山口和幸の「ツールに乾杯! 2019」<3>サンテティエンヌのドラマチック なるかイノー以来のフランス人総合優勝

by 山口和幸 / Kazuyuki YAMAGUCHI
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 ツール・ド・フランス第8ステージのゴール、第9ステージのスタートとなるサンテティエンヌはフランス南東部にあるロワール県都。これほどの大都市のわりには106回を数える大会の歴史の中にそれほど登場していない。それはなぜか? このエリアに踏み込みにくい時代があったからだ。

サンテティエンヌの町はとても落ち着いている Photo: Kazuyuki YAMAGUCHI

一大広告媒体だったツール

 ツール・ド・フランスの主催社はスポーツ新聞のレキップ、一般紙のル・パリジャンなどを発行するASO(アモリー・スポール・オルガニザシオン)だ。サンテティエンヌは地方紙最大級の発行部数を誇ったこともある「サンテティエンヌ紙」のテリトリーで、ツール・ド・フランスは訪問したがらなかったのだ。

ユネスコ認定のデザイン都市で、いたるところにユニークなオブジェがある © Saint-Etienne Tourisme&Congrès – Buchowski et Vagabonde

 ル・モンドやレキップを例外として、フランスには全国紙がほとんどない。「ドーフィネリベレ」とか「ミディリーブル」といった、各都市をベースとしてエリアに根づいた地方紙があり、地域の人にこよなく愛されている。そしてそれぞれが地元を舞台とした自転車レースを主催していた時代があった。

 もうちょっと突っ込んでいえば、この現象はツール・ド・フランスが誕生した背景と密接に関わっている。テレビが一般的ではなかった20世紀前半、フランス全土に自社商品を広告するためには新聞はダメで、もっと別の手法で一気に全国に告知する宣伝媒体が求められていた。

 そこでひらめいたのがレキップ紙(当時はロト紙)のアンリ・デグランジュ編集長。フランス全土一周のツール・ド・フランスを企画すれば、大会協賛社が大喜びするはずだと。案の定、広告スポンサーが名乗りを挙げ、一般的な注目度高くて大会は大成功。つまりツール・ド・フランスは単なるスポーツというよりも、世界で最初の広告媒体として重要なのである。

サンテティエンヌのサルドプレス(プレスセンター)はサッカー元日本代表の松井大輔が活躍したサッカー場だった Photo: Kazuyuki YAMAGUCHI

 で、サンテティエンヌ。そういった理由でボクもめったに滞在しなかったが、近年はツール・ド・フランスがこの町を訪問することが許された。それはなぜか? サンテティエンヌを中心に開催されていたパリ〜ニース(創設当時はパリ〜サンテティエンヌ)が財政面の窮地に陥り、それをツール・ド・フランス主催者が救済したからだ。

 ということで、3月に開催され、地中海のニースを目指すことから「太陽に向かうレース」というニックネームを持つ大会はツール・ド・フランスの姉妹大会となる。近年は市民とともにツール・ド・フランスの到来を歓迎し、パリ〜ニースの話題性向上も期待しながら全面協力しているというわけ。

血だらけのイノー、最後のツール制覇

 サンテティエンヌのゴールで最もセンセーショナルだったのは1985年のツール・ド・フランスだ。NHKが初めて現地取材に乗り込み、「世界最大の自転車レース、ツール・ド・フランス」と題してNHK特集が報じた。多くの日本人が「こんなスポーツがあるんだ」と初めて知らされ、これがきっかけとなって日本社会にロードバイクブームが到来する。

1985年のジロ・デ・イタリアでマリアローザを着るイノー。この年はジロとツールのダブル総合優勝を達成した Photo: Yuzuru SUNADA

 この年はフランスのベルナール・イノーが大会序盤から強さを見せつけ、5回目の総合優勝は決定的かと思われた。アルプスでは、区間勝利をねらって飛び出したコロンビアの山岳王ルイス・エレラと協力して、後続に残ったチームメートであり、総合優勝争いのライバルでもあるグレッグ・レモン(アメリカ)との差を広げた。

 ところがサンテティエンヌにゴールする第14ステージで不測の事態が発生した。レースは独走でエレラが制したのだが、2位をねらったゴールスプリントに参加したイノーがクラッシュ。鼻骨を折り、顔面から真っ赤な血をしたたらせながらなんとかゴールラインを通過した。

 翌日はスタートを切ることができたが、息をするのもやっとの状態。マイヨジョーヌを着用するイノーのアシスト役であるレモンは、他チームのアタックに加わらないように自分の心をコントロールした。今ならエース交替も想定できるほどのイノーの負傷だったが、フランス選手が最多勝利にあと一歩という状況で、アメリカ選手が代役で栄冠を手中にすることなど許されない雰囲気だった。

 最終的にイノーが総合優勝。レモンは最終日前日の個人タイムトライアルを勝ち、アメリカ選手初の区間優勝者という記録のみに甘んじた。

昨年のツール第5ステージのステージに登壇したイノー(中央)。現時点で1985年のイノーが、フランス人最後のツール総合優勝だ Photo: Yuzuru SUNADA

何かが起こるサンテティエンヌ

 2014年ツール・ド・フランス第12ステージのゴールがサンテティエンヌだった。山岳ポイントが4カ所に設定されたステージは序盤から逃げ続けた選手らを大集団がレース終盤に捕らえ、ゴール勝負を制したカチューシャ(当時)のアレクサンドル・クリストフが初優勝を飾った。ノルウェーで唯一今大会に出場している選手で、同国の栄冠は3年ぶり。

2014年はクリストフがサガンを制した © ASO

 10km地点からネットアップ・エンデューラのダビ・デラクルス(スペイン)ら5選手がアタックし、後続のメイン集団に5分30秒差をつけた。ところが90kmの直角コーナーでデラクルスが落車してその場でリタイア。数が少なくなった先頭集団はさらに脱落者が出て、残り5km地点までにすべて吸収された。

 レース終盤はゴール勝負に持ち込もうとするジャイアント・シマノやキャノンデールなどが積極的に動いた。最後は思わく通り集団ゴールスプリントとなり、「カラシニコフ銃」という威名を取るクリストフが優勝した。

 総合1位のヴィンチェンツォ・ニバリ(イタリア、当時アスタナ)やヨーロッパカーの新城幸也はタイム差なしの第1集団でゴール。翌13ステージからアルプス山脈に突入するするとあって有力選手は体力温存の一日で、クリストフはその心境を察知して勝ちを稼ぎに行ったのだ。

 2019年はトマス・デヘント(ベルギー)が伝説的な逃げでステージ優勝。さらには地元期待のジュリアン・アラフィリップ(フランス)がマイヨジョーヌ奪還。さすがサンテティエンヌ。いろいろなことが起こる。

今年のサンテティエンヌゴールは、フランス期待の2人が終盤、メイン集団からアタックを決めた。アラフィリップ(左)はマイヨジョーヌを奪回、イノー以来34年ぶりのフランス人総合優勝を狙うピノ(右)は実質の首位に立つ総合3位に躍進 Photo: Yuzuru SUNADA
山口和幸山口和幸(やまぐち・かずゆき)

ツール・ド・フランスをはじめ、卓球・陸上・ボート競技などを追い続け、日刊スポーツ、東京中日スポーツ、ナンバー、ターザン、YAHOO!などで執筆。国内で行われる自転車の国際大会では広報を担当。著書に「ツール・ド・フランス」(講談社現代新書)、「もっと知りたいツール・ド・フランス」(八重洲出版)など。

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