山口和幸の「ツールに乾杯! 2018」<1>今年はヴァンデ県で開幕 地元が誇るチーム、ディレクトエネルジー躍進の軌跡

by 山口和幸 / Kazuyuki YAMAGUCHI
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 開幕地となったフランス中西部のヴァンデ県は自転車競技の盛んなところで、才能のある選手がしのぎを削り、生き残った人間だけがプロチームに昇格していく。ジャンルネ・ベルノドー監督がヴァンデ県の若手選手を発掘するために運営していたアマチュアチーム「ヴァンデU」は、2000年にボンジュールというチーム名でプロ化。ブリオシュラブランジェール、ブイグテレコム、ヨーロッパカーとスポンサー名が変わるが、現在のディレクトエネルジーである。ちなみに「ヴァンデU」の「U」はスーパーマーケットのチェーン店名で、往年のファンなら「システムU」や「スーパーU」を思い出す人もいるはず。このエリアを本拠地とした日用品販売店である。

ヴァンデの子供たちが開幕を祝福 © ASO

 チーム名が一躍脚光を浴びたのは2004年のツール・ド・フランス。トマ・ヴォクレールが10日間もマイヨジョーヌを着用したときである。ヴォクレールは新人賞対象の25歳。そしてチームエースは同い年のシルヴァン・シャヴァネルだった。

2004年のツール・ド・フランスで10日間マイヨジョーヌを着続けたトマ・ヴォクレール。山岳でも優勝候補らに必死で食らいつき、僅差でマイヨジョーヌを守り続ける姿で一躍人気選手に Photo: Yuzuru SUNADA

 ヴォクレールは1979年6月22日にドイツ国境に近いアルザス地方で生まれた。ところが幼少期のほとんどはカリブ海に浮かぶマルティニック島で過ごすことになる。西インド諸島の東にあって、小アンティル諸島に属するこの島はフランスの海外県で、ラム酒の原産地として有名なところだ。フランス資本のラム酒会社が多く、そのため駐留するフランス人も多い。だからカリブの島といっても自転車文化はあり、ツール・ド・フランスの開催中にはツール・ドラ・マルティニックというステージレースも開催されている。ヴォクレールが本土の子供たちと同じように自転車に親しんでいたとしても不思議ではない。

 「17歳の時、スポーツ学校に入るためにフランスに一人で渡ったんだ。マルティニックでもカデットやジュニアで自転車競技をやっていたけど、フランス本土のスピードが速くてびっくりした。それに選手があまりにも大勢いて、泣きそうになった」

 両親と離れたヴォクレールは、最初のうちこそ新生活に心がはずんだが、すぐにスポーツ学校の成績も伸び悩んだ。「おまえ、なにやってんだ? 家に帰るか!」と先生に何度も言われた。

 当初はフランス西部のナントを拠点とするアマチュアチーム、UCNに所属していたが、その努力が認められて強豪チームのヴァンデUに移籍した。2001年、エスカレーター式にプロチームのボンジュールに移籍。その年のジロ・デ・イタリアでは総合優勝のシモーニに遅れること2時間54分07秒、135位ながらチーム唯一の完走を果たした。

チームプレゼンテーションに集まった地元の人たち © ASO
出場選手もチームプレゼンテーションはリラックス © ASO

 ベルノドーは2004年のツール・ド・フランスで総合優勝をねらえるチーム体制を確立させていた。フランス純血主義のこだわりを捨て、スペインからホセバ・ベロキら3選手を加入させたのだ。ところがベロキはシーズンが深まっても全くの不調で、ついに6月にはベロキなしのフォーメーションに組み替えざるを得なくなった。その年のヴォクレールにはいくつかの幸運がついて回るが、これが最初の幸運だった。

 「ベテランのディディエ・ルースらと若手をバランスよく組み合わせよう。目標をステージ1勝にトーンダウンするのは仕方ない。でも新人賞のジャージにはこだわりたい」

ツール・ド・フランス2004年のチームプレゼンテーションでのシルヴァン・シャヴァネル(左)とトマ・ヴォクレール。ヴォクレールは直前のフランス選手権で優勝したものの、まだ世界的には無名に近い存在だった Photo: Yuzuru SUNADA

 ベルノドーは新人賞の対象となる5人の若手選手を起用した。エースナンバーには前年の大会で総合37位に食い込んだシャヴァネルを抜擢。ジェローム・ピノーも新人賞争いが期待されていた。エース以外の選手がアルファベット順に並べられ、Vで始まるヴォクレールは最後の129番。前年119位の成績だから仕方なかった。

 リエージュのスタート地点に並んだシャヴァネルとヴォクレールこそ対照的な存在はなかった。エリート中のエリートで、氷のようなカリスマ性を持つシャヴァネルに対して、ヴォクレールはお笑い芸人のようなカリブ海特有の明るさがあった。そして明らかに、エリート街道を突き進んだシャヴァネルにはないしたたかさを持っていた。

 2004年、大会6日目の雨のレースで後続集団に12分33秒差をつけて先頭集団を走ったヴォクレールが首位に立った。さらに10日間もマイヨジョーヌを着続けた。

ヴォクレールが中心となったチームから一時離れていたシルヴァン・シャヴァネルだが、2016年から古巣へ復帰。今年は新記録となる18回目のツールに挑む Photo: Yuzuru SUNADA

 「毎日が夢のような出来事だった。マイヨジョーヌを着続けることができたのもチームメートのおかげだ。総合優勝から遠ざかっているフランスの自転車界にとっていい刺激になったことがうれしい。子供たちが夢を持ってくれたはずだ。いつかはマイヨジョーヌを着ることができるんだと」

 ヴォクレールは2017年に現役を引退。

 シャヴァネルは一時海外チームに移籍するが、2018年はディレクトエネルジーのツール・ド・フランス出場メンバー入り。大会新記録となる18度目の参戦を果たした。2001年にブリオシュラブランジェールの一員として初出場し、18年間出場を続けてきたのだ。

取材陣の車両許可証だけで4種類。これはテットドクルス(先導車)の前、ファンドクルス(後方車)の後ろ。広告キャラバン隊列を1日1回追い越していいというカテゴリー © PRESSPORTS

 ツール・ド・フランスの最多出場記録はジョージ・ヒンカピー(米国)、イェンス・フォイクト(ドイツ)、そしてシャヴァネルの3選手が17回で並んでいたがシャヴァネルが単独最多記録となった。ツール・ド・フランス区間3勝。2008年と2010年にスーパー敢闘賞を受賞。2010年には第2ステージと第7ステージで首位に立ち、合計2日間マイヨジョーヌを着用している。引退は公言していないが、「ツール・ド・フランスとしては最後のレース」と語っている。

山口和幸山口和幸(やまぐち・かずゆき)

ツール・ド・フランスをはじめ、卓球・陸上・ボート競技などを追い続け、日刊スポーツ、東京中日スポーツ、ナンバー、ターザン、YAHOO!などで執筆。国内で行われる自転車の国際大会では広報を担当。著書に「ツール・ド・フランス」(講談社現代新書)、「もっと知りたいツール・ド・フランス」(八重洲出版)など。

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