トラックスプリント種目2連覇〈前編〉全米マスターズ優勝、元競輪選手の案浦攻さんが語る、アメリカの自転車ライフと競技再開まで

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 元競輪選手で引退後に渡米、今では不動産業を営む案浦攻(あんのうら・こう)さん(52歳)が競技復帰し、2019年9月に開催された全米マスターズ自転車競技選手権大会トラック競技スプリントで連覇しました。40歳で競輪選手をきっぱり引退し、渡米。自転車店勤務や、フレームビルダーを経て不動産業経営者へ転身し、再びトラックを走り出した理由を含め、アメリカでの自転車ライフをご自身に振り返ってもらいました。前後編の2回に分けてお届けします。

2019年、案浦攻さんとチームスプリントの出場したメンバー(提供写真)

◇         ◇

50歳〜54歳部門で連覇

9月に行われた全米マスターズ自転車競技選手権大会(提供写真)

 2019年全米マスターズ自転車競技選手権大会トラック競技スプリント決勝(50歳〜54歳部門)。予想通り実力者のブライアン・エイバース選手との対戦。昨年の全米マスターズでは僅差で私が勝ちましたが、その後の世界マスターズ選手権では、余りの強さに手も足も出ませんでした。1本目は私がインコース、先にスタート。今回は予選から全て早めの先行、小細工無しで勝つのが目標。しかし上手く内を突かれて先行を許しましたが、これを差し切り勝ち。2本目は私が後攻めですので、今回の調子なら油断しなければ絶対に負けない自信はありました。細かいレースの内容は後編で紹介します。

S級1班で活躍、2007年引退

 初めまして。米国テキサス州ヒューストン在住、案浦攻と申します。福岡県博多出身、中央大学自転車競技部OB、17年間プロの競輪選手として日本全国の競輪場で走りました。S級1班に在籍、ワールドカップで入賞経験があります。2007年に競輪選手を引退、すぐにヒューストンへ移り住みました。

競輪現役選手時代の案浦攻さん(手前=本人提供)

米国人の妻と結婚、子育て環境求め渡米

 妻とはアメリカから私の地元の大学に交換留学生として来日した時に知り合い、国際結婚して25年、3人の息子がいます。長男が3歳になる頃、妻が日本社会では米国人女性が企業内で活躍できない事、子育て環境に対する疑問が募り、米国へ戻る事を決心しました。

 仕事としての競輪は大好きでしたので、体力が続く限り現役を続けたい希望はありましたが、さすがに日本と米国を行き来しながらの選手生活は無理です。気力は最高に充実していましたが、持病の膝の問題を抱え、スピードの衰えは感じていましたので、年齢の区切りも良い40歳で思い切って引退を選びました。競輪選手生活に未練はありましたが、「誰でもは行けない米国生活、今行かなかったら、いつ行くんだ?」の思いも有りました。

 当初、西海岸に住みたかったのですが、すでに不動産価格が高騰しており、子持ち職なしでのスタートは不安がありました。まずは妻の両親が住むヒューストンへ向かいました。

自転車メカニック、工業製品の営業など経験

 移住を決めた頃、中央アジアで自動車販売業をされている日本人からアメリカから車の定期的な輸出依頼を受けました。これはチャンスだと思い、渡米後半年間準備に費やし、いつでも輸出可能という状況になって、オーダーは受けたのですが決済するまでに至りませんでした。子供は、まだ3歳と1歳でしたので、モーターホームを運転して全米を旅行するのが最初の予定でしたが、不安もあり目先の収入に欲を出してしまい大事な半年を失いました。

 その後、地元大学の英会話クラスに通い、一旦気持ちを切り替え、先ずは地元の自転車ショップにメカニックとして勤めました。指が腱鞘炎を起こすほど忙しかったですがアメリカ社会を肌で感じることが出来、同じ趣味を持つ仲間と働くのは大変楽しかったです。

 1年半が過ぎたところで退職、工業用扇風機の日本への販売を手伝いました。日本への営業を任されましたが子供に手が掛ることもあり、日本への出張等ままならず断念。

自宅でできる仕事としてのビルダー

 その後自宅で出来る仕事は何か無いかと模索していたとき、競技用、サイクリング用自転車のフレーム製作を思い出しました。これなら、私の経験が生かせ、自宅のガレージを作業場にすればやっていけるのではないかと…。当時アメリカには200とも300ともいわれる独立系のフレームビルダーがいました。全米4位の規模を誇る大都市ヒューストンですがビルダーが誰も居なかったのも、この仕事を始めようと思った一因でした。

