つれづれイタリア~ノ<124>異端児「チネリ」がロードレース復帰 アントニオ・コロンボ社長「新たな挑戦」
昨年12月24日、自転車ファンに朗報が飛び込んできました。イタリアのフレーム、ハンドル、ステムメーカーにおける異端児「CINELLI」(チネリ)がロードレースの世界に復帰します。機材提供を受ける最初のチームはイタリアのコンチネンタルチーム、コルパック。2月17日にイタリアで行われる春のクラシックレース「トロフェオ・ライグエリア」(UCI 1.HCクラス)でデビューを迎えます。チネリといえば「レーザー」を始め、斬新なデザインのハンドル「ラム」シリーズ等でファンを虜にする企業。性能の高いフレームを作りながら、アートとストリートファッションを強く結びつけるそのセンスはイタリア国内外で熱烈なファンを獲得し、日本でも政界を引退した谷垣禎一氏が、法務相時代に大臣室で愛車の「チネリ・スーパーコルサ」を飾るほどでした。
自転車の潜在能力を引き出したい
さて、我々サイクリストを魅了するチネリの魅力はどこにあるのでしょうか。「COLUMBUS」(コルンブス、※日本では英語読みの「コロンバス」になっている)社兼チネリ社長のアントニオ・コロンボ氏が、イタリア・ミラノ市内で展開している画廊「Galleria Antonio Colombo Arte Contemporanea(アントニオ・コロンボ現代アートギャラリー)」にて独占インタビューに応じ、自転車の未来をどう見えているかについて熱く語ってくれました。
Q.チネリは強いファッション性を持ち、美術館で飾れるほどの製品を次から次へ生み出していますが、その原動力はどこから生まれるのですか?

─もともと私の父が立ち上げたコルンブス社はスチール製のパイプを作る会社でした。軽くて頑丈なパイプで、主に家具作りに使われていましたが、1930年代に自転車のフレームだけでなく、カプローニ製の飛行機にも使われ始めました(カプローニの飛行機は宮崎駿監督『風立ちぬ<2013年>』にも登場)。1950年代にフェラーリやモト・グッツィ等、イタリアを代表するモーター企業にもパイプを提供しました。
1970年代に父から家業を継いだ時に、今までやってきた事業にピリオドを打ちました。もともと小さい頃から自転車が好きというのもありましたが、自転車が持っている潜在的な能力に目覚め、コルンブス社の製造ラインを自転車用スチールパイプにシフトさせました。
物づくりの原動力は「反骨精神」
─私は現代アートに非常に興味を持ち、1968年の学生運動やヒッピーの自由な文化に強い影響を受け、しきたりや決まり切った風習が嫌いでした。

この反骨精神は今も健在で、チネリの物づくりに反映させています。しかしよく考えてみると、もともと現代アートに対する関心や芸術的な追求は父から影響を受けていたように思います。
1930〜55年にかけ、コルンブス社は合理主義(戦前のヨーロッパで主流だった芸術的運動)に基づいて完成品の家具も製造していました。その際、父はイタリアを代表する工業デザインの巨匠たちも雇っていました。

マルセル・ブロイヤー、ピエロ・ボットーニ、ジュゼッペ・テッラーニら高名な建築家とも家具をデザインし、コモ市にあるムッソリーニのファシスト党本部として建てられた「カサ・デル・ファッショ」(ファシストの家)では、全てコルンブス製の家具が使われました。バウハウスの関連企業からも生地を購入していました。


幼い頃からこうした芸術的な要素に囲まれ、いつも型にはまらない魅力に魅了されていました。自転車製造においてもこの「型破り精神」に重点を置いています。芸術が常に変化しなければならないように、自転車もいつも変化すべきだと考えています。それは必ずしも万人に受けなくてもいいのです。


チネリ買収で自転車製造に一本化
Q.チネリとの出会いはいつですか?

─1976年にコルンブスの社長になった時、父と相談しながら家具作りと決別し、自転車向けのスチールパイプ製造だけに舵を切りました。その後、1978年に父の友人だったチノ・チネリ(チネリ社の創業者)から製造ラインを買収しました。まずは若手の有望デザイナー、イタロ・ルーピ(ミウミウ、フィオルッチ、東京デザインセンターのロゴを手がけたイタリアを代表するデザイナー)にロゴを依頼し、1979年に新しいロゴが誕生しました。
当時はとても強い反発を受けました(笑)。でもこれが芸術によって培われた私の個性であり、この性格を変えることはできません。「I valori non cambiano. Si adattano ma non cambiano」(価値観は時代に適応しますが、その真髄は変わらない)。生まれ変わったチネリは私の価値観やイデオロギーを反映しており、万人に受けなくても良いと考えています。チネリの好きなひとは常にチネリらしさを求めています。

1998年に私がオープンした美術ギャラリーも私の趣味を反映しています。ストリートファッション、ロック精神、アメリカ西海岸のサーフィンやスケートボード文化、アバンギャルド、グラフィクデザインなどが好きです。それらが、ピスト自転車の製造にも大きく影響しています。ピスト自転車はストリートファッションのアーティストたちの声を受けて製造を始め、最終的にメッセンジャーに支持されました。やはりチネリと他の自転車メーカーが違う点は、文化を取り入れるアプローチにあると思います。
「夢の自転車」は様々な方法で生まれる
Q.残念ながら日本ではピストはだいぶ白い目で見られています…

─ピストがメッセンジャーに浸透した理由は簡単です。頑丈で軽い、メンテナンスも簡単、そして速い。ブレーキが付いていないため、イタリアでも最初は多くの人にバカにされていましたが、私は自転車の進化においてピストバイクのような自転車の開発も重要だと考えています。
将来的にこの自転車にも専用のブレーキをつけ、さらには今まで開発されなかったシフターシステムも生まれるかもしれません。皆が欲しがる「夢の自転車」は様々な方法で生まれます。私は自転車の新たな可能性を生み出したいと考えています。
Q.チネリは「チネリ・クローム」というピストバイクのチームを持っていますが、今年からロードレースの世界へと復帰する理由は?

─チームコルパックは未来のロードレーサーが育っていくチームであり、新素材や新しいフレームの性能を確かめるための重要なプロセスだと思っています。チームで使われる「チネリ・スーパースター」は、まさにピストの世界から生まれたロードバイク。これは我々にとって新しいチャレンジでもあるのです。
チネリの歴史
1947年 チノ・チネリによって設立
1960年 ローマオリンピックのために特殊なハンドルを製造して人気となる。スーペルコルサ及び最初のプラスチック製サドルを作る
1978年 コルンブス社による買収
1979年 ロゴ変更
1981年 バイシクルショップ開業。レーザーを発売(限定300台)
1984年 スポイラーBBシェルを開発
1993年 チネリ グランモ ステム発売
1995年 スピナーチTTバー発売
2001年 ハンドルRAM発売
2006年 ロングセラー「ヴィゴレッリ」モデルを発売
2010年 レッドフックスポンサーシップ開始

東京都在住のサイクリスト。イタリア外務省のサポートの下、イタリアの言語や文化を世界に普及するダンテ・アリギエーリ協会や一般社団法人国際自転車交流協会の理事を務め、サイクルウエアブランド「カペルミュール」のモデルや、欧州プロチームの来日時は通訳も行う。日本国内でのサイクリングイベントも企画している。ウェブサイト「チクリスタインジャッポーネ」