連載第10回(全21回) ロードレース小説「アウター×トップ」 第10話「巡り合い」

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 競輪選手の養成学校に隣接している伊豆の修善寺サイクルセンターは日本自転車界の中心的な場所だ。悠宇はレースで修善寺を走れることに純粋な喜びを覚えた。しかもコースはアップダウンが激しく、自分の力を存分に発揮できるコースだ。

 実業団レースでは優勝すれば特別昇格する規定だ。結果として京助抜きでE1に昇格したことは別に考えるしかない。優勝できたのに、彼と一緒に昇格するためにレースで手を抜くなんて茶番をすれば、絶対に後悔するし、京助も怒ったに違いない。だから悠宇は自分の力でE1に昇格したことを誇り、このレースに臨んでいた。

 スタートは9時だが、路面の温度は上がり始めている。梅雨明け後の暑さは、どんなスポーツ競技にとっても脅威だ。長時間運動を続けなければならないロードレースでは特にその傾向が強い。普通、ロードレースではボトルにドリンクを入れ、選手は水分を補給しながら走る。このレースではE1は1周5kmを8周する設定で短い距離だが、悠宇はボトルを2本用意した。最初は余計な重さになっても、飲んだ後は頭から水を被って身体を冷やし、早々に捨てれば良いと考えたからだ。

 悠宇はスタート10分前にスタートラインに並んだ。昇格したばかりだったが、悠宇は最後列で、どこにどんな選手がいるのかゆっくり見る余裕があった。以前のレースで悠宇たちをブロックしたショップ系有名チーム、ビアンカとオールエイジの選手がそれぞれ複数人見えた。元々E1にいる選手に昇格した選手が加わって、人数はE2よりも多い。今日もチーム力を発揮するはずだ。

 その他にも妙に雰囲気を感じる選手がすぐ前の列にいて、これは絡むと予感した。それはもてぎで悠宇たちをまくって優勝したR・Aの選手だ。彼は1人だけらしく、手を組めれば、とちょっと期待したが、基本、自分以外は皆敵だ。今日からは独りだと思うと妙に心細いが、やれるだけやるしかない。悠宇は気を引き締めて前を向いた。

 レースが始まると、2周目から大きな動きがあった。距離が短い分、展開が早い。2周目半ば、ビアンカの選手が飛び出し、それを追う展開で集団のペースが一気に上がった。そのアタックについていけたのは悠宇を含め5人。先に飛び出したビアンカの選手を含め、計6名の集団となった。

 内、ビアンカとオールエイジが2名ずつ。有名チームだけあって相変わらず強い。この2チームは後方の集団にまだチームメンバーを温存してある。状況次第でコマを動かし、展開を変えるつもりだろう。例の、R・Aもいる。悠宇はジャージに書かれた文字を読み、ローテーション時に彼の観察をした。

(R・Aは〝RISE ABOVE〟【打ち克つ】の略だったのか……)

 歳は30歳過ぎくらいだろうか。アイウェアの上からだとそれくらいしか分からない。引き締まった無駄のない身体をしていた。R・AでE1にいるのが1人だけなら、有力チーム2つと比べれば協力を得られる可能性がある。

 6人で先頭交代を繰り返し、後方集団との差を開く。順番に先頭交代をするのは、お互いの疲労を抑え、後ろの集団との距離を保つためだ。ロードレースほどギブアンドテイクの法則が当てはまるスポーツはない。敵味方に関係なく、レース中に利害が一致すれば協力する。もちろんその利害関係に一定の決着がつけば、また敵と味方に戻るのだが。

 5周目には後方と1分差をつけた。後方の動きは鈍く、速度を上げる気配がない。どうやら有力ショップの選手にコントロールされているようだ。先頭集団に乗っかったのは成功だったと、現時点では判断できる。しかしこの集団の主導権を握ろうと有力チーム2つが牽制を始めるのは間違いない。仮に悠宇がアタックしたとしても、数で簡単に潰されるだろう。

(どうしたものかな)

