スマートフォン版はこちら

16年間のキャリアを祝福「石畳を愛し、愛された男」 トム・ボーネンの足跡と功績をたどる

by 福光俊介 / Syunsuke FUKUMITSU
  • 一覧

 2017年4月9日、1人の男がプロトンに別れを告げた。トム・ボーネン。16年のキャリアの中で、「北の地獄」とも称されるパリ~ルーベにおいて優勝4回、2位2回、3位1回を記録。14回目の出場となるこの大会をもって、プロライダーとしての生活に終止符を打った。彼がトップシーンでの戦いを終えた今、最後のパリ~ルーベ当日の様子を振り返るとともに、長きにわたったキャリアを祝福しようと思う。

2012年のパリ〜ルーベを制し石のトロフィーにキスするトム・ボーネン。この時は53kmを独走する驚異的な走りだった Photo: Yuzuru SUNADA

勝利にこだわって最後のスタートラインへ

 「北のクラシック」のハイライトとなるパリ~ルーベ。第115回を迎えた今回は、いつもとは違った様相だった。それもそのはず、早くから本人が公言していた「トム・ボーネン現役引退」の日なのだから。レース出発の地、フランス・コンピエーニュには異様な空気が漂う。ボーネンがどのようにして姿を現し、どんな言葉を残すのか。スタート地点に集まったファンのみならず、関係者までもが独特の緊張感に包まれていた。

最後のパリ〜ルーベへ。いよいよ現れたトム・ボーネンは穏やかだった Photo: Syunsuke FUKUMITSU

 いよいよサイン台に現れたボーネンは、いたって穏やか。優しい笑みをたたえながら、ステージで待ち構えていた司会者からのインタビューに応じる。そこで述べられたのは、「最後まで勝ちにこだわる」。長時間待ち続けた観衆は、大きく沸いた。

 会場の雰囲気、悠然としたボーネンの立ち振る舞い。「これは本当にあるかもしれない…」と筆者は思った。そう、優勝による劇的な“終幕”が。

ヨハン・ムセウが直々に後継者に指名

 ベルギー北東部の街・モルで生まれ育ったボーネンは、15歳の時に自転車競技をスタート。はじめはシクロクロスで活躍し、のちにロードレースへとシフトした。数々の勝利を収めるが、その中には地域選手権の個人タイムトライアルを制したものも。才能豊かな若者は2000年、パリ~ツールのアンダー23(23歳未満)部門で優勝し、一躍注目を集めることとなった。

2002年のパリ〜ルーベ。この年がデビューだったトム・ボーネンはいきない3位に入るセンセーショナルな走りを見せた Photo: Yuzuru SUNADA / Slide

 2002年に、当時ランス・アームストロングが絶対的リーダーだったUSポスタルサービスと契約しプロデビュー。この年のパリ~ルーベでは、チームメートであり、このレースのエースでもあったジョージ・ヒンカピー(アメリカ)との共闘で3位入賞。このとき優勝したヨハン・ムセウ(ベルギー)からは大きく遅れたものの、デビューイヤーでの快走で将来を約束されることとなった。かたや、チームはアームストロングらを中心とするグランツールを主戦場としていたこともあり、よりチャンスを得られる環境として、自国のクイックステップ・ダヴィタモン(現クイックステップフロアーズ)に移籍を決意。結果的に、引退までこのチームで走り続けることとなる。

 大きく飛躍したのは2004年。けがに苦しんだ前年の悔しさをバネに、年間19勝。初めて出場したツール・ド・フランスでは、パリ・シャンゼリゼでの最終ステージを含む2勝。ヘント~ウェヴェルヘムなどの石畳系クラシックでも勝利を挙げ、スプリンターとして、また石畳スペシャリストとしての地位を築くこととなる。

