連載「Cyclistが駆け抜けた平成」<2>黄金時代からドーピング問題、そして本当のレース界の発展へ 平成のレースシーンを振り返る

by あきさねゆう / Yuu AKISANE
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 平成の時代を振り返る連載『Cyclistが駆け抜けた平成』の第2回は、海外レースコラムでおなじみのあきさねゆうさんが担当します。歴史的な瞬間を作ったあのレースや、世間を驚かせたドーピング問題など、大きなトピックを中心に約30年間の出来事を回想します。

←第1回連載・「平成元年に渡仏、栗村修の自転車遍歴」

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歴史に名を残す英雄たちの活躍

 間もなく令和の時代を迎えるにあたって、平成元年となる1989年から今日までのレースシーンを振り返っていきたいと思う。日本の改元を発端とした振り返り企画なのに、主に海外の出来事を扱うことへの違和感は拭えないが、国内のファンに向けて振り返るタイミングとして最適という意味で温かい目で見ていただけると幸いである。

 ヨーロッパ中心のレースシーンが、徐々にヨーロッパ外へ波及し始めたのがこの頃だった。その象徴たる存在がグレッグ・レモン(アメリカ)だ。1986年にヨーロッパ以外の選手として初めてツール・ド・フランスで総合優勝を飾った。ところが、翌年狩りの最中に友人の猟銃が暴発して胸部に銃弾を受ける事故に遭い、生死をさまよう重傷を負った。

熾烈なマイヨジョーヌ争いを繰り広げたグレッグ・レモン(後方)とローラン・フィニョン(前方)。写真はツール・ド・フランス1989 第10ステージにて Photo: Yuzuru SUNADA

 そうして平成元年となる1989年には、事故後初めてツールに出場。最終日の個人タイムトライアルで勝利すると、それまで首位のローラン・フィニョン(フランス)を逆転し、わずか8秒差で総合優勝を飾った。

 1990年には日本でロード世界選手権とトラック世界選手権が開催。ロードレースは宇都宮市・森林公園の周回コースで行われ、ルディー・ダーネンズ(ベルギー)が勝利した。この世界選レガシーを生かして、2年後にジャパンカップサイクルロードレースが初開催された。

タイムトライアルを得意とし、山岳ステージでも攻撃的な走りを見せたミゲル・インドゥライン Photo: Yuzuru SUNADA
クラウディオ・キャプッチ(中央)は1993〜1995年にかけてジャパンカップ3連覇を成し遂げた Photo: Yuzuru SUNADA

 1991年からはミゲル・インドゥライン(スペイン)の時代が到来。同年ツールで初の総合優勝を飾ると、1995年まで総合5連覇を達成。その走りの特徴はタイムトライアルでタイムを稼いで、山岳ステージで守り抜くスタイルだ。以降、様々な選手が同様のスタイルを確立し、ピュアクライマーが総合優勝することが難しくなっていく。

「イル・ピラータ(海賊)」の二つ名を持つマルコ・パンターニは英雄的な人気を誇った Photo: Yuzuru SUNADA

 そのなかで名クライマーとして名をはせたマルコ・パンターニ(イタリア)は、傑出した存在だったといえよう。1998年にはジロ・デ・イタリアを制覇。さらに同年ツールでも総合優勝を飾り、ダブルツールを達成した。ツールでは、総合2位となったヤン・ウルリッヒ(ドイツ)に対してタイムトライアルで計6分56秒を失ったにもかかわらず、山岳ステージでのずば抜けた登坂力によりタイムを挽回する戦い方を見せて勝利した。

 マリオ・チポッリーニ(イタリア)が初めてジロでステージ優勝したのは1989年のことだ。以降、2004年までに通算42勝を飾り、現在もジロ歴代最多となるステージ優勝記録を生み出した。

 クラシック戦線では、マペイが黄金時代を築いていた。特に1996年のパリ〜ルーベでは、優勝したヨハン・ムセウ(ベルギー)とチームメートにして2位のジャンルカ・ボルトラミ(イタリア)、同じく3位のアンドレア・タフィ(イタリア)が3人揃ってフィニッシュする圧勝劇を見せた。1998、1999年にもマペイはパリ〜ルーベでワン・ツー・スリーフィニッシュを決めている。

