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彼女と自転車<8>北海道一周ブルベ2400km完走で女性世界最長記録 長森恵子さん「走れるかではなく、走りたかった」

by 後藤恭子 / Kyoko GOTO
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 タイムや順位関係なく、制限時間内で一定の距離を完走することを目的とするロングライドイベント「ブルべ」で、2400kmという超長距離を完走した女性がいる。長森恵子さん(51)。8月に開催された超長距離ブルべ「アラウンド北海道 2400」を9日かけて走り切った。日本国内だけでなく、女性が完走したブルべとしては世界最長記録だ。どんな超人かというこちらの想像とは裏腹に、印象は至って普通の女性。完走についても「ラッキーだったから走れたんだと思います。いまでも2400km走ったという実感がない(笑)」と淡々と語る。しかし挑戦の動機をたずねると、淡々とした口調そのままで「自転車で北海道の地図を描いてみたかった」という壮大な言葉が返ってきた。

北海道を一周する2400kmのブルベに挑戦中の長森恵子さん。ブルベ仕様の強力なヘッドライトの重みにヘルメットもずれる ©RandonneursSapporo

「自分で地図を描いてみたかった」

 そもそも2400kmという距離を走るイベントを聞いたことがあるだろうか。“屈強サイクリスト”、元プロロードレーサーの三船雅彦さんの挑戦でも知られる「パリ~ブレスト~パリ」(PBP)という超長距離ブルベは1200km、それを上回る「ロンドン~エディンバラ~ロンドン」でさえ1400km。それらをさらに1000km以上上回る距離といえば、その壮絶さが伝わるだろうか。しかも制限時間は約9日間(215時間11分)。長森さん自身も「2400kmという距離を最初に耳にしたときは『はぁ?』って思いました」と苦笑いする。

「アラウンド北海道2400」のマップ。帯広を発着地点に時計回りに走るルート ©RandonneursSapporo

 ちなみに、アラウンド北海道2400は今回が初開催だが、同じ距離のブルベは過去にも存在した。2016年、九州佐多岬〜北海道宗谷岬まで走る「Bike Across Japan 2400」が開催され、「北海道を一周するとちょうど同じぐらいの距離になる」という話の流れから今回のブルベが実現したという。

 今回のアラウンド北海道と時期を同じくして「クローバー北海道1200」という1200kmのブルベも開催されていた。十勝エリアの音更町(おとふけちょう)を拠点に、クローバーの形を描くようなルートであることからその名がついた。

「クローバー北海道1200」のマップ。音更町を拠点に4日間で1200kmを走る ©RandonneursSapporo

 これらブルベの情報を聞きつけた昨年11月当初、長森さんはクローバー1200を走ろうと思っていた。来年開催される「パリ~ブレスト~パリ」と同じ距離で、エントリーに向けて準備を進めている長森さんにとって、現段階で“走れる可能性”があるのは1200kmの方だと考えていた。

 ただ、心は揺れていた。2400kmという距離は「よくわからなかった」けれど、心のどこかで漠然と「北海道の形を走ってみたい」という声が聞こえていた。

「北海道の地図を走ってみたかった」という長森恵子さん Photo: Kyoko GOTO

 さんざん悩んだ挙げ句、ブルベ仲間に相談したところ「そんなの決まってるじゃん。2400でしょ」と返された。「その瞬間にスパーンと吹っ切れました。走れるかでなく、走りたい方を選べばいいんだよね、って」─。それが2400kmを選ぶ決め手となった。

苦かったブルベデビュー

 仲間内から「“あの”けーこさん」と呼ばれている長森さん。周囲の人曰く「ハプニングの神様に愛されている」そうで、ブルベにおいて数々の武勇伝を残すブルベライダー。親しい人は「輪行嫌いで、400kmのブルベを完走した後『疲れた…』と言いながら50km近く自走で帰った姿は印象的だった」と彼女の風変わりなエピソードを語る。

 そんな長森さんが自転車を始めたのは今から10年前。『自転車で遠くへ行きたい。』 (米津一成著・河出文庫)という一冊の本を読んだことがきっかけだった。

長森さんが自転車に乗るきっかけとなった著書『自転車で遠くへ行きたい』(米津一成著・河出文庫) (長森恵子さん提供)

 子供の頃から運動は大嫌いで、本人曰く「体育の時間ほど嫌いな時間はなかった」。ロードバイクに乗り始めた当初もなかなか乗車姿勢が体になじまず、ビンディングペダルで何度も転んだ。それでも「本のせい」でやりたいことは明確だった。その1つが「ツール・ド・おきなわ」。ロードバイクを購入した一年目に参加し、336kmの「本島一周サイクリング」を果たした。残り2つは308kmを走る「東京→糸魚川ファストラン」、そしてブルベだった。

 初めてブルベに挑戦したのは2011年、静岡県で開催された200kmのブルベにたった1人で参加した。ブルべのことをほとんど何も知らない当時、自分なりにインターネットを使って下調べをしてはいたが、知っていると思っていた地名は有名な場所ばかりで、実際は土地勘ゼロ。知人もおらず、途方に暮れるなか「反射ベストは皆兄弟」と思い、前方に見えてる反射ベストの人を追いかけて走っていた。

