送先病院の決定などが必要になる。そのため、新たな医療体制では、医療本部を設置。負傷者の情報を医療本部に集約し、救急車やドクターヘリの出動要請を本部から発令する仕組みに変えた。ツール・ド・おきなわに1000人もいる立哨員に、負傷者がいた場合はまず医療本部へ連絡するように連絡先を通知した。

 また、医療本部には消防士を2人派遣してもらい、消防署との連携も図った。救急車の出動要請はレースを観戦する市民からもかかってくる。消防署へ届いた119番通報は、医療本部の消防士のもとに連絡が届き、その情報を医療本部長(出口氏)が受け、不要な救急車の出動を防ぐ仕組みとした(基本的には大会の救護車両を使用する)。

 さらに、レース当日の対応をスムーズにするために、ドクターカーや救護車に乗車する医師、看護師、救急救命士などへは、傷病者対応に至るまで細かく記したマニュアルを配布。現場活動や負傷者対応などのルールの周知も図った。

 これが新しい救護体制のあらましとなるが、どういった指示が飛ぶのだろうか。現場ではどういった判断がどのように下されているのだろうか。編集部は現場へ潜入することとしたのである。

情報の一元化を図るために立哨員にも連絡先を通知。写真は2018年のもの Photo: Masahiro OSAWA
医師、看護師、救急救命士らに配布された救護マニュアル Photo: Masahiro OSAWA

50人近い医療スタッフ

 11月10日の午前5時45分。市民210kmのスタート・ゴール地点に設置された救護所に、50人近い医療スタッフが集まった。ドクター、看護師、救命士が乗るドクターカーが5台、救命士もしくは看護師が乗る救護車が4台。そのほか、医師、看護師、補助員がいる救護所、医療本部のスタッフを合わせてこの人数となる。ツール・ド・おきなわが数多くの人に支えられていることが改めてわかるはずだ。

ドクター、看護師、救急救命士らが一堂に Photo: Masahiro OSAWA
午前6時過ぎ。スタート・ゴール地点にはドクターカーや救護車両が並ぶ Photo: Masahiro OSAWA
救護車の内部の様子 Photo: Masahiro OSAWA

 出口医療本部長がブリーフィングを行い、スタッフにIPラジオとスマートフォン、バッテリーチャージャーを配っていく。IPラジオは主に医療本部と連絡を取り合うために使われ、スマートフォンは電波の届きにくい場所でもメッセンジャーアプリを介して連絡をとるために使われる。ブリーフィングが終わると、スタッフはチームに分かれ、スタンバイに入った。

落車発生は突然に

最初の落車発生は午前7時50分。立哨員から連絡が入った Photo: Masahiro OSAWA

 午前6時45分に男子チャンピオンレースがスタート。以後順々に市民レースがスタートを切っていった。しばらくの間は何事もなく進行したが、7時50分、医療本部に電話が入った。落車発生である。

 医療本部に派遣された消防LO(リエゾン・オフィサー)が電話を受け、落車の場所、ゼッケンナンバー、負傷の状態を聞き出す。その情報を医療本部長の出口氏に伝えた。同時に、ロジと呼ばれる補佐役が壁のシートに情報を書き出していった。

消防LOもしくはロジから受け取った情報をもとに医療本部長の出口氏がモニターを見ながら指示を出していく Photo: Masahiro OSAWA
ドクターカーと救護車の位置はGPSで管理。位置情報をもとに医療本部が各車に指示を出す Photo: Masahiro OSAWA
落車の場所、ゼッケンナンバー、傷病の状態を記入。対応する救護車両と搬送先などをロジが記入していく Photo: Masahiro OSAWA

 出口氏は情報をもとに、医療本部に設置されたモニターに目をやった。どの救護車両が負傷者に近いのかを確認するためである。GPSを活用して、ドクターカーや救護車両の位置情報はリアルタイムで把握できるようになっているのだ。

出口氏の指示を各車に伝えるロジ Photo: Masahiro OSAWA

 「じゃあ、ドクターカー4を(落車発生場所の)安和に送って」と出口氏が言い放つ。その言葉を受けて、補佐役のロジがIP無線を使ってドクターカーに指示を出す。ドクターカーが負傷者の程度を確認した後で、医療本部は負傷者の搬送先病院を指示して、一件を落着させる。基本的にはこの繰り返しとなる。

騒然とする医療本部

 現場に潜入したこの日、最も慌ただしかったのは、午前8時20分前後だった。10数分の間に本部半島にある今帰仁、名護で落車が4件発生し、医療本部は騒然とした。

午前8時20分前後、医療本部は騒然とした状況に。消防LO、ロジ、本部長がそれぞれ対応に追われた Photo: Masahiro OSAWA

 落車現場に救護班を向かわせるものの、市民210kmはすでに本部半島を抜け、沖縄最北端に向けて北上中。負傷者にあたるために、本部半島に救護車両の多くが集まってしまい、一時的に救護体制が薄くなってしまった。対応を終えると、すぐさま隊列を整えるために、救護車両を北上させていた。

ドクターヘリのランデブーポイント。ドクターヘリの医師に申し送りを行うためにドクターカーとのランデブーポイントが定められている Photo: Masahiro OSAWA

 この日、最も危険な状態になったのが、緊張性気胸を起こした負傷者だった。肺が傷つき胸に空気が貯まってしまう症状のこと。肺などを圧迫し、重篤な状態に陥ることもあるという。10時30分過ぎ、出口本部長はドクターヘリを要請した。「緊張性気胸、普久川ダム付近。ポイントは国頭22のパークゴルフ。とりあえずそちらに向かいますので。えっ? 25分。わかりました」と電話でやり取りをし、ドクターヘリの着陸ポイントを打ち合わせ、ドクターカーでの緊急処置の後、無事、負傷者を搬送させた。

 医療本部の雰囲気が和みはじめたのは、チャンピオンレースがゴールを迎えた正午あたりからだった。「頼むから、怪我しないで終わってくれよ」「健康で帰るのが一番のおみやげだよね」などといった言葉が医療本部で飛び交う。

 レースが終わりに近づくにつれて、緊急性の高い負傷者はいなくなり、緊張は徐々にほどけていった。レース終盤ともなれば、集団もばらけ、同時多発的な重傷者の発生は起こりにくくなるというのもあるだろう。最後の通報は午後2時28分。それを最後に今年の医療本部の戦いは終わった。

医療救護体制の成果

 ところで、この医療救護体制。成果はどうなのだろう。出口氏によれば、2017年大会以降、救急車の出動回数は大きく減少したという。今大会についても救急車・ドクターヘリともに、出動要請はわずか2回に収まったとし、「大きく評価できる」と出口氏は言う。

 成果を生み出すベースには、北部地区医師会が中心となって創ってきた救護体制の仕組みもさることながら、出口氏は“スタッフの力”にもあると話す。「みんな救急医療のレベルが高いスタッフばかりです。空港事故訓練や県の防災訓練でよく顔を合わせます。そうした仲間の力があるので…」と明かしてくれた。確かに医療本部は常に冷静だった。焦りなく着実にこなしていたのは、経験の賜物なのだろう。

 ただし、医療救護体制が優れていても、事故の数を減らせるわけではない。今回の取材を通じて、医療体制への理解を深めることができた。それと同時に、ロードレースがいかに開催地に大きな負担を強いているかも印象に残った事実だ。

 ツール・ド・おきなわの医療救護体制は優れている。しかし、負傷者の発生は、医療資源に負担をかける可能性があることを忘れてはならない。落車発生ポイントの把握、前日試走の実施など、落車を防ぐための事前準備を参加者はきちんと行っているだろうか。

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