連載第12回(全21回)ロードレース小説「アウター×トップ」 第12話「合流」

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 南は南信州に向かって、ステーションワゴンのハンドルを握っていた。助手席には瞬一がいる。11時から選手受付とあって朝早く出発したが、瞬一は車に乗った時から機嫌が悪かった。

「この前の、神崎って奴も来るんですか?」

「やっぱり気に喰わないのか。別に味方が増える分には構わんと思わないか? それに今後もチーム走行する時の練習相手にもなる」

「もうオレはレースは十分なんスよ……南さんはもうE1に昇格したんですから。まあ、E1でもサポートしたいとは思いますけど……」

 瞬一は腕組みをして目を伏せた。彼とのつきあいは、もう1年半ほどにもなる。江戸川サイクリングロードを南がリハビリで走っている時に、必死に食らいついてきた高校生が彼だった。初めて遭遇した時はリハビリでLSDしかしていない南に100mもついていけなかったらしいが、いつの間にか何十キロと距離を伸ばし、南の方も顔を覚えた。そしてその内、関宿城で話す間柄になった。

 将来の目標もなく、高校にだらだら通っているだけという瞬一を南は叱咤し、2部の大学に進学させた。そして今、彼は昼間の間はメッセンジャーをして、ロードバイクで走っている。

「別にオレ、プロになろうとか思ってる訳じゃないし、南さんがまたプロツアーで走れるようになってくれれば、後は成り行きって言うか」

 瞬一には自分の境遇を話してある。それは後悔しないように、今を生きるために大学に行けと諭すためだったが、彼はむしろ南が辿ってきた道、プロレーサーとしての南に興味を持ったようだった。

「彼の何がそんなに気に喰わないんだ?」

「女みたいな面ッスよ。どうせモテてんでしょうけど」

 子どものようにふくれっ面をする瞬一を見て、南は笑った。

「彼の妹にも会ったが、美人だったぞ。背もすらりと高くて。今日も来るらしい」

「え、マジッスか?」

「応援じゃないぞ。女子ツアー登録していて、この前は2位だった」

「すげー。興味あるなあ」

「彼氏がいたけどな」

「ちっ。気に喰わねえ。どうせ奴の仲間なんでしょ?」

「相模、冴えてるな。あざみラインで俺の後ろを走っていた奴だ。橋沢くんとかいったかな。お前、あそこ、何分だったっけかな?」

「――1時間7分ッスよ。山、苦手なんで」

「それでも十分速いんだが、上を目指すには物足りないな。何が足りないのか、神崎くんやその橋沢くんから学び取って欲しいって言えば、納得するか?」

「南さんがやれって言えば、オレはやりますよ……ちょっと寝るッス」

 瞬一は目を閉じて、レースに備えた。若者には未来がある。自分にはプロとして過ごした10年近い時間がある。彼らにも、生きていれば同じ10年という時間があるはずだ。その時間を彼らがどのように過ごすのか分からないが、無為に過ごして欲しくない。それは本来なら南には関係ないことだ。だが、一旦現役を退いてしまうと、そのように考えるものなのかもしれない。

 自分がプロのロードレーサーとして過ごした時間は、他の人では経験し得ない、充実したそれだった。苦しいかもしれないし、先が見えないかもしれない。それでも若者たちに、たとえ少しでもロードレースの世界を経験して欲しいと願っていたし、自身もその世界に戻り、もう一花咲かせたかった。

「帰りはソースカツ丼食って、温泉に寄ってくか」

「ウス」

 瞬一はまだ寝ておらず、目を閉じたまま、返答した。南信州の夏は、緑と実りに囲まれる素晴らしい季節だ。広域農道沿いに果樹園と水田が広がり、穏やかで懐かしい光景が広がっている。遠くに見える八ヶ岳も綺麗だ。明日も晴れだろう。信州だから東京より少しは涼しいだろうと思ったが、残念ながらが似たり寄ったりだった。エアコンの排気がない分、マシといったところだろうか。それでも日陰は涼しいし、湿気も少ない。

