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猪野学の“坂バカ”奮闘記<19>ヒルクライムはアシストで速くなる? 自己新記録を引き出してくれた“五郎ペーサー”

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 今年もあと僅か。年末になると今年1年を振り返り、今年は何処の山の自己ベスト更新できた!とか、1つもできなかったとか、そんな会話に華が咲く。私の2017年というと、辛うじて1つだけ自己ベストを更新する事ができた。唯一、聖地「マウンテンサイクリングin乗鞍」でだけ自己ベストを4分も更新する事ができたのだ。『チャリダー★』の放送を観た方はご存知だと思うが、更新できたのには理由がある。坂バカ界のアイドル、筧五郎さんにペーサーになってもらったのだ。

ヒルクライムはアシストで速くなるか? Photo: Kyoko GOTO

一心同体の「チンチン大作戦」

 私はこれまでヒルクライムに於いてのアスシトは意味があるのか?と疑問に思っていた。ツール・ド・フランスなどで山岳ステージになると、チーム スカイのミケル・ランダやミハウ・クフィアトコフスキーがエースのクリストファー・フルームを牽引しているが、ドラフティング効果のあまりない坂で本当に意味があるのだろうかと疑問だった。

 これはいい機会だ!人はアスシトによって速く走れるのか、身をもって検証しようではないか!

坂バカ界のアイドル、筧五郎さん(左)。究極のエアロスーツを求めてこんな格好をともにした間柄 ©NHK/テレコムスタッフ

 五郎さんによると「コースを知り尽くしてる僕に付いて来れば絶対自己ベスト更新できる」とのこと。注意点は急勾配では踏まず、勾配の緩い箇所で踏んでスピードに乗せるのが鉄則だという。坂で踏まないとは坂バカとしては矛盾していると思うが、ペーサーの言う事は絶対だ。

 レース中は五郎さんとのコミュニケーションを円滑にする為に、ステムにベルを取り付けた。ベルを1回チ~ンと鳴らせば「順調」。2回チ~ンチ~ンと鳴らせば「キツい」。チンチンチンチンチンチン!!!と連打したら「もう限界」─という具合に、自分の状態をベルによって五郎さんに知らせるのだ。名付けて!『チンチン大作戦!』…馬鹿げている様だが心拍が限界に近い状態ではこのチンチン大作戦は効果的だと思われた。

70分だけ地獄を見る

 出場するのは健脚クライマーたちが集まる「チャンピオンクラス」。初めての参戦で、スタート地点はさぞかし物凄い緊張感に包まれるかと思いきや、選手達は談笑し合うなど和やかなムードだった。しかし、その中でも1人私の表情は硬い。ペーサーが居るとはいえ、目標の1時間10分を切るには去年より6分も速く走らなくてはならない。地獄が待っているのは間違いなかった。

和やかな雰囲気のスタート前。しかし笑顔に反して1人緊張する筆者 ©マウンテンサイクリングin乗鞍実行委員会

 そして今年は某大手“アミノ酸”メーカーの企画も兼ねていた。何が何でも自己ベストは更新しなくてはならない理由を背負っていた。「これから始まる70分だけ地獄を見よう」と心に誓う、そしたら無事に年が越せるのだ。

 そしてスタートの合図と共に地獄の門が開いた! さすがはチャンピオンクラス、皆様乗り方が上手いからスタート直後の慌ただしさが全くない。ラインを乱さない、集団に慣れた“大人の走り”だ。そうこうしていると最前列でスタートした五郎さんの背中が見えた。すかさず後ろに付き、挨拶変わりに「チ~ン」と合図。チンチン大作戦がスタートした。

いよいよ「地獄の門」が開かれた! ©マウンテンサイクリングin乗鞍実行委員会

 スタートから7km地点にある1つめのチェックポイント「三本滝」までは比較的勾配が緩いストレートが多い。予言通り五郎さんは勾配が緩くなるとギアを上げ、踏む。私も負けじと踏むのだが、五郎さんとはトルクが違う。ケイデンスを上げて付いて行くしかないのだが、これが予想以上にキツい。明らかにオーバーペース。あっさり最大心拍へと導かれた。

“鬼タレ様”には会いたくない!

 五郎さんは坂になると強度を緩めてくれる。そこで脚を回復させたいのだが、上りの強度にも付いて行くのがやっとだった。「これが70分切りのペースなのか…」。私はスタート直後からずっと最大心拍で走っている。未知の領域。このままだと、後半にとんでもない“鬼タレ様”がやってくるのではないか?

