2013新春スペシャルインタビュー<1>新城幸也は夏に燃える! ワールドツアー優勝は現実的目標 

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 新城幸也。昨年もっとも活躍した日本人選手として、議論の余地はないだろう。チーム ヨーロッパカー(フランス)に所属し、3度目の出場となった世界最高峰のロードレース「ツール・ド・フランス」では第4ステージで敢闘賞を獲得。その他のステージでも連日のように逃げに入る活躍を見せた。ロンドン五輪には日本代表で出場。また8月には日本人で初めて、ヨーロッパの超級レース「ツール・ド・リムザン」で総合優勝を果たした。2013年、ますますの活躍が期待される新城に話を聞いた。(聞き手 米山一輝)

新城幸也(チームヨーロッパカー)新城幸也(チームヨーロッパカー)

ツール・ド・フランス2012で大活躍

 2012年のツール・ド・フランス、第4ステージの新城の走りは鮮烈だった。スタート直後から3人の逃げを決め、約200キロを先行し続けたのだ。

 「その前日が、僕のアタックのすぐ後に別のアタックが決まったんですよ。すごく悔しくて。次の日も“行っていいよ”って言われたんで、“だったら一発目に行ってやるよ”って、ファーストアタックで決めました」

 逃げを決めた日はノルマンディー地方でのステージ。新城が10年前、フランスに来て最初に自転車競技を始めた場所だ。当時お世話になった人達もスタートに駆けつけ、とても気合いが入っていたという。「人生初じゃないかな」というファーストアタックを見事に決めてみせた。勝利には繋がらなかったが、ステージ敢闘賞を獲得。日本人で初めてツールの表彰台に立ち、笑顔を振りまいた。

ツール第4ステージで敢闘賞を獲得した新城幸也。日本人選手で史上初めてツール・ド・フランスの表彰台に上った(砂田弓弦撮影)ツール第4ステージで敢闘賞を獲得した新城幸也。日本人選手で史上初めてツール・ド・フランスの表彰台に上った(砂田弓弦撮影)

 そして終わってみれば、新城はツールで通算5度の逃げに乗り、チームはステージで3勝、さらに総合山岳賞を獲得するという大活躍となった。ヨーロッパのプロチームに入って4年目。3度目のツールは、戦い方もこれまでと全く違ったという。

 「(過去に出場した)2009年と2010年は、誰でもいいから逃げに乗って、ステージ優勝を取ろうという感じで、総合は全く気にしてなかったんです。多分去年トマやピエールが総合に絡んでからだと思うんですけど、今日は行く日、今日はリーダーを守る日と、それぞれ指名されるんです。そう言う部分でメリハリができていたのが良かったのかなと思います。経験を積んできたことも大きいと思います」

絶望を味わった春先のケガ

 しかし今年の新城は、必ずしも順風満帆の一年を過ごした訳ではなかった。2月にシーズンイン。昨年ツール出場を逃していただけに、早めの始動でチームにアピールする思惑だった。順調な仕上がりを見せ、春のクラシックレースを目前にした4月上旬に、レースで落車。まさかの手首骨折という大ケガを負ってしまった。

 「人生初骨折。アムステルとリエージュが決まってたんで、そこで頑張りたかったんですけど、全部パー」と明るく話すが、その当時は相当に落ち込んだという。

 しかしレースは待ってくれない。ロンドン五輪の最終選考会である全日本選手権が4月末に控えていた。すでに五輪代表の座をほぼ手中にしていた新城だが、選手権を欠場する訳にはいかなかった。「じゃあ治すか」と手術から1週間後にはギプスを外し、リハビリを開始した。

骨折から1ヶ月たたずに全日本のスタートラインに並んだ新城骨折から1ヶ月たたずに全日本のスタートラインに並んだ新城

 あらゆる手を尽くしてリハビリを行い、全日本のスタートラインに並んだ新城。しかし新城を見る周囲の目は懐疑的だった。本当に新城は走れるのか?

 「僕自身がもう、“どうなのユキヤ?”という状態でした。握力が全然なくて、ブレーキが握れないから外を走れず、1週間ローラーにしか乗ってない。だんだん(握力が)戻ってきたので3日くらい外に行けたけど、長い距離が走れないからインターバルだけ。それもダンシングができないから座ったまま」

 そんな状態で出走した新城だったが、何と最後まで集団に残り、9位という好成績で完走してしまう。「みんな250キロという距離にビビって、ペースが上がらなかった」と展開が味方したというが、窮地に陥った中でも落ち着いたレースを見せ、国内チームの選手との格の違いを感じさせた一戦となった。

厳重な食事管理が好調につながる

 全日本選手権を終えて、フランスに戻った新城だったが、待ち受けていたのは厳しい現実だった。ツール・ド・フランス前の選考レースとして、新城にはたった1レースだけしか用意されていなかった。

 「ワンデイ1回(笑)。ワンチャンス。そりゃそうですよね。骨折していてどれくらい走れるか分からないし、チームも予定を入れる訳がないじゃないですか。でもその時、たまたまGMのジャンルネ(・ベルノドー)が監督だったんです。それで走りを見て、“あーいいじゃん。次も走れば?”って、翌々日のレースも走ることになったんです」

