山口和幸の「ツールに乾杯! 2018」<8・終>旅の終わりは花の都パリに凱旋 今も心に残る革命200周年の激闘

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 フランスの首都。世界随一の観光都市。1903年の第1回大会からツール・ド・フランスの最終到着地はパリだ。ツール・ド・フランスが世界最大の自転車レースとなったのにはいくつかの理由がある。フランスの国土が広大で、これを自転車で一周するには3週間かかること。美しい景観と、アルプスとピレネーという激闘の舞台があること。そして決定的なのは最終日に花の都に凱旋することだ。

ツール・ド・フランスの最終到着地パリ © PRESSPORTS

総合優勝はパリ前日までに確定

 今でこそツール・ド・フランスのフィナーレは、パリのシャンゼリゼ通りだが、シャンゼリゼに凱旋するようになったのは1975年からだ。第1回はパリ近郊のビルダブレにゴール。その翌年から1966年まではパリ16区のパルク・デ・プランスに。当初は自転車競技場だったが、現在はサッカープロチームのPSGが拠点とする競技場だ。そして1967年から1974年までは、ブローニュの森とはパリ中心地をはさんで反対にあるバンセンヌの森にゴールした。

 ただし、パリではすでにツール・ド・フランスの総合優勝を争う激闘は終わっている。ツール・ド・フランスは最終日前日までに勝負どころのステージが終了し、総合成績のうえでは順位がほぼ確定する。最終日前日のゴール後にサルドプレス(プレスセンター)で優勝者インタビューが行われるのは、パリで一発逆転をねらうようなヤボな動きはあり得ないという慣習からだ。選手やスタッフは最終日前夜が宴会というところも多い。おそらく今回のケースではスペインチームのスタッフの多くはパリに向かわずにそのまま帰国するだろう。

最終日、パリでの大逆転劇

 パリが激闘の舞台となった年もある。100年をはるかに超えるツール・ド・フランスの歴史の中で最もドラマチックなフィナーレが演じられたのが1989年。その主役は1986年に米国選手としてツール・ド・フランスを初制覇したグレッグ・レモンだった。

 レモンの選手生活は波瀾万丈だった。初優勝した年のオフシーズン、余暇の狩猟中に仲間の散弾銃が暴発して胸に50発もの弾丸を受け、生死の境をさまよった。1989年に復帰するものの、すでに28歳。ベルギーのADRという弱小チームとしか契約できず、5月のジロ・デ・イタリアではさんざんな結果に終わった。「レモンはもう終わりだ」とだれもがそう思ったはずだ。そのジロ・デ・イタリアで圧勝したのがフランスのローラン・フィニョン。ツール・ド・フランスに絶好調で乗り込み、5年ぶり3度目の総合優勝をねらっていた。

1989年のツール・ド・フランス、ピレネー山岳ステージで争うローラン・フィニョン(前)とグレッグ・レモン。山岳でフィニョン、TTでレモンがリードしマイヨジョーヌを奪い合う、シーソーゲームが最終日まで続いた Photo: Yuzuru SUNADA

 その年は1789年のフランス革命から200周年にあたり、7月14日の革命記念日にはパリの式典で当時のミッテラン大統領が「ツール・ド・フランスではフィニョンに勝ってほしい」と発言した。フィニョンはその言葉に勢いづいたのか、勝負どころのアルプスでマイヨジョーヌを獲得。総合2位で追うレモンに50秒差をつけて最終日に臨んだ。

最終日の個人TTに臨むグレッグ・レモン Photo: Yuzuru SUNADA

 最終日はベルサイユからパリ・シャンゼリゼまでの24.5km個人タイムトライアル(TT)。フィニョンは50秒の貯金をもって最終走者としてスタートしたが、2分前にスタートしていたレモンが驚異的なスピードで飛ばしていた。レモンはトライアスロン選手が使うダウンヒルバーを駆使し、流線型のヘルメットを着用。欧州ロード界で異端視されたそんなスタイルだが、スピードは確実に速かった。そして平均時速54.545kmでフィニッシュ。

 「2分50秒後にゴールできなければフィニョンはこのツール・ド・フランスを失う」。シャンゼリゼの実況が怒号にも似たアナウンスをすると、観客から金切り声が聞こえた。凱旋門を折り返したフィニョンが必死にゴールを目指す。しかしフィニョンがゴールしたのは2分58秒後だった。総距離3285kmの激闘の末に、レモンがわずか8秒差で大逆転劇を演じた。しかもしれは最終日。そしてフランスの大観衆が見守るパリ・シャンゼリゼだった。

初めて目撃したツール、あれから30年

 今日にも残る史上最僅差。最終日の逆転劇は1947年のロビック、1968年のヤンセンに次ぐ3回目の出来事だった。「猟銃事故に遭ったときは、自転車に乗ることだって無理だと思っていた」とレモンはシャンゼリゼの表彰台でこうコメントしている。

1989年のツール・ド・フランスを制したレモンは、その年の世界選手権ロードレースでも優勝。アルカンシエルを着て挑んだ翌年のツールでも総合優勝を成し遂げ、2連覇を飾った。TTバイクのDHバーは現在では必須アイテムに Photo: Yuzuru SUNADA

 ツール・ド・フランスの現場を巡りながらその地で行われた過去の激闘を振り返る当コラム。無事にパリでフィナーレし、これにてセ・フィニ(終了)です。最後のエピソードは私が初取材の年に実際に目撃したものです。あれ以来30年、ツール・ド・フランスの現場に足を運ぶことができて幸せです。パリまでお付き合いいただきありがとうございました。

山口和幸山口和幸(やまぐち・かずゆき)

ツール・ド・フランスをはじめ、卓球・陸上・ボート競技などを追い続け、日刊スポーツ、東京中日スポーツ、ナンバー、ターザン、YAHOO!などで執筆。国内で行われる自転車の国際大会では広報を担当。著書に「ツール・ド・フランス」(講談社現代新書)、「もっと知りたいツール・ド・フランス」(八重洲出版)など。

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