当時のマペイの強さを象徴する勝利ともいえる、1996年パリ〜ルーベでのワン・ツー・スリーフィニッシュ Photo: Yuzuru SUNADA

 日本人選手の活躍としては、市川雅俊が1990年に日本人として初めてジロ完走を果たした。1996年には今中大介が日本人として初めて近代ツールに出場したものの、第14ステージでタイムアウトとなりリタイア。1997年にはマペイに所属していた阿部良之がジャパンカップで優勝。現在に至るまでジャパンカップを勝利した唯一の日本人選手である。

1990年ジロ・デ・イタリアを走る市川雅俊 Photo: Yuzuru SUNADA
1996年ツール・ド・フランスに出場した今中大介 Photo: Yuzuru SUNADA

 1996年にはツアー・オブ・ジャパンが始まり、国内レースの機運が高まり、日本人選手が徐々に世界で活躍し始める黎明期だったといえよう。

ドーピング問題の渦巻く21世紀初頭

 一方で、自転車レース界では常にドーピング問題がつきまとっていた。90年代ごろからドーピングのトレンドが、それまでの興奮剤を中心としたものから、EPOに代表される造血ホルモンや血液ドーピングへと変化。1998年のツール期間中にチーム関係者の車から大量の違法薬物が見つかった「フェスティナ事件」の影響は大きく、自転車レースの人気は年々下降線をたどっていた。

 そのような状況で一躍スター選手となったのがランス・アームストロング(アメリカ)だ。ガンに侵され、生存確率50%との診断を受け、一時は引退を決断していたものの、1999年ツールで総合優勝を果たす。USポスタルチームの圧倒的なチーム力も相まって、以降アームストロングは2005年まで“ツール総合7連覇”の偉業を成し遂げた、…とされていた。

ツール7連覇を飾ったランス・アームストロング(中央)、後にオペラシオン・プエルトにより組織的なドーピング関与を認めたイヴァン・バッソ(左)、ドーピング疑惑により現役引退を余儀なくされたヤン・ウルリッヒ(右)が総合表彰台に上っていた時代だった Photo : Yuzuru SUNADA

 アームストロングは常にドーピング疑惑の視線が向けられ、検査では一度も陽性反応は出なかったものの、2012年にアームストロングのドーピング有罪が確定し、ツール7連覇の記録は抹消。翌年にはアームストロング自身、過去のドーピングを自白することとなった。

 圧倒的な人気を誇ったパンターニもドーピングスキャンダルを引き起こして出場停止に。一時的にレースに復帰していたものの、2004年にはコカインの過剰摂取により34歳で急逝した。

 2006年のツール直前には「オペラシオン・プエルト」により、血液ドーピングを手広く担っていた医師が摘発。捜査段階でウルリッヒを含む多数の選手にドーピング嫌疑がかけられ、同年のツール欠場を余儀なくされた。最終的に捜査のずさんさも浮き彫りになり、うやむやのうちに多くの選手はレースに復帰したものの、ウルリッヒは引退に追い込まれてしまう。

驚異的な走りでステージ優勝を飾った2017年ツール・ド・フランス第17ステージだったが、この日の血液サンプルから陽性反応が出たフロイド・ランディス Photo: Yuzuru SUNADA
2007年ツール・ド・フランス第16ステージで勝利したミカエル・ラスムッセンは総合2位とのタイム差を3分10秒に広げ、ほぼ総合優勝を確実なものとしていたが、この日の夜チームに解雇された Photo: Yuzuru SUNADA

 他にも2006年ツール総合優勝のフロイド・ランディス(アメリカ)は、ドーピング検査で陽性反応となり、大会終了後にタイトルを剥奪。2007年はミカエル・ラスムッセン(デンマーク)がチームに対して所在地を偽って報告していたことが明らかとなり、ツール期間中に即刻解雇。マイヨジョーヌを着たまま大会を去る事態となった。

アルベルト・コンタドールはごくごく微量の禁止薬物の検出によりドーピング有罪となったため、物議を醸した Photo: Yuzuru SUNADA

 2010年にはグランツール全制覇を成し遂げるなど全盛を誇っていたアルベルト・コンタドール(スペイン)もクレンブテロール陽性反応が発覚。2012年にドーピング有罪が確定し、2010年ツール・2011年ジロの総合優勝が剥奪された。

 このように、2000年代のレース界は常にドーピング問題と隣り合わせだった。

 一方、国内では2004年に福島晋一がツアー・オブ・ジャパン総合優勝。2006年からはJプロツアーがスタートした。

 別府史之は2005年にディスカバリーチャンネルでプロデビュー、新城幸也は2009年にBBOX・ブイグテレコムでプロツアー選手となり、同年に2人揃ってツールに出場。第2ステージで新城はいきなりステージ5位に入り、第21ステージで別府は日本人初となる敢闘賞を獲得。2人揃って近代ツールを初めて完走した日本人選手となった。