 多人数を相手に1人でどうこうするのは難しい。R・Aの選手と協力してレースをコントロールするのが良いと思われ、アイコンタクトすると、彼が口を開いた。

「まだだ」

 彼にとって悠宇は見知らぬ相手だ。無理もないと思い、悠宇はトレインに戻った。このままでは何もできないと悠宇が思っていると、R・Aの選手は前触れもなく後方に落ちていった。これで本当に打つ手がなくなった。大人しくしているか、それともダメ元で7周目に仕掛けるかと思案していると、悠宇の前を走っている選手が後方を振り返った。悠宇も振り返ると、後方集団のペースが急激に上がり、タイム差が吸収されつつあるのが分かった。後方で何か起きたに違いない。

(八方塞がりだったんだ。ありがたい展開だ)

 悠宇は心の中でそう言葉にした。

 6周目が終わり、7周目に突入。8~9%の登坂が600m続く区間に入る直前、ローテーションで先頭の順番が来ると、悠宇はアタックを掛けた。先頭交代が終わって後ろに下がろうとしていたオールエイジの選手が千切れ、悠宇は全力で登坂を開始する。600mの短い坂だ。勢いで登って、下りは先頭をキープする計算だった。続く1400mの上りは、悠宇が逃げきれる絶好のシチュエーションとなる。

 後方に追ってくる気配を感じつつも、振り返らずにダンシングを続ける。だが、3人の選手がついてきた。やはりE1は選手のレベルが全く違う。絶好調の自分が手に負えない。

(こりゃ、戦い甲斐がありそうだ)

 坂を上りきり、下りに突入した。悠宇は6周の間に、各コーナーのベストラインを掴んだ。それを先頭で実践して、後方集団からリードを奪うつもりだが、有名チームの選手たち3人は余裕でついてきて、上り口のヘアピンカーブで悠宇を抜き去った。この上りは短く、前方の3人は勢いで上っていく。しかし悠宇はもう苦しい。ペースアップしても続くか分からない。それでも自分を奮い立たせる。

(このまま落ちるものか!)

 追いついたものの再び下り区間に入って、悠宇は先行を許しっぱなしになった。しかも後方には大集団が迫りつつある。落ちていった選手1人は既に吸収されている。しかしこの先は1400m、平均5~6%の上りで、悠宇が再びアタックを掛けるのに絶好のシチュエーションだ。

 悠宇は坂の入り口からダンシングして速度を上げ、先行する選手を追い抜いた。しかし、この程度の勾配なら坂ではないぜ、とでも言いたげな表情で、皆、食らいついてきている。結局、この上りで他の選手を引き離すことはできず、下りに突入した。

 後方集団との距離はまだそれほど縮まっていない。それだけでも良しとして、最終周回に入ると、大集団の中からまた抜け出してくる連中がいた。悠宇の後ろにぴったりついているビアンカの選手は、どうやらこのアタックを待っていたらしく、先行して悠宇の頭を押さえ、悠宇は飛び出した集団の射程圏に捉えられてしまった。

 幾ら悠宇が上りが得意でも、集団の中でやり過ごして脚を残している選手たちの方が有利だ。たちまちの内に悠宇は数人の選手が形成する小集団に吸収され、勝負は振り出しに戻る。その小集団の中に、先ほど先頭集団から落ちていったR・Aの選手がいて、悠宇は感嘆した。後方集団のペースを上げたのは恐らく彼の仕業だ。そのために後方集団に戻り、そしてまた単身勝負を挑むために飛び出てきた。1人なら1人なりに集団を動かし、勝負を振り出しに戻したのだ。

 先頭集団の中、R・Aの選手と隣り合わせになり、目を合わせた。悠宇はわざと余裕の笑みを見せ、さらに集団から飛び出した。ラスト1400mの坂を上る力は彼の中に残っている。しかし集団には集団の勢いがある。悠宇が坂を上りきると同時にビアンカの選手も飛び出してきた。チームのエースと思しき、後方で脚を温存していた選手だ。

「負けるか!」

 悠宇は下りで“アウター×トップ”を回し、ゴール前50mの坂で勝負を賭ける。後ろにR・Aの選手がいることも分かっているが、今の自分は1人だけだ。京助はおらず、当然、サポートはどこからも得られない。

