サイクリストの夏休みにおすすめの一冊⑬文庫版で新装・佐藤喬著『逃げ』 ロードレースの複雑な心理戦を再現したノンフィクション

by 米山一輝 / Ikki YONEYAMA
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佐藤喬著『逃げ』(小学館文庫) Photo: Ikki YONEYAMA

 劇的な逃げ切りとなった2014年の全日本選手権ロードレースを追ったノンフィクション『逃げ』(佐藤喬著)が、この7月に小学館文庫から発刊された。元々は2015年に『エスケープ』というタイトルで刊行されたもの。今回、タイトルも新たに新装文庫化となった。

 物語の冒頭は、雨の中開催され、新城幸也が圧倒的な独走優勝をとげた2013年の全日本ロード。本スタート前のパレードランで早々に遅れた佐野淳哉の、心の傷を追っていく。本場欧州のプロチームに入団するも、大きな壁に当たった佐野。一度は引退を決意するが、それを翻させたのは旧知の友人だった。佐野は国内の新興チームに移籍して、選手生活をリスタートさせることになる。

 そして1年後、岩手県の八幡平で開催された2014年の全日本ロード、33歳のベテランエース、清水都貴は完璧なコンディションで、悲願の全日本制覇を狙っていた。清水の心には並々ならぬ熱意とともに、もう一つの秘めた決意があった…。

 自転車の各国選手権は、特別な意味をもったレースだ。優勝した選手は、各国の国旗のデザインを模したナショナルチャンピオンジャージが与えられ、翌年の全日本の前日まで1年間、同競技でそのジャージを着てレースに出場することができる。

 集団内でもひときわ目立つチャンピオンジャージは、その選手に特別な価値を与え、全ての選手がその栄誉に預かることを夢見るのだ。そして勝者が得られる名誉に対して、“2位以下は全員が敗者”という価値観が顕著なレースとなる。とにかく優勝しなければ意味がないレースなのだ。

 本書はその“特別なレース”における選手の心理状態を、数多くの選手や関係者への丹念な取材をもとに、一つのタイムライン上に再現している。単に脚力が優れているだけでは勝てない、ロードレースならではの複雑な心理戦を、読者は本書を通じて疑似体験することができるだろう。

2014年全日本選手権ロードレースの終盤、3人に絞られた逃げ集団。先頭を走る山本元喜が苦痛に顔をゆがめる Photo: Ikki YONEYAMA

 舞台となった2014年の全日本から4年が経って改めて読むと、本書の登場人物たちの現在の姿とも重ね合わせられて面白い。佐野は紆余曲折を経つつも、今年の全日本で再び逃げ集団を率いて、強力な走りで2位に入っている。本書で佐野とともに「逃げ」を成功させた若手の山本元喜もまた、4年後の今年、再び序盤からの逃げに入り、ついに全日本チャンピオンの栄冠に輝いた。立場は変わりながらも、それぞれのレースは続いているのだ。

 文庫化にあたっては、大友克洋氏がカバーイラストを描き下ろし。芥川賞作家の羽田圭介氏が解説を書いている。帯の重松清氏による推薦文は、写真をご覧の通りだ。著者の文庫版あとがきでは、昨年亡くなったサイクルフォトグラファーの高木秀彰氏について触れられている。各選手の時に主観的で曖昧なコメントを整理する際に、氏のレース写真が客観的資料として役立てられたという。その高木氏の目線から、本書は始まる。

逃げ(佐藤喬著)/小学館文庫

定価:本体570円+税
文庫版・256ページ
ISBN 9784094065374

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