 大会本部が設けられた村の公民館で、南たちは11時ちょうどに受付を済ませた。続けてコースの試走に出かけようとしたところで、知った声が南を呼び止めた。

「南さんじゃないですか」

 振り返るとそこには帝都自動車のジャージを着た男がいた。南が現役時代のチームメイトの山下で、今はエースで今期3勝している。

「やっぱり。復帰したならしたで、どうして教えてくれなかったんですか。なんかこの前、アナウンスで南さんの名前が聞こえてきて、リザルト見たら同姓同名で……」

 できれば昔の知り合いには会いたくないが、プロツアーの選手が下のカテゴリのリザルトを全く見ない訳でもない。この展開は時間の問題だったのだが、それでも南は気恥ずかしく感じる。

「そう言ってくれるのは嬉しいが、俺なりに筋を通しているつもりなんだ。まだ趣味で走りたくないんだよ」

「っても、監督たちは今も南さんの話をすると悔しそうにして……」

 山下がそう言いかけたのを、一緒にいた瞬一が遮った。

「南さんはあんたらが戦っている場所まで、絶対に戻りますから」

「おいおい、こいつが誰か知っているのか?」

 南は呆れて笑ったが、知っているからこそ瞬一はこういう物言いをしたのだろう。

「誰です? この子」

 山下はムッとしつつ、瞬一を見た。

「面白いだろう? 俺たちの中にはいなかったタイプだ。まあ楽しみにしててくれ。その内、名前を聞くようになる。じゃあな」

 南は山下に別れを告げた。

「ちょっと、南さん、みんなにあいさつしていってもいいじゃないですか」

「来年な。世話になると思うぞ」

 そして片手を上げてステーションワゴンに戻り、バイクを下ろし始めた。瞬一もすぐに戻ってきたから、トラブルは起こさなかったようだ。

「南さーん。近くに停めましたね」

 悠宇の声に南は周囲を見渡し、2台隣のスペースに悠宇とワンボックスカーを見つけた。京助と有季も一緒だが、京助はジャージ姿ではない。このレースまでは念のため回避するつもりなのだろう。

「神崎くんか。お互い頑張ろう」

「こんにちは」

「先日はありがとうございました」

 有季は軽く、京助は頭を深々と下げた。

「君たちは本当に仲がいいな」

「え、いや、そう見えます?」

 南にそう言われて、有季が真っ赤になって照れていると、瞬一が冷めた顔で言った。

「何この凸凹カップル。つーか男女? オレと背、同じくらい? 神崎そっくりだし」

「どっから見てもアタシは女でしょうに」

 有季が歯を剥いたが、京助は流して訊いてきた。

「君が相模くんか。宜しく頼むよ」

 そして笑顔を作って見せ、手を差し出したが、瞬一はそれを無視した。

「女連れでレースに来るなよ」

「いや。彼女がレースに参加するんであって、橋沢くんの方が応援だ」

 南が呆れてツッコミを入れると、瞬一は機嫌を悪くした。

「オレはお前と走ったことないし、走ってもお前のサポートなんかする気はねえ」

 京助の顔から、笑みが消えた。瞬一はケッと吐き捨て、ロードバイクで試走に向かった。

「済まんな。あいつは素直になれない性質でな」

 南が代わりに詫びたが、有季は怒りが収まらない様子だった。悠宇が有季をなだめるように言った。

「彼も凄い乗り手だよ。2人は見ていないから分からないだけで」

 南は瞬一と悠宇を事前に引き合わせ、江戸川サイクリングロードで一緒に走って貰った。その時、悠宇は瞬一のスプリント力を評価していた。

「では、また後で」

 南はバイクにまたがり、試走に出かけた。コースは植林された山間に設けられており、長さ1.3kmと微妙な上り傾斜、そして直角コーナーと難しい設定になっていた。昨日の雨でまだ路面が濡れているのが悩ましい。瞬一に追いつき、南は脚を回しながら話しかける。

「お前が女の子にあんなことを言う奴だったとは思わなかったぞ」

「スンマセン。あの手の女、苦手で。女の子ってもっと小さい方がイイですよね」

「ノーコメントだ」

 山間に入ると日陰になっており、夏でも若干涼しかった。合計4回試走し、3回目で悠宇と有季と合流。4人で話し合って戦略を練った。個人タイムトライアルなので、チーム力がどう、というのはないのだが、南としてはこうして頭をつき合わせて話し合うだけでも価値があると思えた。

