連載第1回(全21回) ロードレース小説「アウター×トップ」連載開始 第1話「シーズンの始まり」

  • 一覧

 神野淳一さん執筆の小説「アウター×トップ」の連載が始まります。大学生の主人公らを軸とした青春ロードレース小説で、実在するレースやカテゴリーに挑戦するリアルな描写を通じて彼らの成長が描かれています。全21回の連載をお楽しみください。

◇         ◇

 京助の前に10台のロードバイクがいる。このレースの先頭集団(プロトン)だ。

 滑走路外周道路の弧の反対側にはゴールゲートが見えている。今回は千葉の南端、館山の海上自衛隊基地をスタートし、海岸線沿いに小さな山を越えて房総の先端を回り、館山城を右手に見て戻ってくる19kmのコース設定で、橋沢京助たち参加選手は最終周回の4周目を終えて基地外周道路に戻ってきたところだ。

 ペダルを路面に当てないよう気をつけながら車体を傾け、集団はバンクのないコーナーを回る。ゴールまで残り700m。コーナーの立ち上がりで、リムが歪むほどのダンシング合戦が始まった。最後のスプリントに備えて少しでも良いポジションを獲ろうと皆、必死だ。競り合っている選手に接触すれすれのプレッシャーを掛け、時には本当に体当たりまですることもある。

 前方には同じジャージを着た選手が四人もいる。彼らは今日勝たせたい選手を引き、守り、後方をブロックしていた。アマチュアカテゴリのE2ですらこれだ。大きなショップの力は半端ない。

 対して京助の味方は1人。彼と同じジャージを着た神崎悠宇は、トップから三番目の良い位置につけている。だが、不意にトップが失速して、代わって四番手、五番手が強引に上がると、悠宇はその後のバイクの列に割り込むことに失敗した。

「京助!」

 悠宇の叫び声に京助は飛び出し、列車(トレイン)に乗れなかった悠宇を後ろにつけ、前に出るべくひたすら脚を回す。残った力の全てをつぎ込み、京助は四番手につけ、悠宇は彼の後ろについた。

 ゴールまで残り200m。

 ロードレースは何十キロも走った後、残り数十メートルで勝負が決まることが普通にある。逃げを決め切れなかった時点で、スプリント勝負になる。2人ともスプリンターではないが、筋肉が悲鳴を上げても、肺が熱く焼けるように痛んでも、全体重を乗せて脚を回し続ける。後方に動きがあっても振り返る余裕など微塵もない。

「兄貴! 京助! 死ぬ気で回せえええ!」

 鈴なりの観戦客の中からひときわ大きな、甲高い声が聞こえた。

 残り100mを切り、ゴールラインが迫ってきた。

 ラストスプリントは時速50kmを超える。サイクルコンピューターを見ていられる乗り手など一人もいない。ひたすら全力だ。

 列車の中の2人のポジションは悪くない。悠宇がスパートを掛けて列から飛び出し、京助は追随する。しかし3番手が動いて悠宇のラインをつぶし、そのタイミングで後ろから凄まじい勢いで2人の選手が飛んできた。京助は彼らにタダ乗りしようとしたが、スプリンターを相手に勝負できる力は残っていない。

 一瞬で脚が重くなって速度は頭打ちになる。悠宇に至っては京助を引いていたため、既に失速し始めている。まくってきた2人に追い抜かれ、前方も伸び止まる。好機をものにして先頭となった選手2人は、ロケットのようにさらに弾け飛び、ゴールラインを割った。

 その間、京助と悠宇はまた抜かれ、僅か3秒ほどの間に順位は大きく動いた。

 結局、京助と悠宇はそれぞれ7位と8位でフィニッシュした。

 激しく踊り続ける心臓を落ち着けようと息を整え、乳酸がたまって重くなった脚を脱力させて回しながら、2人は参加選手の待機場所へと戻る。

 コースの周りは次のレースを待つ観戦客で賑わっている。この後は女子レース、その次にE1、最後にプロツアーのレースが始まる。

 京助と悠宇が参戦しているロードレースは大学選手権やオープンのそれではなく、JBCF(全日本実業団自転車競技連盟)が主催する公式レースである。

 主にプロが走るプロツアーを筆頭に、アマチュアカテゴリのエリートクラスタE1~3、女子クラスタFのレースが日本各地で行われ、昨今のロードバイクブームもあって、なかなかの盛況ぶりを見せている。

