連載第14回(全21回)ロードレース小説「アウター×トップ」 第14話「志③」

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 南にレースコースの下見に行こうと誘われ、瞬一は南房総の山中に来ていた。南房総にもいい山があると聞いてはいたが、実際に来たのは初めてだ。山といっても距離は短く、いわゆるヒルクライムの山ではない。アップダウンといった方がしっくりくる。だが、その分、ロードレース向きだ。南房総はまだ残暑が厳しい上、山ヒルに気をつけるようにと南に言われたが、幸い路肩でも見ることはなかった。

 今年初めて開催されるこのレースは手元の国土地理院の地図を見る限り、結構勾配が厳しい。コンビニの駐車場から山を見上げても、下見にくる甲斐があると納得した。コンビニ前の道路ですら結構な斜度があり、この辺の地勢の厳しさを示している。坂が苦手な瞬一には苦しいレースになるだろう。

「お前にしてみれば来週のクリテが本命になるが、やっぱりロードレースで勝たないと道は切り開けないからな」

 南は真顔で言い、瞬一は呆れ顔で応えた。

「オレはプロになる気はないんですってば。なれるとも思ってないし」

 そう言うと南はよく分からない笑みを浮かべて、いつものように瞬一の頭をぐりぐりやる。

「その内、気が変わるさ」

 彼が何を言わんとしているのか、最近は分かる気がしていた。

「そもそもレースに興味がある訳じゃないんだけどな」

 地図を眺める南を見ながら、瞬一は彼に聞こえないように呟いた。瞬一がレースに出ているのは、南をプロに返り咲かせるため、アシストとしての自分が彼に必要だと感じているからに他ならない。

 南は瞬一にとって、唯一信頼できる大人だ。瞬一にはできの良い兄がおり、両親の関心は全て兄に向いていた。弟には金と物さえ与えておけば良い。そんな感じだった。ロードバイクも流行になっているからと、両親が彼に買い与えたものだった。最初は兄に追いつこうと頑張って勉強したが上手く行かず、瞬一は地元の公立高に進学した。両親の関心はますます薄れ、彼は家の中で孤立した。

 瞬一は家にいたくなくて、江戸川サイクリングロードを独り、走った。ロードバイクで走るとむしゃくしゃする気持ちが消えていくのが分かった。走り続けたお陰で、彼はそこそこ速くなり、学校にも行かず、江戸川サイクリングロードでローディたちをカモにして遊ぶようになっていた。

 そんな頃、一人だけレベルの違うローディと出会った。それが南だった。後でリハビリ中だったと知ったが、その時もう既に、南は圧倒的に速く、瞬一はすぐに千切られてしまった。幾度か遭遇する内に、瞬一はどうしても彼に勝ちたくなり、南を待ち伏せして勝負を挑むようになった。そして関宿までついていけるようになった頃、南の方から声を掛けてきた。その時は少し話をしただけだったが、話す回数を重ねる内に、瞬一は自然と彼に愚痴をこぼすようになっていた。

 その理不尽な愚痴に対し、南は社会の先輩として対応をした。瞬一の人生の中で、真剣に話を聞いてくれた大人は、南だけだった。そして彼の半生をそれとなく聞かされ、心を震わせた。病魔に立ち向かい、今も返り咲きを諦めていない彼は、映画の中にしかいないような立派な大人だと思った。南の勧めがなければ進学することもなかっただろうし、レースに参戦することもなかっただろう。瞬一にとって南は人生の先輩であり、憧れだ。

 とりあえず今の彼は将来のことを何も考えてはいない。当然、プロになれるとも思っていない。南が見る夢を共に見られれば良いと願っているだけだ。そこにあの二人が割り込んできた。奴らがどれほどのものなのか、どれだけ利用できるのかを見定めてやろうと、瞬一は考えていた。

 待ち合わせ時間の5分前、コンビニの駐車場にワンボックスカーが入ってきた。助手席から悠宇の顔が見えて、南は手を上げた。買い物を済ませ、車を公園の駐車場に移動させ、バイクを下ろす。悠宇も国土地理院の地図にコースを落とし込んできていて、一同は公園の東屋の下で頭をつき合わせた。瞬一としては一度走って、様子を見て、地図を見返して、作戦通りに動けばいいだけのことだ。だから打ち合わせの時間は退屈で、神崎兄妹の方ばかり見ていた。

 彼らが恵まれた家庭に育ったことはなんとなく、ひがみ根性で感じていた。父親が車を出してくれていることからも、自転車競技に協力的なのが分かる。それが面白くない。もちろん、自分の力でできる歳だろうと思うのもある。

 一通り話が終わって、いよいよ下見走行をすることになり、瞬一はようやくやる気を出した。最初は水田の中の直線路2000m。勾配はほぼない。そしてすぐに上りに入り、徐々に勾配がきつくなっていく。いかにも山を上る道らしく、コーナーが多い。木が生い茂っていることもあって、見通しも悪い。追う時には気力を使いそうだ。