Photo: Masami SATO

 その時、脳裏に某大手アミノ酸メーカーの存在がよぎる。タレてしまったら自己ベストすら危うい。私はすかさず「チ~ンチ~ン」と2回鳴らしてしまう。仕方なく五郎さんはペースを緩める。そして後方からどんどん抜かれてしまう。

 これではミッション達成は難しいと思ったのか、五郎さんは抜かれて行く集団に「これ何分ペース?」と聞き出した。すると「70分くらい!」と答えが返って来た。五郎さんが叫ぶ。「猪野さん!この集団に乗って!」─。といわれても、これ以上自分のペースを見失うのが怖かった私はそれを拒否。静寂な乗鞍の大自然の中で「チンチンチンチンチンチンチンチン!!!!」とベルの音が響く。そのうちにベルを鳴らすのも煩わしくなり、大声で「無理ーっ!!」と叫ぶ。

 こうして三本滝を通過する前に、わずか十数分で「チンチン大作戦」は敢え無く崩壊。そして70分トレインを逃した我々は路頭に迷うように彷徨い始めた。

「乗れ!」「乗らない!」の攻防

 するとまた新たな集団が後方からやってきた。五郎さんはまた「これ何分ペース?」と聞く。すると「72、3分くらいですかね」という返事。まだ自己ベストを出せるペースではないか! 五郎さんが叫ぶ。「これには絶対乗れー!」。深夜の終電じゃあるまいし。駆け込み乗車なんてしたら…あとから“鬼タレ様”がやって来る。私はあっさりと終電を逃してしまった。

 しかしだ!その頃になると再び脚が回り始めた。回復し始めたのだ!初老の回復は遅い。クリスマスイブのピザの配達くらい遅い。回復した事により難色の急勾配区間もやりすごす事ができた。

Photo: Kyoko GOTO

 冷泉小屋を過ぎた頃、また新たな集団が後方からやって来た。また五郎さんが聞くと集団から信じられない言葉が返って来る。「70分後半くらいのペースですかね」と…。絶望とはこの事だ。五郎の背中に動揺が見える。70分後半という事は去年より遅いという事ではないか!

 しかし私は冷静に振り返る。明らかに去年よりは速いペースで上って来たではないか。そんな筈はない! 五郎の背中に叫ぶ。「ガセネタだ!そんなわきゃねぇぞー!」。すると五郎が振り返った…。泣きそうな顔をしている。そして小さく、「だよね」と言った。

「タレるならタレろ!」火が付いたラストスパート

 この時、私の中に怒りにも似たような妙な感情が芽生えた。私の不甲斐ない走りで五郎さんに悲しい思いをさせてしまっている…。彼も私に自己新を出させる重圧を背負って走ってくれているのだ。私は様々な重圧を頭から振り払い、猛然とケイデンスを上げた。

 「もうどうにでもなれ!タレるならタレろ!」

 そして位が原を通過し、乗鞍名物の“低酸素区間”へ。実はこの辺りからの記憶が全くない。後から五郎さんから聞いた話しでは、このへんから私は白目をむいていたそうだ。

 最後のヘアピン4号カーブで誰かが言った「森本さん獲りましたよ!」の声で意識が戻る。師匠は連覇か、弟子も頑張らなねばと、勇気をもらう。するとまた小さな集団が後方から訪れる。聞くと「70分前半のペースですよ、一緒に行きましょう!」というではないか。このトレインだけは逃すものか! 必死に残っている全てを捻り出し、ゴールの岐阜県境へと向かった。

自己記録を更新した瞬間。燃え尽きた筆者と笑顔の五郎さん ©マウンテンサイクリングin乗鞍実行委員会

 ゴール後、すかさずサイコンを見る。そこに表示されていた数字は「01:12:36」。澄み渡る青空に、初老の雄叫びが響いた。70分切りは果たせなかったが、自己記録を4分も更新する事ができた。しかしアシストのおかげで速く走れたのかどうかは、今になっても正直分からない。実際、五郎さんに付いて行けなかったからだ。

ゴール後、五郎さんにもらったご褒美のみたらし団子。下山荷物にご褒美を忍ばせておく楽しみを教えてもらった (猪野学提供)

 しかし目の前に目標があると余計な事を考えず、走りに集中する事ができのは確かだ。アシストはそういった意味で不可欠だと分かった。今こうして穏やかに年末を過ごせているのも五郎さんアシストのおかげだ。

 ちなみに乗鞍での私のゼッケンは365番だった。逆から読めば…五郎さん。ありがとう。

猪野 学猪野 学(いの・まなぶ)

俳優・声優。自転車情報番組NHK BS1『チャリダー☆』(毎週土曜18:00~18:25)にレギュラー出演し、「坂バカ俳優」という異名で人気を博す。自転車の他、空手やスキーなども特技とするスポーツマン。俳優として舞台や映画、ドラマなどで活躍する一方、映画『スパイダーマン』のトビー・マグワイアの声優としても知られる。ウェブサイト「マナブログⅡ

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