山口和幸の「ツールに乾杯! 2019」<4>フランス中南部の古都アルビでの休息日 好天続くツールは折り返し後半戦へ
フランス中南部のアルビはローマ帝国によって都市が建設されたという古い歴史を持ち、画家のロートレックが生まれ育ったところとして知られる。直近のツール・ド・フランスでは2013年の第7ステージのゴールになっている。
アフリカ大陸に初のマイヨジョーヌ
その年は、モンペリエにゴールした前日の第6ステージで南アフリカのダリル・インピーがアフリカ大陸出身選手として初めてマイヨジョーヌを獲得していた。インピーは当時オリカ・グリーンエッジ(現ミッチェルトン・スコット)にいて、チームメートのサイモン・ゲランスからマイヨジョーヌを譲り受ける形で首位に立ったのだ。
第6ステージはアンドレ・グライペルがスプリント勝利したのだが、大集団の前方の16人と、17番手以降の間に5秒のタイム差が開いた。マイヨジョーヌを着ていたゲランスはこの後方集団の中にいて、前方の集団に位置していたチームメートのインピーが図らずも首位になったのである。

アフリカ出身者としてはモロッコ生まれのリシャール・ヴィランクがすでにマイヨジョーヌを着用してはいたが、アフリカ大陸の国籍を持つ選手としては初めてのこと。ツール・ド・フランスの勢力図が変わりつつある時代だった。
「ゲランスがボクにマイヨジョーヌを譲ってくれたんだと思う。夢を見たようにフワフワした感じだ。1日でマイヨジョーヌを失ったとしても、明日は最高の気分で走ることができるだろう」と語っていたインピーだったが、続くアルビのゴールでもそれを堅持した。
若きサガンの栄光
第7ステージのゴールがアルビだった。ここでパワーを見せつけたのが当時キャノンデールに所属していたペテル・サガンだ。レース序盤から逃げていた数選手を追って、キャノンデール勢がメイン集団の先頭に立ってペースメークをずっと続けていた。あまりのハイペースにグライペルやマーク・カヴェンディッシュらのピュアスプリンターがたまらず脱落していく。サガンにとってはそれが好都合だった。

最後はキャノンデールのアシスト陣がすべての逃げを吸収し、少人数となったゴール勝負をサガンが制した。キャノンデールはこの日、およそ150kmにわたってメイン集団の先頭でペースメークしたことになる。サガンはこの年の大会でそれまで区間2位が3回となかなか勝てなかったが、ライバルスプリンターがいないのだから最後はお得意のウイニングポーズを決めた。
「チームはメイン集団をハイペースでけん引してスプリンターたちを脱落させてくれた。レースのほとんどで隊列を組んでゴールを目指してボクを導いてくれた。この勝利でチームの強さを証明できたはずだ」とゴール後の記者会見でサガンがコメントした。

インピーはこのメイン集団に食らいつき、マイヨジョーヌを守った。「チームからはマイヨジョーヌを守ることが最優先と指示された。また1日夢のような気分が味わえるが、明日はピレネーだ。フルームらがそれを許してくれないと思う」とアルビの記者会見でインピーがコメントしたが、翌ステージはそのとおりになる。クリストファー・フルーム(当時スカイ)が人生で初めてマイヨジョーヌを獲得すると、最終日のパリまで手放すことなく、第100回大会の総合優勝者となるのだ。
ヴィノクロフの意地
時代をさかのぼって2007年の第13ステージでは、アルビで個人タイムトライアルが行われている。その年最初の長距離タイムトライアルは冷たい雨が降る中で行われた。濡れた路面にスリップして落車する選手も見られたが、終盤の選手が登場するころには雨も上がっていた。

この年は、トラック競技とのかけ持ちで当時コフィディスに所属していたブラッドリー・ウィギンス(イギリス)がいて、後のツール・ド・フランス総合優勝者としての才能を開花させようとしていた。まだ期待もされていなかったウィギンスはこの日の19番スタート。プロローグでいきなり4位に食い込んでいるが、タイムトライアルの強さはこのころからあって、アルビでは暫定のトップタイムを記録した。
これを上回るタイムが生まれたのは129番あとに登場したアレクサンドル・ヴィノクロフだ。当時はスイス登録だったアスタナのエース、そして現在はカザフスタン登録となったアスタナのマネージャーとなるヴィノクロフは、ウィギンスのタイムを2分14秒も上回るタイムでフィニッシュ。後日ヴィノクロフはドーピング違反発覚によって記録がはく奪されるが、鬼気迫る走りでもあった。
2007年の総合優勝者は最終的にアルベルト・コンタドールになるのだが、よくも悪しくもこの年はヴィノクロフのツール・ド・フランスだった。ちょっと困ったような表情の深層にはカザフスタン国家の期待を背負う、か弱い人間の苦悩がにじみ出ていた。最有力といわれる立場の、逃げ出したくなるような責任感がヴィノクロフにはいつも見受けられた。

第14ステージでヴィノクロフはゴール前で観客と接触して落車。両ヒザを15針縫うという大ケガを負い、この日だけで28分50秒遅れて、ここで総合優勝争いから脱落している。ところが翌ステージ最初の峠でヴィノクロフがアタックし、さらに最後の峠で単独となってゴールまで逃げ切った。
これもドーピング違反によって記録抹消となっているのだが、ゴール後にはヴィノクロフの気持ちがほとばしるようなコメントがあった。「ボクにとってのツール・ド・フランスは昨日で終わったが、今日もスタート時に励ましてくれたチームメートの士気のためにステージ勝利がほしかった。パリで表彰台の頂点に立つことだけを考えてあらゆる準備をしてきたが、本心としては残念な気持ちもある。でもこれがスポーツで、しかもフットボールやテニスとも違うものなんだ」
勝負どころの後半戦へ

2019年のアルビは前半戦の締めくくりとして登場。そして休息日のホスト都市を務め、さらに後半戦の開始となる第11ステージのスタート地点となった。
アルビを出発すれば勝負どころのピレネー山脈はもうすぐだ。マイヨジョーヌを着用するジュリアン・アラフィリップにとって、はるかに望むピレネーの秀峰はどう見えるのか? そして総合2位につけたイネオスのゲラント・トーマス、同3位のエガン・ベルナルがどんな戦いを仕掛けてくるのか?
開幕時から好天が続く第106回ツール・ド・フランス。アルビの乾いて過ごしやすい空気にこれから始まる激闘のにおいが交じる。

ツール・ド・フランスをはじめ、卓球・陸上・ボート競技などを追い続け、日刊スポーツ、東京中日スポーツ、ナンバー、ターザン、YAHOO!などで執筆。国内で行われる自転車の国際大会では広報を担当。著書に「ツール・ド・フランス」(講談社現代新書)、「もっと知りたいツール・ド・フランス」(八重洲出版)など。