メダルを逃す残念な結果別府史之ら先輩選手と挑んだアジア選手権 小石祐馬のインサイドリポート

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 中央アジアに位置するウズベキスタンで4月28日、アジア選手権ロードレース、エリートの部が開催された。日本からも各チームから選ばれた精鋭が集い、アジア王者を決めるレースに挑んだ。その中の一人、小石祐馬(チームUKYO)によるインサイドリポートをお送りする。

アジア選手権に挑んだ4人。右から小石祐馬、窪木一茂、別府史之、増田成幸(提供画像)

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代表メンバーとの交流も

 ウズベキスタンで行われたアジア選手権のチームタイムトライアルとロードレースに参戦した。実はエリートになってからアジア選手権に参加するのは初めて。U23(23歳未満)の頃は優勝したこともあるが、エリートはまた別の話。今回の参加メンバーは、トレック・セガフレードの別府史之選手、宇都宮ブリッツェンの増田成幸選手、ブリヂストンの窪木一茂選手とみんな経験豊富な選手。初めてのアジア選手権であったが、心強いチームメイトのおかげで安心してレースに臨むことができた。

 さて、ウズベキスタンは日本の西に位置しており、自転車競技の強豪国のカザフスタンの南にある国で、今回は韓国経由で現地入りした。日本から約10時間で、ウズベキスタンの首都のタシュケントの空港に到着。日本との時差は4時間だ。事前情報では、空気が乾燥していて、年間300日くらいは晴れとある。しかし、現地に着いてみるとホテルが山の中腹にあって標高1000m弱に位置していたこともあり、連日の雨。気温も20℃に届かないような天候で涼しく感じられた。宿泊した宿はタシュケントの空港から2時間くらいのところにあるホテルで、ウズベキスタンに到着した日の夜そのまま主催者の用意したバスに揺られながらホテルに到着。その日は真夜中だったのでご飯も食べずにすぐに寝ることに。

 今回、アジア選手権ということで、ジュニアからU23まで様々なカテゴリーがある。もちろん宿も同じなので、普段会わないジュニアの選手とも交流があった。その中でも印象に残ったのは津田悠義君である、彼はまだジュニアに上がったばかりの選手で、僕とは10歳程離れているが、最初の数日間部屋数の関係で彼と同部屋になったり、一緒に到着した翌日の回復走に行ったがよく話してくれたので退屈することなく過ごすことができた。現地に着いてから最初のレースのチームタイムトライアルが始めるまでには3日間あった。飛行機での移動疲れや、気候の変化も含め慎重に調整を行い、軽めのトレーニングを3日間行いレースを迎えた。

増田選手が未出走に

 チームタイムトライアルのメンバーは、エリートから別府選手を除く3人と、前日にヨーロッパから到着したU23の3選手の6人で出走の予定だったが、急遽増田選手が体調不良によりスタートできないことになって5人で走ることになった。日本チームは個人タイムトライアルの日本チャンピオンの窪木選手を軸に走ることとなったが、あまりこのメンバーで合わせたこともないので“調子を見ながら長く牽引できる選手はする”とざっくりとした戦略でスタート。結果は5位だった。あまり良い結果とは言えないスタートとなった。

 チームは5日後に控えるロードレースに向けて切り替えることにした。この5日間大事なのは、まずチームタイムトライアルの疲労を完全に抜き、コースの下見等しながら調整すること。レースはラスト20km弱が上りで、その山頂がゴール地点となる。ゴール地点はホテルから自走で行ける範囲だったので下見に行きレースに向けて万全の準備をして迎える。

 そして、レース前日のミーティング。今回の主な作戦は、直前のツールドランカウイで好調で上りに強い増田選手を軸に戦うとのこと。とは言っても、アジア選手権は各チーム4人出走のレースなので、普段のレースの様なチーム戦は難しく、逃げが先行してそのままフィニッシュまで行ってしまう可能性も高い。よって、別府選手と僕は逃げができれば入る。そして窪木選手は平坦路で増田選手が体力を温存し、上りに入れる様にサポートすると行った作戦になった。

アジア選手権の難しさを痛感

 迎えたレース当日、天気は快晴で気温20℃前後の過ごしやすい日だった。レースの要はやはり強豪国カザフスタンの動きで、彼らの動きには常に警戒していないといけない。それは他の国も同じ考えがあるようで、カザフスタンが仕掛けるとみんなが追いかける。そんななか、日本もカザフスタンも入っていない8人の逃げが行ってしまう。その後、一旦落ち着いたように思えたがカザフスタンが再度攻撃し始め、またアタック合戦に戻る。アタック合戦が少し続いたあと、集団から6人追走ができる、ここに日本チームからは僕と窪木選手が入る、カザフスタンや台湾のエース選手も入っているので良い展開だ。そこから6人で協力して前の8人を追いかける。そして30分程追走すると、前に追いつき14人のグループになった。

 今回のアジア選手権は無線が許可されていないので、集団の後ろにあるチームカーの隊列から浅田監督を呼び、作戦を聞くと、「このグループがそのまま行く可能性が高いので力を温存し、最後の上りに備える」と指示を受けた。その後は、できる限り脚を使わないように心掛け、補給食も20〜30分に一回は食べるようにして万全の準備で上りに入れるように整えた。しかし、このグループはみんな力を温存したいので、上手くローテーションが回らずハイスピードが維持できない。その間も後ろは前に乗せていない国が牽引するので、3分半あった差が1分半まで縮まる、ラスト25kmを切り、上り開始まで5kmというところでは集団とのタイム差は1分を切っていたので、先頭集団からアタックがかかり、先頭は分裂した。

 ここでは僕も窪木選手も前に残り日本チームとしては良い展開に。後ろにはメイン集団も見えている状況で上りに入ると、残ったメンバーでアタック合戦となる、ここで強かったのはカザフスタンと台湾の選手、結果的に彼らに置いていかれる形で人数を減らしたメイン集団にパスされるが、メイン集団もバラバラになっていたので適当な位置でゴールを目指すことになった。

 今回、上りの麓までは逃げに入り日本チームからは2人乗せることができ、良い展開になったが最後は上りで力の差を見せられた形になった。しかしながら、最終的な展開に残ったのは増田選手のみ。結果は7位でメダル獲得はならずであった。

 このアジア選手権のウズベキスタンのホテルでは、日本チームから何人か体調不良となる選手が出るベストなホテルではなかったが、そのなかでできることはできたのかな?と思うが、やはり選手権なので結果が全て。ロード、チームタイムトライアル共にメダルを獲得できなかったのは残念な結果になった。

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