2013新春スペシャルインタビュー<4>世界へ羽ばたく増田成幸 「日本のテレビに映るレースに出て、元気な姿を見せたい」

  • 一覧

 昨年10月のジャパンカップのレース前日、“Jプロツアー”年間王者を決めていた増田成幸(宇都宮ブリッツェン)がプロツアーチーム“キャノンデール”に移籍するという、驚きのニュースが報じられた。イヴァン・バッソやペテル・サガンなど、大スター選手を擁する世界のトップチームへの加入だ。年末にキャノンデールのチームキャンプに参加し、12月に日本へ一時帰国した増田に話を聞いた。(聞き手 米山一輝)

“新入生歓迎会”で酔いつぶされて…

 「チームメイトは、皆すごい陽気ですね。いい意味で絡んでくれて、とても楽しかったです。新入生歓迎会みたいなのもあって、ベロベロに酔いつぶされて部屋まで運んでもらったり、そういうことがあったので、多くの選手と仲良くなれました。チーム内では“マス”とか“ユキ”とか呼ばれるんですけど、イタリア語で発音するとマスって“マズ”になるんですよ」

 約3週間のチームキャンプでは、顔合わせから始まり、使用機材の説明や、各種契約書へのサイン、写真撮影やメディア対応のレクチャーなど、トレーニング以外にも忙しく過ごしたという。

 「ガッツポーズの仕方とかも教わるんです。スポンサーのアピールをしっかりできるポーズとか。あとは新しいバイクのフィッティングですよね。サドルとかハンドルの位置が電動で“ウィーン”って動く機械で色々ポジションを探ったりしました」

 チーム内で主に使われるのはイタリア語。最初はほとんど聞き取れなかったが、チームキャンプの間に相当上達したとか。

 「やっぱり外国人の中で、その言葉を話さないとどうしようもない状況で生きていくことが、語学が上達する近道なんだって、すごく思いましたね。以前ニッポで3ヶ月イタリアにいた分を、多分5日間くらいで覚えました」

伸び悩んだ最初のヨーロッパ挑戦

 実は増田が本場ヨーロッパのレースに挑戦するのは、今回が初めてではない。かつて2008年からの3年間も、欧州を中心に活動していた。国内プロチーム「ミヤタ」でデビューした後、フランスを中心に活動するチーム「梅丹本舗・GDR」に所属していたのだ。

 「その頃は自分より強い選手がたくさんいて、一人ずつ目標にして頑張っていました。またヨーロッパのレースへの憧れも強いものがあって、そういう場所で走れるなら走りたいなと」

 しかし欧州1年目は膝の故障に悩まされ、ほとんどレースに出場できないままシーズンを終えてしまう。2年目は徐々に回復し、レースにも出場するようになったが、所属チームがスポンサーの獲得に難航して解散。「まだちゃんとヨーロッパで走れていない」と、翌年はイタリアを中心に活動する「ニッポ」に移籍した。しかしここでも増田は伸び悩んでしまう。

 「前の年の秋に、練習中に犬とぶつかって骨折してしまったんです。その時の金属プレートを抜いてからイタリアに行こうとしたんですけれど、他の選手より1ヶ月くらい遅く行ったら、何かちょっと出遅れた感じになってしまって」

 シーズンの数ヶ月間を海外で過ごすが、成績どころか参加するレース自体が少ない状態。そんな中で、イタリアのレベルの高さを思い知らされることになる。

 「集団にただ付いて行って、みたいな感じでしたね。何かチームとしての仕事をするという感じではなかった。レースの雰囲気とか、どういうところでアタックが掛かるんだとか、そういうことは分かったんですけど、積極的に自分たちから何かを生み出すようなレースはしていなかったですね。受け身なレースしかできなかった」

 増田はこの時期の記憶が「ほとんど無い」のだという。「今考えてみると、あまり一生懸命にやっていなかったのかも知れませんね」という最初のヨーロッパ挑戦。しかし様々なことを学んだ時期でもあった。

 「いろんな意味で大変でした。ぬくぬくとやっていたら分からないような事を思い知らされた。人とのつながりとか、そういう部分ですごく学んだ年でした」

 そして秋、増田は学生時代から取り組んでいた人力飛行機のパイロットに挑戦中、腰椎骨折の大ケガを負ってしまう。これが一つの転機となった。翌2011年、増田は宇都宮ブリッツェンに移籍。国内レースに復帰することになる。

宇都宮ブリッツェンで“復活”

 ブリッツェンへ移籍したのは、ミヤタ時代の恩師である栗村修監督から誘われたことがきっかけだった。

 「栗村さんからはそれまで3回くらい誘われていたんですけれど、骨折で入院してた時にまた言われたんです。いろいろ考えも変わって、一度日本に戻った方がいいというか、ケガもひどくてシーズンの予定も不透明な感じでやるよりは、ちゃんとまた栗村さんのところに戻ってやろうという気持ちになったんです」

 2011年、増田はシーズン当初は出遅れるが、徐々に調子を上げ、6月のヒルクライム大会で見事に優勝を果たした。

 「すごく嬉しくて、“自転車やめなくて良かった”と思いました。やめようとは全く思っていなかったんですけれど、ケガをした時は10日間くらい寝たきりだったので、いろいろなことを考えてしまったんです。でも自分は自転車が大好きだから、できるかどうか分からないけれど、復帰に向けてとにかく今までにないくらい一生懸命やってみようと思って。ダメでも悔いが残らないよう、一生懸命やろうって決意して取り組んだんです」