 続く2005年は、プロキャリア前半のハイライト。ベルギー人選手の多くが欲するタイトルであるツール・デ・フランドル、そしてクラシックの女王であるパリ~ルーベ、それぞれで初優勝。フランドルでは独走、ルーベでは3人でのスプリント勝負と、あらゆる局面で勝てることを証明した。そして、9月にはスペイン・マドリードで行われたUCIロード世界選手権で優勝。マイヨアルカンシエルを獲得したこの年も14勝を挙げた。

 2002年のパリ~ルーベで3位となって「ムセウの再来」と言われることとなったが、ムセウ氏は2004年の現役引退時に実際にボーネンを後継者に指名。その期待に違わず、ボーネンは快進撃を続けた。2005年のマイヨアルカンシエル獲得も、ベルギー自転車界にとっては1996年のムセウ氏以来だった。

「ヨハン・ムセウの再来」と言われたキャリア序盤。そのムセウ氏以来のマイヨアルカンシエルをもたらしたのが2005年のロード世界選手権だった Photo: Yuzuru SUNADA

永遠のライバル登場とツールでの活躍

ツアー・オブ・カタールでの強さもトム・ボーネンを語るには外せない。2006年にはステージ4勝を挙げた Photo: Yuzuru SUNADA

 ボーネンといえば、“カタールマイスター”と呼ばれるほどツアー・オブ・カタールとの相性がよかった。その始まりは2006年、5ステージ中4ステージを制する破竹の勢いで総合優勝。トップカテゴリーのレースではないものの、スプリンター向けのステージレースとしてカタールが定着したのはボーネンの活躍があってこそ。大会の運営に携わる自国の英雄、エディ・メルクス氏をその走りで喜ばせ、イベントの発展に寄与した。

 また、この年にはツールでマイヨジョーヌを4日間着用。ステージ優勝こそ挙げられなかったが、世界王者にふさわしい戦いぶりを年間通して見せている。

 時を同じくして、1歳年下のファビアン・カンチェッラーラ(スイス)が北のクラシックで台頭。2006年にはフランドルでボーネンが2連覇したのに対し、カンチェッラーラはパリ~ルーベで初優勝。ボーネンは2分近いタイム差をつけられ2位に終わっている。ここから長きにわたるライバル関係が続いていくことになる。

2007年のツール・ド・フランスではポイント賞のマイヨヴェールを獲得。スプリンターとして絶頂の時を迎える Photo: Yuzuru SUNADA

 スプリンターとしては順調そのもの。2007年にはスプリンターの名誉である、ツールのポイント賞・マイヨヴェールをついに獲得。勝利数こそ2つだったが、安定してステージ上位を押さえてポイントを加算。ひときわジャージの緑色が映え、この先もボーネンのための賞であり続ける予感をさせた。しかし、結果的にはマイヨヴェールの獲得はこの1回にとどまる。

 順風満帆に見えた走りに、暗雲が立ち込めたのは2008年。競技外でのドーピング検査でコカインの陽性反応。ロードレース界に衝撃を与えた。UCI(国際自転車競技連合)やベルギー自転車競技連盟からの処分こそなかったが、ツールをはじめ複数のレースで出場を拒否される事態となった。コカインは翌年にも陽性反応が出ているが、このときにはチームから活動禁止の処分が下っている。

完全復活を印象付けた北のクラシック“4冠”

 コカイン問題がクローズアップされた時期を境に年間勝利数は減り、北のクラシックでもそれまでには想像もつかなかった敗れ方をするようになる。2010年にはフランドル、ルーベともにカンチェッラーラの驚異的なアタックに屈してしまった。

 また、落車で負傷する場面も目立ち、力の衰えを指摘する声やチーム移籍の噂も出始めた。

 それを自らの力をもって打破したのは、2012年の北のクラシック“4冠”だ。E3ハレルベークにはじまり、ヘント~ウェヴェルヘム、ツール・デ・フランドル、そしてパリ~ルーベ。カンチェッラーラがフランドルで落車し戦線離脱したとはいえ、その後のパリ~ルーベで53kmを独走した歴史的勝利は誰の目にも完全復活を印象付けるものだった。

