連載「Cyclistが駆け抜けた平成」<4>平成に70万km走った三船雅彦さん 欧州“モニュメント”も、独りの星空ライドまで「すべてが同じ1日」

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 現役時代は日本だけでなく欧州をベースにロードレース、シクロクロスで活躍した鉄人・三船雅彦さん。現役引退後もパリ~ブレスト~パリ、ロンドン~エジンバラ~ロンドンなど、欧州のブルべイベントに出場するほか、日本の全部の道を走破しようと、STRAVAのヒートマップを毎日埋める日々を過ごしています。毎日走り続ける三船さんが、自ら平成に走った総距離とともに、思い出のコースを振り返ります。

2017年のロンドン~エジンバラ~ロンドンを走った三船雅彦氏。「81時間以上に渡って走り続けた。何度も夜を乗り越えてのライド、常に自分との戦いだった」 Photo: Masahiko MIFUNE

18歳でオランダ、33歳までベルギー

2002年、リエージュ・バストーニュ・リエージュに出場した三船雅彦さん Photo: Yuzuru SUNADA

 いよいよ「平成」が過ぎ去り、「令和」がやってこようとしている。ここに特別な思い、感極まるような気持ちがあるということが、自分も日本人だなと改めて思う。平成という時代をサドルの上から振り返るならば、その大半は競技選手として、そして半分近くは海外で走ったことになる。

 そのため西暦には非常に違和感がないものの、いまだに役所へ行くと「平成何年だっけ」と思うことは多い。それでも令和という響きに反応している。18歳の時にオランダへ渡り一度挫折して日本に戻るも、平成に入ってからはオランダそしてベルギーを拠点に33歳まで過ごした。

 振り返ってみるとざっくりとだが平成という時代に約70万kmを走っている。この中で一番思い出に残っているものは?と聞かれても実は非常に困るのだ。これは自分の性格なのかもしれないのだが、まず練習をするときも曜日ごとのメニューは決まったとしても、練習コースは固定していない。

2001年、ロンド・ファン・フラーンデレンに出場した三船雅彦さん Photo : Yuzuru SUNADA

 毎回同じところを走るという行為が非常に苦手で、せっかく自転車は自分の意思で好きなところへと足を運べるのに、なんで毎回同じところを走らないといけないんだ?と思うわけである。それが今のSTRAVAでのヒートマップに繋がっているのだと思う。選手という部分よりもサイクリストとしての部分の方が自分の場合は強いのだと思う。

 こういう場合は「一番思い出に残るのは“ツール・デ・フランドルだ!”とか“3回出場したリエージュ~バストーニュ~リエージュに決まっている!”とか、“パリ・ブレスト・パリだ!”はたまた“優勝したレースすべてですよ!”」というのが正しい返答なのかもしれないが、正直なところそこまで特別に感じていない。すべてが「平成31年間で走ったうちの一日」に過ぎない。そんな中で選手をやめてから一番変化したのは「夜」を走ることだろうか。

引退後知った「夜を走る楽しみ」

 大きなライトを装着するという概念もなかったし、夜は走る時間じゃなくて「寝る時間」なのである。それは今でも常識なのだが…ブルべをやり始めた当時「〇×からのナイトランは星空がきれいだし楽しみですよ!」と聞いたとき、あんな真っ暗なダム湖を走るなんて、何かあったらおしまいでしょ!」と自分だけ大急ぎで走り去り、唯一ダム湖を明るい時間に走り抜けたのだが、最近ようやく星空を見ながら走るというのもまんざらではないと思う。

 今でも星空を見て、どれがどれだか、どれが何座かなんてわからない。わかっているのは光害のないところで見る星空は感動的で、これが本来の姿ではないのだろうか、ということだ。自転車で走るということは、自然であったり環境であったり、いろいろなことを考えたり向き合ったり、時には問題を突き付けられたりしながら走っているのだと最近は感じている。

ナイトランではライトの明るさが重要になってくる。明るさが十分でないと夜に安全に走り続けることは不可能だ Photo: Masahiko MIFUNE

 何度も訪れている信州ビーナスラインは、夜中に走ると日中とは違う景色に戸惑うことが多い。頭上に広がる星空。そのあまりの星の多さと明るさに、最初目にしたときは目が回りそうだったのが印象的だった。選手をしているときには多くの国を訪れた。コロンビアにスロバキア、香港にマカオ…選手をしていなければ間違いなく走ることはなかっただろう。

世界選、ゲリラ制圧地域で練習

 1995年(平成7年)ロード世界選手権で訪れたコロンビアでは、地図もなく気の向くまま走っていたが、あとでわかったのだがゲリラ制圧地域に一人で練習をしていたようだ。現地の日本人通訳の方から、よく無事に帰って来れましたね!と。捕まってお金の強奪は当たり前で、お金がないと臓器売買の対象になると言っていた。

95年の世界選手権はコロンビア。首都ボゴタ界隈は標高2500mで、峠の上は3000m超級。酸素も薄く苦しかった。この写真はゲリラ制圧地域ではない(笑) Photo: Masahiko MIFUNE

 言われてみれば、すれ違う装甲車に民間人が乗っていたのですごいなぁ~と思ったのだが、そもそも乗車しているのが軍人でなかったということか。途中でバリケードとかなかったですか?と言われたが、確かにあったのだが普通に挨拶して言ったら通らせてくれた。どうも現地人だと思われていたのだろうか。そういえば現地の人に道を聞かれた…装甲車に乗る民間人や兵隊がみんな笑顔で手を振っていたのだが、それは誰も日本人だと思っていたなかったということなのだろうか…。

 コロンビアでは練習をしていても襲われる可能性があるということで、武装警官が必ずオートバイで並走していた。日本チームはまだマシなほうで、スペインやアメリカチームは装甲車に囲まれての練習だった。上りに行くと酸素は薄いし(標高3000m前後)酸欠になりながら峠を越えていた。もう一生のうちにコロンビアで自転車に乗ることも走ることもないだろう。

結局のところ、自転車が好きなんだな

 シクロクロス世界選手権で訪れたスロバキアでは、練習がてらアイスバーンの道路をシクロクロスバイクで約40km離れたスピシュスキー城まで行った。気温はとんでもなく低く、ホテルの前はいきなりのアイスバーン。今のようにGPSもなく、なんとなく地図を見ていて行きたくなり、ナショナルチームのメンバー1人と一緒に走っていった。

98年のシクロクロス世界選手権で訪れたポプラド(スロバキア)外気温が氷点下20℃!デジカメは一瞬で結露。※この写真は「写るんです」で撮影(笑) Photo: Masahiko MIFUNE
2017年のロンドン・エディンバラ・ロンドン。初めて訪れたスコットランド、目まぐるしく変わる天気に翻弄された Photo: Masahiko MIFUNE

 あまりのデカさに圧倒され、すごく感動した。しかしまたアイスバーンの道を走って帰るのかと思うと途方に暮れた。ちなみにここで全力を出したのか世界選手権ではいいところはなかった。結局振り返って見えると、自転車で走るのが好きだなぁと我ながら思う。

 令和という時代、いったい何キロ走れるのだろうか。まだまだ知らない道がこの世の中にはたくさんある。むしろ走っていない道の方がはるかに多い。さようなら平成、そしてようこそ令和。そしてまた新しい思い出を作るべく、気持ちを新たにペダルを漕いでいこう。

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