 午後からレースが始まり、それぞれのスタート順に並んだ。スタート台はないが、代わりに係の人が押さえてくれる。スタートは30秒毎。午後になって路面が乾きつつあった。観戦の人もちらほら見えて、実業団レースの盛り上がりを感じた。

 順調に数がこなされていき、南の順番が来た。気負わずに脚を回してスタートも成功し、話し合った戦略通りに走ったつもりだったが、結果は2分40秒台前半だった。E1では、ごく平均的なタイムである。プロならば2分30秒台で走らなければならないコース設定だと思われた。

 現役時代は1回の試走で戦略を立て、反映させたものだ。ブランクがあるというのはこういうことかと、実感した。悠宇と瞬一の2人も南と同じようなタイムだったが、3人の中では瞬一が一番の好タイムを残した。スプリンタータイプの彼にとって、このコースは相性が良かったのだろう。しかしE2の4位に終わってしまった。有季も女子4位に終わったが、本人はレース勘のなさが敗因と嘆いていた。そんな彼女を京助が慰めたが、恥ずかしいのを隠しているのか、有季は京助をポコポコ可愛く殴っていた。目立った成績は残せなくても、ポイントは稼げたし、瞬一のE1昇格に望みが出てきた。

 撤収を終えた後、皆で地元の名物、ソースカツ丼を食べ、南は悠宇と有季の父、雄一郎と会った。元MTBプロライダーとは聞いていたが、その雰囲気で、子どもら二人の速さの理由を理解した。自転車に理解がある親だと子どもも速くなれるのだ。

 食べた後は日帰り温泉で汗を流し、南は休憩所でストレッチとセルフマッサージの講習をした。普段その手の努力を嫌がる瞬一も他の3人がいる手前か、真面目に受けていた。日帰り温泉が閉館時間になった後、中央道に乗り、南は瞬一と話をした。

「仲間がいるのもイイものだろう」

「いや、今日のこれで、ハイそうですって言ったら、ギャグでしょう」

「お前、学校でも友達がいなかったんだったよな」

「古傷をえぐらないで下さい。じゃなかったらどうして独りで江戸川を走ってます?」

 瞬一は心底嫌だという顔をした。

「だがな、ライバルが身近にいるってのはいいものだぞ」

「分かりませんね。まだあいつがそうなるのかどうかは……オレが言っているのは彼女連れの方ですよ。あいつ多分、速いッスよ」

 ふうん、と南はそう言う瞬一に少し感心した。南自身も、一緒に走ったもてぎでのE2レースで、彼が気になった。そして富士山ヒルクライムでも、彼は強さを見せた。あの若さで1時間を切るのは立派だ。悠宇はもっと凄いが。

 中央道の電光掲示板は真っ赤になっていた。

「お前はもう寝ておけ」

「ウィッス」

 瞬一は腕組みをして目を閉じたが寝てはいない。今日のレースのことを考え、反省し、悩んでいるのだ。こんな彼の姿を見ると、自分も思いを新たにすることが多い。彼に会えたから、独りじゃなかったから、ここまで戻ってこられた。だから、多少変な奴とは思うが、瞬一には感謝している。

 昔の自分の力に遠く及ばないのは南自身よく分かっている。それがもどかしくもある。独りで戦う強さを持っている人間は限られている。最初は大丈夫でも、いつかは力尽きる。南はその前に瞬一に会えた。今も独りだったら、復帰の道を諦めていたかもしれない。

 それに、たとえプロに戻れなくても、若者を導くことで救われている。だからここで終わりにしない。だからこそ今でもロードレースが面白い。

(神崎くんと橋沢くんとは、今後も一緒に走ろう)

 その方が良いに決まっていると、南は心から思えた。

《つづく》

※本作品は株式会社KADOKAWA刊・メディアワークス文庫「アウター×トップ」を改稿したものです。
※この物語はフィクションであり、実在の人物や団体、地域などとは関係ありません

監修:岡 泰誠(日本スポーツ協会公認自転車競技コーチ)コスモス パフォーマンス コンサルティング

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