連載第13回(全21回)ロードレース小説「アウター×トップ」 第13話「復帰」

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 レントゲン撮影の後、京助は医者からバイク解禁のお墨付きを貰い、病院の外で拳を固め、暦上は秋の空に突き出した。これでロードバイクに乗れるかと思うと、心が躍った。ローラー台には風を切る爽快さがない。流れていく景色がない。一緒に走ってくれる仲間がいない。1秒でも早くロードバイクに乗りたくて京助はアパートに急いだ。

 大学はまだでも高校は始まっている。早速、有季に連絡した後、アパートに戻ってサイクルジャージに着替える。アパートの廊下に置きざりになっていた前輪の、久々の出番だ。バイクにまたがる前に有季からリターンがあった。午前日課なので学校まで来て欲しい、とのことだった。京助は強風の中、走り始めた。

 予想以上に身体が動くのが嬉しくて、ついペースが上がってしまうが、都心は信号が多く、逸る心を抑えてくれる。信号待ちの間にスタンディングの練習がちょっとできるのも楽しい。40分ほどで、皇居の北側のちょっと先にある、有季が通う女子高に到着した。

 校門外のコンビニの前で、出てくる女子高生たちを見ていると、有季のイメージとは違っていて、京助はむずがゆさを感じた。皆、大人しそうで、真面目そうな生徒ばかりの進学校だ。しばらく待っていると、トレーニングウェア姿の有季が、ロードバイクにまたがって校門から出てきた。

「どうしたのさ……変な顔して」

 京助は、素直に言葉にした。

「進学校なんだな」

「家庭の方針って奴でさ」

「悪くない。でも、有季は学校で浮いてたり……」

 気がつくと女子高生たちが有季と京助を遠巻きに取り囲んでいた。

「えー、アレが神崎先輩の彼氏? 似合わない~」

「幾ら何でもアレはないでしょ、アレは」

「私、もっと格好イイ人と歩いてるの見たから、あんなの下僕に決まってるじゃん」

 ひそひそと声が聞こえてきて、京助は脱力を覚えた。

「あんな感じ。浮いていると言えば、浮いているか……念のため言っておくけど、一緒に歩いていたってのは兄貴のことだぞ」

 京助は頷き、有季は気を取り直したように訊いた。

「どこに行く? 早速走りに行きたい?」

「そうだね。有季の行きたいところで」

「分かった」

 有季はニッと笑ってバイクにまたがり、千石から本郷通りへ、そして王子を抜けて荒川河川敷に出た。9月になってもまだまだ暑く、しかも風がかなり強い。灼熱で蜃気楼が立ち上っている河川敷にはほとんど人の姿がなかった。

「日によって上るか下るか決めるんだ。今日は上り」

 有季についていきながら追い風に乗り、京助は自分がロードバイクに乗っているのだと実感できた。有季は彩湖を抜けて北上し、竹林と水田の中を抜けて国道16号もくぐる。京助はどこに行くか聞くこともなく、ただついていく。走れてさえいれば良かった。久しぶりの気持ちだ。プロになりたいという気持ちよりもずっとシンプルで強い気持ちだ。迷ったらこの気持ちを思い出そう、そう京助は心の温度を確かめる。

