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猪野学の“坂バカ”奮闘記<26>表彰台は蜃気楼のように… 近づいては遠のく夏の日のレース

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ついに表彰台のチャンス到来?!

 夏がくれば思い出すレースがある。岩手県は北上市で開催された「きたかみ夏油(げとう)高原ヒルクライム」だ。それは今まで最も表彰台に近付けたレースだった。あれは2015年、好調だった私の目標はズバリ表彰台。参加人数も年代別で122人とほどよく、「これは本当に行けるかも?」とスタッフを含め、誰もが思っていた。

実は苦手な平地コース

 意気揚々と夏油に乗りこむ。まずは初めてのコース攻略をするために強豪地元チームの教えを請うことに。お世話になるのは東北の強豪アマチュアチーム「Chicca? JiFUNiTA」(キッカジフニータ)だ。そこに私と同い年の佐藤公俊さんがいた。聞けば昨年は6位で今年は表彰台を狙っているらしい。早くもライバル出現だ!

 佐藤さんに曰く夏油の特徴はスタート直後の長い直線。普通のヒルクライムとはわけが違うらしい。それは試走してすぐ分かった。いつまで走っても坂が現れない。延々とほぼ平坦の直線が続く。直線を抜けるとようやく坂が現れるのだが1kmくらいで終わり、何と今度は下り始めた。

「夏油高原ヒルクライム」の名物となっている長~い直線。前を走る佐藤公俊さんの背中が遠くなっていく…

 ダウンヒルを終えるとようやく4km程のヒルクライムが始まる。ゴールはスキー場の駐車場。ここも平坦で、最後は激しいスプリントになるらしい。表彰台を狙って意気込んでやって来たが、これはほぼロードレースではないか!

 現在『チャリダー★』では「ロードレース男子部」が盛り上がっているが、平地に弱い私には声すらかからなかった。私には不向きなコースだ。

 佐藤さん曰く、最初の直線で集団に残らないと表彰台は難しいとのこと。悲壮感を漂わせていると佐藤さんが「私に付いてくれば大丈夫です」と言ってくれた。東北の人の温かさに素直に甘える事にする。

砂漠にオアシス!坂バカに坂!

 一夜明けて決戦の日、今日こそ上がれるかも知れない表彰台を目指しスタート! いきなり時速40kmを超えるスピードで直線を駆け抜ける集団! 必死で佐藤さんに食らいつくが、早くも最大心拍で苦しい!

 道幅も狭く、先にスタートした選手たちが左側を占領しラインが限られる。「これは危険だ!」と頭をかすめた瞬間、佐藤さんとの距離が一瞬開く。「しまった!!」 私は今まで数々のプロの方々に引き摺り回され学んで来た。ドラフティング効果はタイヤ擦れ擦れまで詰め寄らないと得られない。5cm以上開くと途端に呼吸が苦しくなる。ハスリ上等で引っ付くしかないのだ!

 一瞬離れてしまった私の呼吸は乱れ始め、フォームも崩れ始める。あっという間に表彰台は小さく消え失せてしまった。「今回は行けると思ったのに」と落胆しながら、1人で走っていると前方に見覚えのある光景が微笑んでいる。

坂バカのオアシス!上り坂がやってきた。自然と笑顔になる筆者

 「坂だ!」

 砂漠にオアシス!坂バカに坂! ようやく念願の坂が現れた! 心の底から力が湧いてきて、平坦で抜かれた選手達を次々と抜き返しす。坂だけは、そこそこ速い(はず)。「まだ行ける!ここから挽回だ!」落胆が希望へと変わった瞬間だった。

ダウンヒルでまさかのオールアウト!

 すると見慣れたブリヂストンアンカーのジャージを着た選手の姿が。この日、ゲストライダーで出走していたバルセロナ五輪日本代表の藤田晃三選手だ。憧れのクライマーだ。思わず「いつも拝見してます!」と声をかけた。しかし、このミーハー根性が私の運命を左右する事になる。

 坂が終わり、下りに差しかかる所で何と藤田選手が私の前に出て「下りは引きますよ」と言ってくれるではないか!今日はついている!ますます順位を挽回できるぞ!と付かせてもらった。しかし、これが猛烈なスピード! 下りなのにトルクをかけグイグイ踏んでゆく。

「藤田トレイン」に必死で付いてゆく筆者(右端に見えいるアンカーのジャージが藤田晃三さん)

 今度は離れるものかと、元プロのダウンヒルに死に物狂いで喰らいつく! 下りが終わり、最後の坂が現れた所で「ここからは自力で」の言葉とともに藤田トレインは解散。

 「よし!ここからスキー場までの坂でさらに順位を上げて表彰台だ!」

 しかし、しかしだ、なぜか全く力が入らないではないか! 私は藤田さんに付いて行くのに必死でオールアウト(疲労困憊)になってしまっていたのだ。またもや漂い出す絶望感。こうなれば、ひたすら回復を待つしかない。

 すると思いの外早く呼吸が落ち着いてきた。「よし!まだ行ける!今日の俺は行ける!」と諦めずに踏み込み、得意な坂を駆け上がる。そしていよいよ最後のスキー場区間へ。最後のスプリントに備え、ギアをアウターに上げた瞬間、またもや試練が訪れた!

オールアウトしてしまった筆者

 今度はどういうわけか一向にアウターに入らない! ここに来てメカトラだ! 私は己の整備不良にも関わらず、思わず全国放送でコンポーネントのメーカー名を汚い言葉で罵ってしまった…。インナートップでクルクルクル回すが全くスプリントにならず、無様にゴール。希望と落胆に翻弄され続けたレースだった…。

ヒルクライムは努力を裏切らない

 ゴールでは佐藤さんは3位には入ったようで、喜んでいた。これはせめて戦友の表彰台を祝わねばと表彰式に出るが、3位に佐藤さんの名前がコールされる事はなかった…。

 とある精神科医が言っていた、期待するから落胆があるのだと。期待などしなければ、穏やかに暮らせるのだと…悟りの境地に入っていると、「優勝は佐藤公俊さん!」とコールされたではないかっ!? 3位どころか優勝していたのだ! 自分のことのように喜んでいると、司会者が「因みに猪野さんは7位でした!」と頼んでもいないのにコールしてくれた。やった!初めての10位内だ! 悟りは吹き飛び、歓喜へと変わった。

今日も黙々と自宅のベランダで練習に励む筆者。努力は裏切らないのだ!

 不甲斐ないレース内容ではあったが、それなりに走れていたようだ。人生は努力しても報われない理不尽な事が多い。しかしヒルクライムにおいては、努力だけは裏切らない。オールアウトからの回復が早かったのも、日頃のインターバルトレーニングの賜物だ。

 夏が来ると思い出す…どこまでも続く夏油の直線を。努力していればきっと…。そんな想いで今日も私は、夏の風物詩、業務用扇風機のスイッチを入れるのであった。

(写真提供:NHK/テレコムスタッフ、猪野学)

猪野 学猪野 学(いの・まなぶ)

俳優・声優。自転車情報番組NHK BS1『チャリダー☆』(毎週土曜18:00〜18:25)にレギュラー出演し、「坂バカ俳優」という異名で人気を博す。自転車の他、空手やスキーなども特技とするスポーツマン。俳優として舞台や映画、ドラマなどで活躍する一方、映画『スパイダーマン』のトビー・マグワイアの声優としても知られる。ウェブサイト「マナブログⅡ

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