 それまでは選手活動に「何となく」という部分もあった増田だが、この年はレースに対する取り組み方が大きく変わったという。

 「人間の良さというのは“考えられる”ところにあるんだなと気付きました。いろいろ考えて、いい意味で悩んで、熟考して自分の道を一つ一つ決めて、決めたことをちゃんとやっていくという過程が、人生の醍醐味なんだって学びましたね」

あと一歩で逃したルビーレッドジャージ

 増田はこの年、優勝と上位入賞を重ね、シーズン中盤からランキング首位の“ルビーレッドジャージ”を守り続けた。しかし迎えたツアー最終戦で、まさかの落車骨折リタイアを喫してしまい、年間チャンピオンの座をあと一歩のところで逃してしまう。

 「またやってしまったな、という気持ちとともに、すごい責任も感じました。ブリッツェンは地域の支えがとても強く、皆にものすごく期待されていて、ルビーレッドジャージを持って帰りたい気持ちも自分自身すごく持っていたのに、ああいう形で終わらせてしまった。プレッシャーのあまり、肉体と魂がバラバラだったように思います」

 しかし増田はケガに負けなかった。上半身だけで5箇所を骨折、肺にも挫傷があるという大ケガだったが、すぐに復帰に向けて動き出す。ケガの翌月にはエアロバイクに乗ってトレーニングを開始。「来年こそは絶対にルビーレッドジャージを取る」という決意は固かった。

大活躍の2012年

2012年7月のJプロツアー石川ロードでシーズン3勝目を挙げた増田成幸2012年7月のJプロツアー石川ロードでシーズン3勝目を挙げた増田成幸

 迎えた2012年シーズン、増田はヒルクライムレースを中心に3勝を挙げ、早々にランキングトップの座を獲得することになる。自身の成長もさることながら、設立4年目を迎えたブリッツェンのチーム力もまた、非常に高まっていた。

 「誰か一人が強くても、優勝するのは難しい。だけど今年はチームがすごく強かったおかげで、レースの主導権を握れていた。自分の力をただ発揮すればいいような感じになっていました」

 国内ツアーだけでなく、全日本選手権では2位、国内で開催されるUCIレースなど国際大会でも活躍を見せた。

 「Jプロツアーだけ走って活躍していても、海外を走っている選手からすると、なめられてしまうんです。海外で活動する選手も集まって走るレース、全日本選手権や国内UCIレースというのは、自分たちの中ですごい大事なレースでした」

 6月のツール・ド・熊野では総合4位。9月のツール・ド・北海道では総合4位と、チーム総合優勝を獲得した。だが2012年シーズン後半、増田は体の不調に悩まされていた。

 「Jプロツアーに出ていると、年間全く休まる時がなくて、ある時血液検査をしてみたら、ものすごい値が下がっていて、それが夏以降ずっと回復せずに下がってきていたんです」

 通常45前後あるというヘマトクリット値(血液中に占める血球の体積の割合を示す数値)が、ツール・ド・北海道の前には39まで下がっていた。

 「強度が高くなると呼吸も苦しくて、こんなんじゃ結果どころじゃないと弱気になってたんですけれど、苦しいながらも踏ん張ったら、苦しいなりに踏めたんです」

 10月のジャパンカップの時には、値は38にまで落ちていた。

 「もう驚愕。長距離選手ではあり得ない、出してはならない数字で、もうこれ軽い貧血ですよね。ヘマトクリットだけでなくてヘモグロビンとかその他の値もすごく下がっていて、でもそんな中でもそこそこ走れた。ちゃんとコンディション管理できていたら、どこまで行けてたんだろう?という気持ちもありましたね」

 ちなみにシーズンオフに入って1週間ほどで、値は45まで回復したそうだ。「もっと早く休めば良かった」と苦笑いするが、血液の重要性と、そのためにドーピングに手を染める選手の気持ちも少し想像できたという。

いよいよ世界の大舞台へ

 2013年は、日本のトップから、満を持して再び世界の舞台へと羽ばたく。

 「(スポンサーの)キャノンデールが日本人を1人チームに入れたいということで、回りまわって自分のところに(チャンスが)来たわけですけれど、そういうチャンスがあった時に、日本の中で強い選手でいられたことが結果につながった。やはりそれは自分の力でつかんだものだと思っています」

 世界のトップチームに加入したことで、来年はツール・ド・フランスなどの“世界3大ツール”出場への期待も高まる。しかし増田の発言はとても慎重だ。

 「キャンプでゆっくり走っていても、皆の強さが分かります。チームの強さからしたら、自分の実力は本当に下の方だし、大きいレースで活躍しますとか、そういう事は言えないですよね」

 チームの中で、一つ一つ小さな仕事をこなせるようになりたいという。

 「チームにとっては小さいレースでも、自分にとっては大きいレースなので、自分の身に起こることや、目の前に現れることを、しっかり消化して成長していきたいです。自転車プロチームはやっぱり、走って仕事をするチーム。ただみんなに愛されて楽しいみたいなのは、本当の楽しみじゃないと思うので」

 まずは日本のテレビに映るレースに出場することが目標だ。「皆に元気なところを見せたい」と話す。

栃木県庁前で栃木県庁前で

 増田は1月中旬、アメリカ・ロサンゼルスでのチームプレゼンテーションに参加した後、アルゼンチンのレースでシーズンインするという。

 「ここ数年は毎年骨折リハビリだったので、それに比べたら100倍順調なシーズンインなんです。だから今年は頑張りますよ」

この記事のコメント

利用規約順守の上ご投稿ください。

関連記事

この記事のタグ

2013新春スペシャルインタビュー 増田成幸

  • 一覧

新着ニュース

もっと見る

ピックアップ

e-BIKE最新特集

スペシャル

自転車協会バナー

ソーシャルランキング

インプレッション

インプレッション一覧へ

連載