 次のレースでも好調な走りを見せた新城は、その次、さらに次とレースを重ねた。新城の走りに変化が起こっていた。ケガする以前よりも、上りの調子が良くなっていたのだ。

 実は、骨折して練習ができなかった時期に体重を増やさないよう、厳重な食事管理を行っていたのだという。それまでは「乗った分食べる、食べた分乗る」とさほど食事に気を遣っていなかったが、このダイエットがフランスに戻ってからの好調につながった。

 ツール前最後のレースとなった4日間のステージレースでも、総合11位と好調で終えた。監督から「お前は多分、いい報告があると思うよ」と言われた新城だが、チーム内での発表はフランス選手権が終わるまで、約2週間待たねばならなかった。この時期も新城は、慎重に食事を管理しながら準備をしていたという。その後のツール出場とそこでの大活躍は、ご存知の通りだ。

オリンピック出場、そしてリムザンでの総合優勝

 ツールが終わった直後はロンドンオリンピックに出場。あわやメダルもと期待されたが、最強イギリスチームをマークする作戦をとった結果、その崩壊と心中することになり、48位という残念な順位に終わってしまった。

ツール・ド・リムザン最終日、逃げを決めて逆転で総合優勝を獲得した(飯島美和撮影)ツール・ド・リムザン最終日、逃げを決めて逆転で総合優勝を獲得した(飯島美和撮影)

 「完全にスプリントだと思っていたのですが、しょうがないですよね。ツール後のオリンピックというのは僕にとってすごくアドバンテージで、調子が良かっただけに、やっぱり悔しかった。でもその分、リムザンを頑張りたかったし、そこで勝てたので良かったと思います」

 オリンピックから半月後、4日間で行われたツール・ド・リムザン。最終ステージを2位でゴールした新城は、逆転で総合優勝。カテゴリー超級(HC)での総合優勝は日本人初、それも本場ヨーロッパでの快挙達成となった。

「まだまだこのチームで強くなれる」

 2013年、新城はこれまでと変わらずチーム ヨーロッパカーに所属する。チームとしてはディビジョン2、必ずしも“世界トップクラス”ではない。昨年のツールでの活躍で、他のトップチームからも複数誘いがあったというが、「果たして、プロツアーに行ったからってどうなの、という思いはあるんですよ」と新城。

 今のチームは、フランス国内のワンデイレースや、ステージレースの上りゴールのスプリントステージなどで、新城がエースを任されることもあるという。

 「そういうところで“次は自分の番だ”とやりがいを感じます。チームメイトも結構助けてくれるし、逆に僕も助けるところは助けるし、そういう部分ではやりやすい。まだまだこのチームで強くなれるっていうのがあるんですよね」

 チームのキャプテンは、ツールでの度重なる大活躍でフランスの英雄となったトマ・ヴォクレール。彼を擁するヨーロッパカーは、今やフランスで一番の人気チームだ。新城もその一員として、フランス人ファンからも支持を集めている。

 「向こうではユキって言われるんですけど、“うわーユキ!”って感じで。フランス人でも日の丸を持っていてくれる人がいたりして、それは凄く嬉しいですね。あとトマが勝ったのをアシストした翌日に、知らないおじさんから“ありがとう!”って言われたりしました(笑)」

 育成クラブチーム「ヴァンデU」からの昇格選手が大半を占めるチームはとても家族的。また非常に“アナログ”で、そういった面でも合っているそうだ。

 「心拍計すらも使わないんです。自由で管理されない。メニューをあれこれ言われて、それでデータ送れとか、絶対無理。不真面目だから(笑)」

 そう話す新城。トレーニングはレースのスケジュールを考えながら“アナログで”自分で調整していくのだという。

2013年は「ゴール写真に載る力を付けたい」

 新城の2013年は、例年よりスロースタートとなる。12月のチームキャンプは参加せず、チームとの合流は2月下旬のツール・ド・ランカウィ(マレーシア)。それまでは毎年恒例のタイでの乗り込み合宿を行うという。

 「チームのマネージャーとも話して、来年はゆっくりでいいよって。実は僕のリムザンでの優勝が、チームのシーズン最後の勝利だったんです。そういう部分で僕は来年ツール以降の夏担当、そこからリムザンとか、あとロンバルディアとか、そういうところで頑張ってみないかという感じです」

 グランツールでのステージ優勝は、もうすでに現実的な目標となっている。HCクラスのリムザンで優勝を経験した今、“次”はワールドツアーでの勝利だ。

 「そのためにはまず今年、ワールドツアーのレースで最後、ゴール写真に載るくらいの力は付けたいです。そういうレースで上位に入るのって、今だと年に1回とか2回なので、それをもうちょっとコンスタントにしたい」

 プロ選手を目指してヨーロッパに渡って10年。今や日本人選手の先駆者として、前人未到の領域を歩いている。新城の姿を見てプロを夢見る若者も増えた。

 「チーム内で今いる立場や、周りの人が期待してくれていることは、いま凄く感じています。僕は始めたのが遅い方なので、まだまだ行けるかなと思っています。(ヨーロッパへ)これから来る若者には、“日本人もここまではできるんだ”と、いいプレッシャーを与えたいですね」

 そう語る新城の目は、10代の少年の頃と変わらず、キラキラと輝いていた。

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