渡米後、自転車店勤務を経て、フレームビルダーとしても活躍した ⒸHideki OHTA

 競輪選手時代に40本以上の自転車フレームを注文したことがありますので、製作の大体の流れは知っていましたが、実際に作ったことはありません。どこかの製作所に弟子入りしたいところですが近所にはありませんし、小さな子供が2人いる状況で自宅を離れて修行に出るのは到底無理です。以前、ネットサーフィン中に偶然見つけた、コロラド州で、フレーム製作スクールを主宰している日本人フレームビルダーの方に教えて頂き、日本在住の先輩ビルダーにもメールを介して教えて頂きました。

 しかし、独り立ちするのに長年の修行が必要と言われる職人の仕事を独学でするのはとても難しく、頭を抱え込むことも多々ありました。腕が上達するにつれ少しずつ名前も知られるようになり、修理、製作の依頼が入ってくるようになりました。

美しい「ANNOURA」のフレーム(提供写真)

 製作する側になって、競輪選手時代は無理な注文を当たり前のようにしていたことを反省しました。反面、その厳しい注文に正確に答えてくれる日本のフレーム製作者の技術力の高さには驚かされます。当時のアメリカでは芸術的な装飾や、新素材を使用した製品が珍しく、喜ばれました。細かい仕上げは、あまり要求されませんでした。やはり綺麗な仕上げが施された製品は、洋の東西を問わず喜ばれるのは確かです。

競技用自転車以外の制作にも挑戦していた(提供写真)
「ANNOURA(案浦)」のロゴ(提供写真)

日本人相手の不動産業へ

 渡米後しばらくして妻が、不動産会社で働き始めました。その後、日本関連の需要の伸びを感じ独立、不動産会社を始めました。当時、ヒューストンで日本語が話せる不動産業者は2、3人だけでしたので仕事は順調に増えました。会社が忙しくなるにつれ、日本語が出来るエージェントが必要となりましたが、ただでさえ就労ビザを持つ日本人が少ない土地柄ですので誰も見つかりません。結局のところ私が不動産業ライセンスを取得。仕事もフレーム製作から不動産業へと少しずつシフト。現在に至ります。

 私は渡米後落ち着いた頃から、週末朝は100人前後集まる近所のサイクリングクラブ主催の練習会に参加しましたが、ヒューストンはどこまで行っても平地のみ。最大標高は近所の橋といった土地柄で、正直言って面白くありませんでした。また、路側帯が無い道が殆どですし、車の制限速度も時速60〜80kmと高く、3カ月ほどで恐ろしくなり興味も薄れてきました。

健康診断の結果を見て、競技再開決断

 私は少年時代から高強度トレー二ングには耐性があり、生来のスポーツ好きと思っていましたが、その後の10年間はビールと肉食の毎日。運動しないと体がムズムズする等は全く無く、それはそれで楽しい毎日でした。ジムの会員になっていましたが何も目標がないので、義務感で2、3週間通っても、その後3カ月間休み。の繰り返しで殆ど運動はしませんでした。3年前のある日、健康診断を受けました。「そろそろ来るかな?」とは思っていましたが、実際にボロボロの結果を見ると、かなりのショックでした。

現在は不動産業を営む案浦攻さん(本人提供)

 いい加減に運動しないと、成人病まっしぐらを実感しました。たまたまボランティアで行った地元の自転車競技場で、「来年、再来年のUCI 世界マスターズ選手権トラック競技はロサンゼルスで行われる」と聞きました。そういえば競輪選手を引退したら出てみたいと思っていましたし、ちょうど50歳と区切りが良いのもあり、ここで始めないと次が無いかな?とトレーニング開始。全米マスターズ選手権は市民権がなくとも、永住権があれば参加出来るのも幸いでした。

 先ずはジム通いとウォーキングから始め、ビールも炭酸水に変えました。交通事故が怖く、あまり屋外で自転車には乗りたく無いので、いつか使うかもしれないと日本から持ってきていた、パワーマックス(高強度でスプリントトレーニングが出来るステーショナリーバイク)と電動ローラー台を引っ張り出しました。

 目指すは500mタイムトライアルとスプリント。社会人選手はトレーニング時間に限りがありますので、トレーニング種目も重要度別に分け、効果が薄いであろう、時間がかかるであろう種目は切り捨てました。結果、ジムトレーニング、パワーマックスやローラーでのダッシュ、交通量が少ない時間帯に近所の1.5kmの道を行き来してのダッシュ、シーズン前の自転車競技場トレー二ング、に限定しました。自営業の利点を生かして、日中1時間の暇を見つけたらトレーニングをする事も決めました。

<後編へ続く>

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