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猪野学の“坂バカ”奮闘記<31>「台湾KOMチャレンジ」後編 105kmのヒルクライム登頂に人生初の嬉し泣き

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 猪野学さんがレギュラー出演している自転車番組『チャリダー★』で挑戦した世界一過酷なヒルクライムレース「台湾KOMチャレンジ」。前回に引き続き、今回は後半、残り45kmからの死闘とフィニッシュまで臨場感あるリポートをお届けします。

全てを出し切り、男泣きする筆者

◇         ◇

限界状態で心も卑屈に…

 長いヒルクライムだから脚の合う人と協調して上るものかと思っていたが、次第にそうではないことがわかってきた。しばらく1人で走っていると、マルコ・パンターニのようなダンシングで踏みながらもがく、私の倍はある体格の女性が現れた。ちょうど良い風よけになるので、しばらく付かせてもらうことにした。

パンターニのようにダイナミックに上る女性選手

 するとチームカーが我々の横に来て、監督らしき人物が彼女に向かって何やら叫んだ。言葉は全く解らないが「こんなメガネに負けるんじゃない!」とでも言っているかのようだった。しかし彼女はもう限界なのか。苦しそうに首を振っていた。私は、何だか悪い気がしたのでケイデンスを上げて彼女をパスした。

 しばらく走っていると先程のチームカーが物凄い勢いで私を追い抜いて行きハザードを出して止まった。すると監督らしき人物が私に補給食らしき物を差し出すではないか! さすがは国際レース! 国境を越えてサポートしてくれるとは感動的ではないか! 礼を言い、ありがたく補給食を口に入れた。

 するとなんということだ! その補給食はパッサパサのクッキーにゴロゴロした大きな豆類がたくさん入っているではないか! 口の中の水分を全て奪われ息ができない! すかさずボトルの水で流し込もうとするが、大きな豆類が邪魔をして飲み込めない。猛烈に苦しくて減速する。すると後方で監督が何やら叫んだ。

 「眼鏡はパッサパサ補給食作戦で失速してるぞ! 今のうちに抜き去れ!」

 恐らくそんなことは言っていないのだろう…本当に善意で補給をくれたに違いない。しかし極限状態だと良からぬ妄想ばかりしてしまうのだ。女版パンターニも余力がないらしく、無理だと首を振って苦しそう。皆が皆、限界の中戦っていた。

伝家の宝刀、32Tが登場!

 ほどなくすると、台湾KOM唯一の下りが現れた。脚を休めたいところだが、ここでもアウターに入れて回す。ここまで頑張って来たのだ、最後まで手を抜きたくない。この下りが終わるといよいよ“ラスボス”、激坂10kmの登場だ!

 実は事前に台湾KOM対策として、地獄の伊豆200kmのロケを行っていた(実はこれが1番キツかった)。その際、“山の神”こと森本誠師匠から「ラスト10kmまでは脚を温存しろ」とアドバイスをいただいていた。私はこの教えを守り、これまで踏まずにケイデンス高めで走り続けてきた。いよいよトルクを掛けるぞ、と踏み始めた瞬間、脚が攣った!「このぉ〜ド貧脚がっ!!」と己の脚を罵るが、無理もない。ここまで90km近く上り続けているのだ。

 しかしここで私に光明が差し始めた。皆が激坂で失速するなか、私はペダルをクルクル回して次々とパスして上っていく。そう、伝家の宝刀、32Tのスプロケの登場だ! 私は富士あざみラインなどの激坂に慣れているので勾配20%を超えたら32Tが必須だと分かっていた。それまで私の前を走っていたドイツ人と思われる女性は、あまりの激坂に「イッヒ、リーベン○〆#×*!」と大声で叫び、脚を付いて動けなくなってしまった。恐らく「畜生!このクソ坂が!」みたいな内容だろう。その横をクルクル回してパスして行く。ギア比の選択に成功し、恐らく10位くらいは順位を上げたのではなかろうか。

ラスト5kmと格闘すること50分!