 地図によれば3600mで250mを上る。気圧高度計でもその程度だった。平均勾配は単純計算で7%弱だが、後半は10%強となり、頂上部分の1カ所だけ、短いが20%の坂があった。そこだけコンクリート舗装になっており、滑り止めに横溝が掘られていた。立っているのもやっとの勾配だ。

「洒落にならんな、これは」

 南が真顔で言った。瞬一も、富士山ヒルクライムの再来だとげんなりした。

「ここで競り合いたくないッスね」

 瞬一はバイクを押しながら地獄坂を上る。悠宇は立ち止まって携帯端末の水平アプリで勾配を確認し、顔を引きつらせつつ笑った。

「誰だ、こんなコース設定したの」

「地元が町おこしでレースを誘致したって話だから、その絡みだろうな。あとこの辺は寺の敷地らしいから、寺の坊さんかもしれん」

 南が肩をすくめた。

「言いようによってはジャパンカップ並みと言えなくはないな」

「じゃあ実際はどうなんです?」

「路面も悪いし、路肩にゴミも多い。本番までに清掃が入るとは思うが、勾配共々、結構な難コースになると思うぞ」

「スルーしたいッス」

「バカ」

 最後尾を歩いている京助と有季はしきりに路面を確認し、状況を地図に落とし込んでいた。アスファルトの状態は確かにあまり良くはない。しかしずっと二人でいるのを見て、瞬一は短気を起こした。

「オマエらは何しに来てるんだよ。デートか?」

「もちろんコースの下見だ。彼女だって走るんだ。当然チェックするさ」

 京助に言い返されて、前回に続いての失言を悟ったが、瞬一の引っ込みはつかない。

「そんなことは分かってる。オレは真面目にやれって言ってるんだ」

「相模!」

 南にたしなめられて彼は前を向き、歩いて坂を上りきった。

 そこから先は7、8%ほどの傾斜で一気に下って、ヘアピンカーブ。その後はうねうねと蛇のようなうねりを描きながら下る7連コーナーがある。斜面から地下水が滲み出ていて、アスファルトにコケが生えている箇所が幾つもあった。下見に来た甲斐があったと瞬一にも思わせる危険区間だ。そしてこれらが次に上り返すまで、計4500mあった。

 その後、また上り始め、5%から8%に徐々に勾配が大きくなっていく1900m。ここがレース後半の鍵になる登坂箇所だと思われた。そして最後に緩やかな下りコーナーが続くのだが、途中で落石注意の真新しい看板があって、洒落にならんと瞬一は思わず苦笑した。そこは房総特有の砂岩の切り通しになっていたが、落石防止のネットもなかった。

「落石でレースが中止にならないといいんだけど」

「前にそういうヒルクライムレースがあったって聞くからな」

 悠宇と京助の会話が聞こえて来て、洒落にならないとぞっとした。

 下りは2000m余り続き、それが終わるとスタート地点の公園が見えてくる。これで1周だ。合計で14kmのコース設定となり、E1のレースでは4周、E2のレースではこれを3周することになっていた。集団の形成や流れ、天候次第でどう動くのか、経験が少ない瞬一には分からない、複雑なコース設定だった。

 公園の駐車場に戻ってきて、瞬一は眉をひそめつつ南に言った。

「このレースでオレは何をすれば良いンスかね?」

「勝つんだよ。お前の今のポイントだと、このレースのレートだと最低でも5位しないとならんだろ?」

「オレはクリテでポイントを稼ぐから良いんです。正直気ぃ抜けてるンスよね」

「いいから走れ。そうすれば分かる。だが、来週があるんだ。ムキにはなるな」

「分かってますって。へーい。行ってきやす」

「待て。一人で行くな」

 ロードバイクを押し始めた瞬一を南が止めた。

「皆で行こう」

 東屋の方に目を向けると、向こうの3人も出発の準備をしていた。

「ああ、そういうことッスか」

 瞬一は悠宇と京助に目を向けて納得した。南は彼らと自分を競わせるつもりなのだ。そして自分にやる気を出させようとしているに違いなかった。愛の鞭だと勝手に認定し、瞬一は指切りのサイクルグローブを填めた拳を固めた。

「お気持ち、ありがたく受け取りましょう」

 瞬一は柄にもないことを言い、バイクにまたがった2人の後を追ってペダルを踏み込んだ。

《つづく》

※本作品は株式会社KADOKAWA刊・メディアワークス文庫「アウター×トップ」を改稿したものです。
※この物語はフィクションであり、実在の人物や団体、地域などとは関係ありません

監修:岡 泰誠(日本スポーツ協会公認自転車競技コーチ)コスモス パフォーマンス コンサルティング

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