夕闇に浮かぶ反射ベスト。初めてのブルベは周囲の人を追いかけて走った (長森恵子さん提供)

 「完走したけれど、これじゃもうブルべを走る資格はないと思いました。ブルべは自己完結だから、自分がどのコースを走っているのかを把握するためにも事前の下調べは必要。こういう走り方はだめだなと、すごく反省しました」。そこから1人で走るための術を身につけ、400kmを失敗して再挑戦、600kmを失敗しては再挑戦を繰り返し、年内にSRを獲得した。気づいたら「ブルベ一年生」のうちに600kmのブルベを3回もエントリーしていた。

走ってきた距離でなく「次あそこまで」

 8月10日、アラウンド北海道2400のスタート当日、会場には47人の屈強なサイクリストが集まっていた。このうち女性の挑戦者は長森さんを含む2人のみだった。

長森さんを含む「アラウンド北海道2400」挑戦者の皆さん。海外からの参加者も ©RandonneursSapporo

 通常1000kmを超える超長距離ブルベではサポートがあるが、今回は安全管理のパトロール以外は、回収も荷物の運搬もオーバーナイトコントロールも一切ない。鉄道、バスなど交通手段がない地域を多く含むコースで、完全に自己完結できるサイクリストのみが挑戦を許されるステージだった。

スタート初日から雨に見舞われた ©RandonneursSapporo

 長森さんには“作戦”があった。9日間の走行プランを立てるなかで宿泊する宿を予約し、予め各所に着替えなどの荷物を送っておいた。普段は行き当たりばったりで眠くなったところで休むそうだが、今回ばかりは入念に計画を立てた。

 天候で予定通りに進めなかったり、熊が出没するというアクシデントが出て、夜間通行を自粛するよう促されたりと予定通りに行かないこともあったが、それでも「宿でお風呂に入って休めるので体は楽でした。距離が長いといっても、こまめに回復すればなんとかなるものだと思いました」という。一方でテントを積載して走っている人もいたそうで、「それぞれが時間制限のある自転車旅をしているようなものでした」と振り返る。

向かい風のなか、1人黙々と走る長森さんをスタッフが撮影 ©RandonneursSapporo

 連日の悪天候でカッパも脱げず、気温も低く、オホーツク海沿いでは強風に阻まれ巡航速度が20kmを切るときもあった。「もうやだー!」と独り言を繰り返すも、心は折れなかった。「1000km以上走ると大抵剥ける」という両手のひらの皮膚はいつもより厚くずる剥け、サドルのカバーもずる剥けた。

お尻より先にサドルのカバーが悲鳴を上げた(長森恵子さん提供)

 それでも「地図」を描きたい一心で前へ。「走っている間はとくに何も考えていなかったかな。“次、あそこまで”の積み重ねだったように思います」。どれくらいの距離を走ってきたかは気にならなかった。札幌で半分の距離を超えたときも一瞬頭をよぎった程度で、それよりもゴールを目指す気持ちの方が強かったという。

女性ブルベライダーとして世界最長距離完走者となった長森さんを仲間やスタッフが祝福してくれた。ケーキには「世界の長森」という文字が ©RandonneursSapporo

 北海道を一周し、ゴール地点の音更町へ戻ってきたのは8月18日の午後8時ジャスト。制限時間を約9時間残してのフィニッシュだった。ゴールで待ち構えていた仲間やスタッフが、女性のブルベライダーとして世界最長記録を達成した長森さんのためにお祝いのケーキを用意して完走を祝福した。

 当の本人はというと「なんのことですか?食べて良いんですか?って思いました(笑)」と驚きのあまり状況が飲み込めなかったそう。「私よりも走れるランドヌーズはいっぱいいる。その人たちが出ていなくて、その中でたまたま完走できただけ。『ギネス記録』だなんてとんでもない(笑)」と冷静だ。

 「実際、走行予定がくずれたタイミングで、宿を変更して計画をリセットする機会に恵まれたり、いろんな幸運が重なった」と振り返る長森さん。それだけに、ただただ「走れちゃった。ラッキー♪」というのが率直な気持ちだったという。

出走サインやPC通過時間とサインなどが記録された長い長い「ブルベカード」 (長森恵子さん提供)

 ちなみに2400kmの完走者は32人。3分の1の出走者が悪天候やトラブル、体の不調などでDNFとなったそうで、この数字がイベントの過酷さを物語る。

思わぬところまで自転車で行ける楽しさ

 長森さんにブルベの魅力をたずねると、「思わぬところまで自転車で行けること。自分1人だけだったら600kmなんて距離を自転車で走ろうと思わないでしょ。神奈川の自宅から一度も電車に乗ってないのに、なぜいま長野県の諏訪湖にいるんだろう(笑)っていう不思議さがおもしろい」という答えが返ってきた。

「いつか九州の地図も描きたい」という長森さん Photo: Kyoko GOTO

 いつか九州の地図も描いてみたいという長森さん。「四国は去年『徳島1000』というブルベに出て地図の形をぐるっと回ったんです。やっぱり私、自転車で地図を描くのが好きみたいです(笑)。いつまで自転車に乗っていられるかわからないけど、乗れる間は乗り続けていたいですね」─。

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Cyclist for Woman インタビュー(女性向け) 彼女と自転車

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