なぜか交通量が多い最後の激坂

 そしていよいよラスト5kmの看板が現れた。5km!乗鞍でいえば位ヶ原からゴールまでだ。20分ちょっとで行ける!…と思った私が馬鹿だった。なんと私はラスト5kmにこのあと50分も費やすことになる。乗鞍とは勾配も標高も桁違い…。このことからも台湾KOMのラスボスの恐ろしさが分かっていただけるだろう。遥か彼方にゴールの看板が小さく見える…。しかしそこまでの坂がつづら折れではなく、直登で激坂なのだ。これにはさすがに心を折られた。

 さらに我々を苦しめるのが交通量の多さだ。大会関係者の車なのか何なのか、とにかく激坂で渋滞しやがる! すると勾配がキツいIN側を走らざるを得なくなる。「なぜだ! 国際レースでなぜこの交通量なんだ!」─。蛇行ができないために、次々と脚を攣って動けなくなっていく“戦友”たち。一歩間違えれば私もああなる。攣らないように丁寧にペダルを回す。

つづりが足りない残念な看板

 ようやく「FINISH」の看板が近付いて来た。しかし、よく見ると「FNISH」…Iが1つ足りない。「なぜだ! 国際レースでなぜ間違えるんだ!」─。この国はどこまで突っ込みどころ満載なのだと、力が抜ける。

「坂バカ」である自分を誇りに

 ふと前を見るとゴール前に2人いる。最後にもがいて順位を上げようと、力を入れて踏んだ瞬間に再び脚が攣った。ダメだ…満身創痍、もう余力なんて残っていなかった。

 ゴールが近づく…待望の瞬間だ。5時間近くこの瞬間を待ち望んでいた。最後は少しだけケイデンスを上げ、全てを出し切ってゴール! これほどゴールが嬉しかったことはなかった。

全てを出し切ったゴール後の筆者

 標高3000mなのでゴール後も呼吸がなかなか落ち着かない。息を吸えば吸うほど涙が込み上げて来る。「何だこれは?」初めての感情だった。そう、私は46歳にして初めて嬉し泣きを経験したのだ。どんどん溢れ出る感情、それは105kmを上り続けた者にしか解らない感情だ。

 ゴールでは森本師匠が寒いのに待っていてくれた。師匠は見事に6位入賞! さすがは日本が誇るクライマーだ。高山病一歩手前なのではと思うくらい、美しい色白な肌がさらに白くなっている。そんな師匠と堅い握手を交わし、下山した。

下山途中に工事で1時間足止め、選手同士で談笑タイム

 夜が明け、翌朝ホテルで1人朝食を食べていると選手たちが次々と「グッドモーニング!」と笑顔で声を掛けてきた。その挨拶の中には「昨日はクレイジーな坂だったな!」 「俺達サイクリストは世界一イケてるよな!」というニュアンスが聞き取れる。ヨーロッパのサイクリストたちは皆、自分がサイクリストであることを本当に誇りに思っている。そして私も温かいスクランブルエッグを頬張りながら思った。「坂バカ」であることを誇りに─。

あとがき

日本語なのに、地元の人しかいない店

 帰りに番組のディレクターが「空港近くの日本人観光客がいない店で昼食をとろう」と言ってくれた。すると強面運転手が旨い店に案内してくれた。ドライバーは本当に旨い店を知っている。たどり着いた店は、「美女の家麺飯館」。「美女の…」?日本語ではないか! しかし…中に入ると地元の台湾人の姿しかなかった。何より肝心なのは「美女」だ。看板に書くぐらいだからかなりの美女がいるはずだ。しかし店内を見渡す限り、その姿はない…。

 いよいよ料理が運ばれて来た。私は減量していたので台湾に来てからも、ほぼ野菜しか食べていなかった。待望の炭水化物! 台湾名物、牛肉麺だ! 物凄いボリュームだけどあっさりして食べやすい。台湾の料理は本当に日本人に合う。そして安い。

台湾名物の牛肉麺、これで400円ほど
厨房で働く美女達

 胃袋を満たし、外に出ると「美女」の意味が分かった…厨房で働いている人たちが全て女性だったのだ。その活気ある姿は、美女以外の何者でもない。そういう事にしておこう…。

(写真提供:猪野学、NHK、テレコムスタッフ)

猪野 学猪野 学(いの・まなぶ)

俳優・声優。自転車情報番組NHK BS1『チャリダー☆』(毎週土曜18:00〜18:25)にレギュラー出演し、「坂バカ俳優」という異名で人気を博す。自転車の他、空手やスキーなども特技とするスポーツマン。俳優として舞台や映画、ドラマなどで活躍する一方、映画『スパイダーマン』のトビー・マグワイアの声優としても知られる。ウェブサイト「マナブログⅡ

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