 昨年、大学1年になった春、京助は悠宇とともに、実業団レースに初めてエントリーした。高校時代、自転車の公式競技をしていなかった2人は、まずは一番下のE3から始めなければならなかった。レースに出場すると成績毎にポイントが付与され、上位50名が翌年度E2に昇格する。

 2人は関東近辺で行われるレースの全てに出走して必死にポイントを貯め、この春、E2への昇格を果たした。今年はE1へ昇格することを目標にしている。

 しかしE1に無事昇格したとしても、まだその先がある。強豪がひしめき合うE1のロードレースで3位以内で入賞、またはクリテリウムレースで優勝することで初めて、プロツアーへの参戦資格が得られる。つまりそれでようやくプロのロードレーサーへの道が拓けることになる。

 京助と悠宇はプロツアーへの参戦資格を、そしてさらにその先を目指して、実業団レースを戦っていた。

 今日のレース結果は7位と8位。ポイントを稼ぐという点では十分な成績だが、特例昇格を狙っている2人にとっては残念な結果だ。特例とは、レースで1位を獲得すると、ポイント数に関係なく、即座に上のクラスに昇格するという魅力的なもので、今日はそれに手が届いていた。

 コース出口を通り、鈴なりの観戦客の中、バイクを押しながら2人は歩いて行く。観戦客にはいかにも自転車乗りといった風体が多く、JR東日本の自転車専用列車「B.B.BASE」の影響が大きいと思われた。大都市から離れた会場では閑散としているのが普通だから、ありがたい限りである。

 レース会場の雰囲気を楽しんでいる観戦客の雰囲気とは対照的に、沈んだ声で悠宇が言った。

「このままじゃ無理かな。分かっていたけど、2人だけじゃね」

「俺たちはスプリンターじゃない。なのにスプリントに持ち込まれたら、その時点で負けだ。今はまだ、そこそこ通用するけどね……」

 京助はため息混じりに言い、悠宇は頷いた。

「あのままゴールできれば、上がれた。他に仲間がいればきっと違った展開になった。残念だよ」

 京助と悠宇が4番手、5番手につけた時の先頭2人と、後方からまくった2人はそれぞれ同じジャージを着ていた。強豪ショップチーム、ビアンカとオールエイジのものだった。結局のところ、アマチュアカテゴリのE2といえど、ロードレースにはチーム力が必要だ。地道にレースに参戦すれば、来年度はE1に昇格できるだろう。だが、チーム力を欠いては、E1で6位入賞は難しいのではないか――。