今もなお日本人トップレーサーとして世界の第一線で走り続ける新城幸也と別府史之 Photo: Yuzuru SUNADA

『弱虫ペダル』の大ヒットにより自転車ブーム到来

 2010年のロンド・ファン・フラーンデレンは伝説のレースとして今もなお語り継がれている。カペルミュールの激坂石畳区間でファビアン・カンチェラーラ(スイス)がアタック。あまりにも凄まじい加速だったため、空撮ヘリがカンチェラーラを見失うほどだった。同年のパリ〜ルーベではなんでもない舗装路で急加速すると、ラスト50kmを独走勝利。異次元の強さにメカニカルドーピングが疑われるほどだ。もちろん全く問題はなかった。

2010年ロンド・ファン・フラーンデレンでのファビアン・カンチェラーラの走りは伝説である Photo: Yuzuru SUNADA
2012年パリ〜ルーベを勝利して、E3・ヘント・ロンド・ルーベと4連勝を飾ったトム・ボーネン Photo: Yuzuru SUNADA

 カンチェラーラのライバルとして、しのぎを削りあったのはトム・ボーネン(ベルギー)だ。2005年にロンドを制覇し、世界王者に輝くと、2012年には北のクラシック4連勝を飾った。パリ〜ルーベ4度優勝・ロンド3度優勝はいずれも史上最多タイ記録である。

 北のクラシックに対して、アルデンヌクラシックで猛威を振るったのはフィリップ・ジルベール(ベルギー)だ。2011年にはアルデンヌクラシック3連勝を飾り、絶対王者として君臨していた。

アルデンヌクラシック3連勝を飾ったフィリップ・ジルベール Photo: Yuzuru SUNADA
アメリカ・リッチモンドでの世界選手権で初優勝を飾ったペテル・サガン Photo: Yuzuru SUNADA

 彗星のごとく現れ、一気にスターダムへとのし上がったペテル・サガン(スロバキア)はツールで5年連続を含む6度のマイヨヴェールを獲得、2015〜2017年にかけて前人未到の世界選手権3連覇を成し遂げた。

 そして、グランツールの舞台ではイギリス勢の台頭が目立った。2012年にブラッドリー・ウィギンスがイギリス人初となるマイヨジョーヌに輝くと、クリストファー・フルームは3連覇を含む4度のツール総合優勝に加え、2017年から2018年にかけてグランツール3連勝を飾る。2018年はゲラント・トーマスがツール総合優勝、サイモン・イェーツがブエルタ総合優勝と、2010年代に入って4人のイギリス人グランツールチャンピオンが誕生した。

2012年ツール・ド・フランス総合優勝のブラッドリー・ウィギンス Photo: Yuzuru SUNADA
ツール3連覇を果たしたクリストファー・フルームと、2年後に総合優勝を果たすゲラント・トーマス Photo: Yuzuru SUNADA

 別府・新城に続いて、土井雪広が2012年に日本人初のブエルタ完走を果たし、宮澤崇史、増田成幸らが続々とワールドチームへ移籍。

 2008年から連載が始まった漫画『弱虫ペダル』が2010年代に入ると爆発的なブームを引き起こし、それまで自転車レースに全く興味がなかった層が自転車レースに持ち、実際にロードバイクを購入したり、レース観戦に訪れるほどだった。2013年よりさいたまクリテリウムが始まり、来場者数は10万人を越えるビッグイベントとなった。ジャパンカップも年々観戦者が増えており、その経済効果は28億円に達するとの試算だ。

平成から令和へ

 ドーピング問題により自転車レースへのイメージは文字通り汚されてしまった。近年は徹底したアンチドーピング対策により、2000年代のようなセンセーショナルなドーピングスキャンダルは減ってきている。そうしたなかで、カンチェラーラやサガンのような真の実力者たちがファンを魅了してきた。記憶の新しいところでは、マチュー・ファンデルプール(オランダ)の走りが、また世界中のファンを惹きつけている。

 国内では、2021年スタートにむけて自転車新リーグ構想が発表され、国内自転車レース界も新たな幕開けの到来が予感される。2010年代に高まった自転車レース熱を引き継いで、令和の時代はより一層の発展を願うばかりである。

→第3回連載・「平成を駆け抜け、本場欧州で活躍した市川雅敏」

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