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山口和幸の「ツールに乾杯! 2017」<5>歴史あるピレネーの過酷な峠越え ペラギュードの因果は巡るのか

by 山口和幸 / Kazuyuki YAMAGUCHI
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 1903年に始まったツール・ド・フランスが世界最高峰の自転車レースとしての地位を決定づけたのは、当時として自転車で上ることなどだれひとりとして想像できなかった過酷な峠をコースにしたことだ。1909年に大会主催者はピレネーにある4つの峠、オービスク、ツールマレー、アスパン、ペイルスールドを加えた。

パリに次ぐ69回目の訪問となった南西フランスの避寒地ポー。ピレネー山頂ゴールの第12ステージがここから始まる Photo: Kazuyuki YAMAGUCHI

 つまりアルプスよりもピレネーのほうが先に採用されたのである。近年の勝負どころであるアルプスのラルプデュエズはリゾート開発会社の大会協賛によって1952年に初登場したに過ぎない。ちなみにツール・ド・フランスが初めて1000m級の峠を越えたのは1905年、ボージュ山脈のバロンダルザス(標高1178m)だった。

バニェールドリュションにある美しいオー湖 © Luchon

 ピレネーの4峠は西側からオービスク(標高1709m)、ツールマレー(標高2115m)、アスパン(標高1489m)、ペイルスールド(標高1569m)だ。毎年のように通過するツールマレーや断崖絶壁をえぐって道を取りつけたオービスクにはかなわないが、ペイルスールドはピレネー山中の温泉地バニェールドリュションにゴールするときに通過する重要拠点だ。

 このペイルスールドのすぐ近くにあるスキーリゾートがツール・ド・フランスで2度目の登場となるペラギュードだ。前回、最初の登場は2012年の第17ステージ。バニェールドリュションをスタートしたレースのゴールとなり、モビスターのアレハンドロ・バルベルデが独走で優勝。3年ぶり4回目の区間勝利(うち1勝は1着リッコの不正薬物使用で繰り上がり)を挙げたのである。

バニェールドリュションにはバポラリウムという天然の洞窟サウナがある © Luchon

 「大会の序盤は2日で3回落車するなど不運が続いた。総合成績では上位をねらえなくなったので、区間勝利にねらいを定めた。(ドーピング陽性による)2年間の出場停止期間中も走ることをやめなかったのが今日の勝利につながったと思う」と、ゴール後に大粒の涙を落としながらバルベルデが語っていたことが忘れられない。

ペラギュードへの上りでの不穏

 このときの首位はスカイのエース、ブラッドリー・ウィギンスで、2分05秒遅れの総合2位にアシスト役のクリストファー・フルームがいた。このステージで2選手はバルベルデから19秒遅れでゴール。2分23秒遅れの総合3位ビンチェンツォ・ニーバリとの差をさらに37秒開くことに成功した。ただしこのとき、奇妙なシーンを目撃した。

 ゴールまであと数kmという地点でスカイのウィギンスとフルームは、ニーバリが疲労困ぱいの状態であることを見抜いていた。アシスト役のフルームがウィギンスにこう話しかけた。

 「突っ走ろう。ボクは前方にいるバルベルデに追いついて区間優勝したい」

 マイヨジョーヌのウィギンスがこう返した。

 「そうだな…。あれれ? プゥー…」

 フルームのペースアップにマイヨジョーヌがついていけなかったのだ。フルームがしびれを切らしたかのように右手をクルクルと回して「もっとペダルをこいで」と激励する。何度も加速するが、そのたびにウィギンスとの距離が広がって、フルームはあからさまに背後をにらみつけていた。

2012年のツール・ド・フランス第17ステージ。当時はアシストのクリストファー・フルームが先頭でペースアップするが、マイヨジョーヌを着るエースのブラッドリー・ウィギンスが付いていけない Photo: Yuzuru SUNADA

 プレスセンターはそんなシーンにどよめきが起こった。その年の大会は序盤から波乱がなく、記事の着眼点に困っている記者にとっては絶好のツッコミどころだ。

 このときウィギンスは初めて自分の頭の中にパリでマイヨジョーヌを獲得する自分の姿を想像していたという。そんなウィギンスにはさまざまな葛藤がうごめいた。総合成績で上位を脅かす唯一の存在であるニーバリがすでに戦意を喪失している。だったら安全運転でゴールまでのんびり走ってもいいだろう。

 いや、自分を献身的にアシストしてくれるフルームにはパワーが残っていて、全力で追いかければバルベルデを抜いて区間優勝できる。ただし1人で行かせれば自分自身のマイヨジョーヌをフルームに譲ることになりかねない。

エースへの道筋をつけたフルーム

 ウィギンスはペースアップできない自分に歯がゆさを感じながら、全力を出し切れなかったフルームとともに区間2位と3位でゴールした。晴れやかなはずの表彰台では複雑な表情をするしかなかった。

2017年ツール・ド・フランス、第12ステージは細かい雨が降る中での戦い。フルームもレインベストを着用してスタート Photo: Kazuyuki YAMAGUCHI

 「フルームは爆走したかったようだが、ボクはもうゲームオーバーという感じだった」というのがやっとだった。さらにこう続けた。

 「フルームは今日もスーパーだった。スゴいパワーを持っていた。このツール・ド・フランスの間はボクの頼もしきチームメートだ。そして彼はいつの日か、この大会に勝てると思う。そのときボクは彼のそばで(アシストとして)走っているだろう」

 ただし日曜日にシャンゼリゼでマイヨジョーヌを着るのはあくまでもこのオレだからな。インタビューの言外にそんなウィギンスの胸中をプレスセンターで感じていた。

 ご存知のようにフルームは翌年のツール・ド・フランス100回大会でエースとなり初優勝。2015、2016年と勝利を重ねている。フルームが右手をクルクルさせて「もっと早く!」というジェスチャーは第9ステージで自転車にメカトラブルが生じたときも再現された。どこかに不安をかかえて焦る姿は4勝目をねらう今年も相変わらずだ。

マイヨヴェールのマルセル・キッテルは山岳ステージの第12ステージも中間スプリント賞を取りにスタート直後に形成された第1集団に加わる Photo: Kazuyuki YAMAGUCHI
新城幸也は乗り込みトレーニングを積み重ねたピレネーを得意とする Photo: Kazuyuki YAMAGUCHI

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