 京助は言葉を続けた。

「――仲間か。都合よく見つかるものかな」

「僕は都合よく君を見つけてる。一度あることは2度あるかもしれないしね……」

 悠宇は一転してやけにさっぱりした顔で笑い、京助は苦笑で返す。

 意外と早く立ち直る楽天的な性格の悠宇に、京助は救われる。

 滑走路隅の選手待機場所に戻ると、赤毛のショートカットの女子選手が、自分のレースに備えてストレッチをしていた。

 京助たちのチーム〝アウター×トップ〟の青いジャージがよく似合っているし、すらりとした長い脚を広げて股関節を広げているところも、様になっている。

「帰ってきたぞ」

 悠宇が口を開くと、有季は面を上げて、可愛らしく首を傾げた。

「リザルトどうだった?」

「京助が7位、僕が8位だったよ」

 悠宇は微妙に肩をすくめて答えた。

「このコースは登坂が大したことないから、クライマーの兄貴が辛いのは分かるけど、オールラウンダーの京助がそれじゃダメだよね」

 有季は京助を見て嫌みっぽく笑い、京助は細い目で有季を見た。

「勝負事で、そんな簡単に勝てるはずがない」

「それじゃ、アタシも行って来ますか!」

 有季は立ち上がり、自信たっぷりな笑みを浮かべた。「2人共、応援しててよね」

 彼女は身長169cmと上背がある上にやせ形で、自転車選手に向いた体形をしている。実際、初めてレースを走った前々回と前回、連続入賞を果たしていた。

 悠宇は笑顔で手を振り、有季はそれを満足そうに見た後、京助に顔を向けた。

「じゃあ、行ってくるね」

 有季は京助を見下ろした。京助の身長は161cmと平均より低い。

「落車だけはするなよ」

 ぶっきらぼうな京助らしい返答に、有季はほほ笑みだけを返し、スタート地点へロードバイクを押していった。

 京助と悠宇はバースタンドにバイクを掛けると、スタート前まで歩いた。

 E2、E3のレースが終わるとすぐにFのレースが始まる。

 2人がスタート地点の人混みをかき分けて前に出ると、すぐに青いジャージを着た有季を見つかった。彼女は集合した女子選手の中では後ろの方にいる。有季は今年参戦したばかりなので、成績が良くてもスタート順は後列となる。有季はレースに集中して前だけを見つめており、応援する2人には気づいていない様子だった。

 カウントダウンが始まり、京助は息を呑んだ。

 落車せず、無事に帰ってきて欲しい。彼女はまだレース3回目だ。不慣れなレースで緊張して、事故を起こさないとも限らない。それと同時に好成績を残しても欲しくもある。応援されれば、走る方は張り合いが出るものだ。だから京助は柄にもなく、声を張り上げた。

「有季!」

 自分の名前が聞こえたからか、彼女は京助に気づき、Vサインをした。

 京助は彼女に声が届いたことが分かり、微かに笑みを浮かべた。

「我が妹ながら余裕だなあ」

 悠宇もニコニコと笑んだ。

 予定時刻にレースが始まり、ロードバイクの集団がゆっくりと動き始めた。

 有季はスタート時のポジションをキープし、集団はオートバイの先導で滑走路外周をゆっくり1周してから、自衛隊基地を後にした。

「さてと。帰りの準備をするか」

 悠宇はバイクのところに戻ろうとするが、京助は基地の正門を見つめ続ける。

 やはり心配だった。

「大丈夫だよ。有季は僕らの中で一番才能がある。心配しなきゃならないのは、これからの僕らの方だよね」

 悠宇は振り返って苦笑し、京助も違いないと頷いた。

 結局、有季は無事に、しかも3位でフィニッシュした。有季は表彰台に上ると、悠宇と京助に輝くばかりの笑顔を向けた。

 プロツアーの観戦を終えた後、3人はJR館山駅までロードバイクに乗り、駅前で輪行袋を広げた。改札を通る前、輪行袋を担ぎながら、京助は空を見上げた。南房総の空は澄み、白い雲が風になびいている。ロードレースのシーズンは始まったばかりだ。

「来年はE1で戻って来ないとな」

 そう言う悠宇に、京助は口元を引き締め、頷いた。課題は多い。時間はあるようで、気がつくとないものだ。やるべきことを今やらなければ後悔をするだけだと、京助は自分に言い聞かせた。

《つづく》

※本作品は株式会社KADOKAWA刊・メディアワークス文庫「アウター×トップ」を改稿したものです。
※この物語はフィクションであり、実在の人物や団体、地域などとは関係ありません

監修:岡 泰誠(日本スポーツ協会公認自転車競技コーチ)コスモス パフォーマンス コンサルティング

この記事のコメント

利用規約順守の上ご投稿ください。

関連記事

この記事のタグ

ロードレース小説「アウター×トップ」

  • 一覧

新着ニュース

もっと見る

ピックアップ

e-BIKE最新特集

スペシャル

自転車協会バナー

ソーシャルランキング

インプレッション

インプレッション一覧へ

連載