 ゴルフ場の脇を通り、荒川沿いから外れ、有季は止まった。そこは小さいながらも牧場で、売店が併設され、平日なのに客の姿があった。

「へえ、こんなとこあるんだ」

「――上京して練習ばかりだから知らないだろうと思ったけど、本当に知らないとは」

 有季は呆れ顔だ。サイクルラックにバイクを掛け、売店に入るとジェラートアイスの大きなチルドケースが目に入った。種類も豊富だ。

「復帰祝いだから、私のおごりね」

 有季は勝手にダブルをコーンで2つ注文した。チョコとミントだった。

「ミント好きなの?」

「嫌いだった?」

 策の中の子豚を見ながら、有季はアイスを豪快に頬張る。

「アイスは許す派、かな」

 唇の端に少しアイスを残したまま、有季は微笑み、舌で唇をなめてきれいにした。妙になまめかしく、京助は言葉を失った。

「どうしたの?」

 首を傾げる有季に答えず、京助はアイスにかぶりついた。

「これ、美味いな」

 京助の返答に、有季はまた笑った。食べ終わって自販機で冷たい飲み物を買って、木陰のベンチで一休みする。

「いつか一緒に食べに来ようって思ってたんだ」

 京助は頷いてペットボトルのキャップを開けた。

「今度のレースは再来週のクリテリウムだけどさ、俺としては次のロードレースに賭けたいと思ってるんだ」

「オールラウンダーとしては、そうだろうね。実はアタシもそう考えてた。でもロードレースってさ、当日入りしただけじゃ、コースに慣れてなくて、思うように走れないし、力も発揮できないんだよね。この前のタイムトライアルのアタシがそうだった。慣れていたらあと2、3秒は縮められたと思うんだ。ロードレースならもっと効果が出るはず」

「本でもそんなこと書いてあったな」

「次のロードレースの開催地ってまた房総でしょ? 南さんにも来て貰って、本格的にやりたいんだ。京助は、次のレースで最低でも3位に入らないとポイント的にE1昇格ないし」

 京助が勝って昇格することを、有季の方が一生懸命考えている。それに比べ、平常心でいる自分の方が変に思えた。

「正直、悲壮感はない。来年またE2から始めたら、どれだけその後に響くか分からないし、自転車競技を始めるのが遅かった分、絶対に今年も昇格しなければならないことも、頭では分かっている。だけど今は、どれだけ自分が強くなったのかを早く知りたい。それに、ロードバイクに乗れるということ、ただそれだけで良いとも、思い始めている」

 有季は少し不思議そうな顔をした後、納得したとでも言いたげに、頷いた。

「三重にいた頃の京助って、そんな顔をしていたのかな……ああ、そうだった。それでもスタンディング練習は続けてよ。身につけておけば落車を避けられるかもしれないんだから。そうだ、ホッピングも覚えないとならないな」

「ホッピングは自転車に乗ってジャンプするムーブだよな。シクロクロスでシケイン越える時に使ったりする……」

「巧い人はね……ロードレースでもコースに踏切とかあった時に、レールを避けるのに使うみたいよ。ヨーロッパじゃそういうコース設定があるらしいからね」

「あっちだと路面電車とか、石畳とか障害も多いらしいから必要なのかもな。あ、そういえばこの前、ホッピングで前の落車を避けた選手がいたの、話題になってたな」

 京助は苦笑した。やっとロードバイクに乗れるようになったというのに、また地味な練習を続けなければならないようだ。しかし落車して骨折した身としては避けられないとも思えた。

 ふと有季と目が合い、互いに意識してしまい、一旦、目を逸らした。

「――京助は下級生たちの話を聞いてどう思った?」

 有季が話題を変えた。

「学校では人気者なんだな、と」

 正直、言葉の暴力を感じたが、それは彼女のせいではない。有季は難しそうな顔をして、また目を逸らした。

「ほら、アタシ、背が高いし、男っぽいし、宝塚的人気って言うのかな……女の子っぽくはないよね。兄貴とそっくりだし」

 この前、瞬一に言われたことを気にしていたらしい。

 京助は笑って見せた。

「俺はちゃんと、有季のこと女の子だと思って見ているぞ」

 そして気恥ずかしくなって立ち上がった。有季は自分の耳を疑うように声を上げた。

「え、ホント?」

「室内プールでもそう言っただろう」

「そりゃ水着なら……ってもう行くの?」

 京助はこれ以上追求されたくなくて、ペットボトルのドリンクを一気に飲み干すと、バイクにまたがった。

「ちょっと、待ってよ」

 有季も急いでペットボトルを空にし、京助に続いてバイクにまたがった。京助がペダルを踏み込むと、バイクがすっと走り出す。

「……やっといい雰囲気になって来たかと思ったのに」

 後ろから有季の呟き声が聞こえたが、京助は振り返ることができなかった。二人は強い南風の中、荒川河川敷を下り、フォルゴーレで南と悠宇に連絡した。内容は次回房総で開催されるレースの下見に行こうというものだ。二人からはすぐに快諾の返事が来て、京助は携帯端末を固く握りしめた。

《つづく》

※本作品は株式会社KADOKAWA刊・メディアワークス文庫「アウター×トップ」を改稿したものです。
※この物語はフィクションであり、実在の人物や団体、地域などとは関係ありません

監修:岡 泰誠(日本スポーツ協会公認自転車競技コーチ)コスモス パフォーマンス コンサルティング

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