 ゴール前の坂を駆け上ると、R・Aの選手がラストスプリントに入った。悠宇はそれに乗り、他の選手たちと一緒にゴールラインを割った。

 スプリントの練習が活きたと実感できるゴールだったが、E1のレースは、E2とはまるでレベルが違っていた。センサーの判定では悠宇は12位で、R・Aの選手が7位。1位と2位は有名チームの選手だった。R・Aの選手は南宗司選手とアナウンスされた。名前を聞いた覚えがあったが、思い出せず、悠宇は一段落したら声を掛けようと思い立った。

 表彰式後、悠宇は急いで着替えて、駐車場に南の姿を探した。しばらく駐車場の中を歩くと、商用ステーションワゴンの上にバイクを固定している南を見つけた。先ほどのレースでは見なかった若い男と一緒だ。車のナンバーは野田で、同じ千葉だと分かった。いきなりは話しかけづらかったが、悠宇は思いきって頭を下げた。

「ありがとうございました。先ほどのレースは勉強になりました」

 面を上げると南は怪訝そうな顔をして悠宇を見ていた。アイウェアをとった南は険しい顔つきをしていたが、細身の身体が、玄人風の雰囲気を醸し出していた。

「神崎選手か……面白かっただろう? 1人でもやり方次第だ。あの中でじっと我慢って手もあったんだが、アドバンテージもさほどなかったしな。集団の中で試したいこともあったし」

 悠宇は頷いた。

「当たり前だ。なんたって南さんと走れたんだからな」

 若い選手が腕組みをして悠宇を見た。彼は悠宇と同じくらいの年頃で、身体も声も若い。繊細そうな、怪訝そうな瞳の色が印象的だった。南が若い選手の方を見て言った。

「君はE1に昇格したばかりだったな。今日はたまたま上手く行ったが、やはり勝てなかった。ここは1人で何かできるってところじゃない。才能があれば、ともかくな」

「南さんなら大丈夫とは思いますけどね……」

 若い選手がそこまで言いかけたところで、悠宇は口を開いた。

「このチーム、お2人だけなんですか?」

「ああ。こいつ、相模瞬一っていうんだが、こいつはまだE2に上がったばかりだ。君のところも2人チームだったか。この前のヒルクライムで自分の後ろに延々ついてきた男が、もてぎで良い走りをしていた選手だって思い出してな。気になって調べたら、マークすべき君と同じチームだった、ってことで覚えていたんだが」

 南は京助のことも知っていたようだ。京助があざみラインで1時間を切れたのは、前の選手のお陰だと言っていたが、それは彼だったようだ。E1でそのタイムだと真ん中よりやや下の順位だったはずだ。クライムが得意な選手ではないのだろう。

「――ええ。京助は鎖骨を折ってしまって……」

「まさかこの前の落車で、か?」

「はい」

「そうか……それはまたツイてないな」

 彼も落車を目の当たりにしていたはずだ。気にしていたのかもしれない。

「もう練習再開も近いんですが……僕はあいつにも昇格して貰いたいんです」

 悠宇はその先の言葉を飲み込んだ。さっき戦ったばかりで、お互いのことをほとんど何も知らないのに、協力して欲しいなどと言えるはずがなかった。しかし南は悠宇が言わんとしていることを察してくれたようだった。

「君は、どこに住んでいるんだい?」

「千葉県市川市……江戸川沿いです」

「オレらは松戸だ。じゃあ、土曜の朝、松戸で待ってる」

 南はそう言うと運転席に乗り込み、若い相模という男も車に乗った。

「――松戸ね。良いでしょう」

 悠宇は拳を固め、駐車場を出て行くステーションワゴンを見つめた。夏の太陽の熱い日差しが、容赦なく悠宇に降り注いでいた。

《つづく》

※本作品は株式会社KADOKAWA刊・メディアワークス文庫「アウター×トップ」を改稿したものです。
※この物語はフィクションであり、実在の人物や団体、地域などとは関係ありません

監修:岡 泰誠(日本スポーツ協会公認自転車競技コーチ)コスモス パフォーマンス コンサルティング

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