 結果的に、ツール・デ・フランドル、パリ~ルーベともにこの年が最後の優勝となった。

完全復活を印象付けた2012年。E3ハレルベーク、ヘント〜ウェヴェルヘム、ツール・デ・フランドル、パリ〜ルーベ(写真)と、北のクラシックで驚異の4冠を達成する Photo: Yuzuru SUNADA

チームプレーも受け入れたキャリア晩年

 力の衰えを隠せなくなったここ数年は、自身でもそれを受け入れ、アシストとしてチームを引っ張る場面も見られた。グランツールを回避し、北のクラシックや世界選手権に集中するためのレーススケジュールを組むようにもなった。

キャリア終盤は勝利数こそ減ったが、2016年のUCIロード世界選手権3位など堅実な走りが光った Photo: Yuzuru SUNADA

 2012年の北のクラシック“4冠”以降、ビッグタイトル獲得は同年のUCIロード世界選手権・チームタイムトライアルだけにとどまった。一方で、狙ったレースではしっかり上位を確保するベテランらしい堅実な走りを披露。最後のロード世界選手権となった2016年大会では3位と、まだまだ健在であることをアピールした。

 勝利を量産していた時期を思えば、このところの戦いぶりには物足りなさを感じずにはいられなかった。だが、それもいまになって思えば、見る者の贅沢すぎる望みでしかなかったのかもしれない。

野性味と純朴さがファンを魅了する

 コカインの使用問題や、2006年に起こした交通事故でランボルギーニを大破させるなど、私生活でも話題は事欠かなかった。過去にはトレーニング中の姿をグーグルストリートビューで捉えられ、世界的な“ネタ”になったことも。

メディア対応や丁寧な受け答えにはジャーナリストからの評判がよかった。パリ〜ルーベでもスタート直前までインタビューに応じ続けた Photo: Syunsuke FUKUMITSU

 ときに面白おかしく言われ、メディアに取り上げられることがあっても、それはすべて彼への愛情だった。192cmの大きな体躯から繰り出すパワーとスプリントは、野性味満点。それでいて、ひとたびレースを離れれば穏やかな語り口で、笑顔を絶やさない。筆者は直接的な取材ができたわけではないが、メディア対応や受け答えが丁寧でジャーナリストからの評判がよかったことは耳にしている。

 実際、最後のパリ~ルーベでも、スタート直前まで幾重にも囲む報道陣の問いかけに1つ1つ応じ、レースへの意気込みや周囲への感謝を語り続けていた。それだけでも、彼の人柄やメディア対応のよさは容易に見当がついた。

最後も、いつものレースのように

 話を4月9日のパリ~ルーベに戻そう。97km地点から始まった29セクターに及ぶパヴェでは、積極的に展開。その走りには、現役最終レースとは感じさせない力強さがあった。クラシックスペシャリストがひしめくクイックステップフロアーズは、これまでたびたび“エース乱立”状態に陥り、統率がとられていないケースもあったが、今回ばかりは“ボーネン一択”。ボーネンを温存しつつ、力のあるほかのメンバーがライバルの動きをチェックしていった。

パヴェを力走するトム・ボーネン。優勝を狙ったが、最後はチームプレーに徹した Photo: Yuzuru SUNADA

 しかし、この日に限ってはその戦術がボーネンの動きを鈍らせてしまった。他選手のチェックに動いたズデニャック・シュティバル(チェコ)が先行し、肝心のボーネンは追走グループにとどまった。ボーネン自ら前へのジャンプアップを試みた場面もあったが、ジョン・デゲンコルブ(ドイツ、トレック・セガフレード)の執拗なマークにあい、動きを止められてしまう。自らに勝ち目がないと判断してからは、先行するシュティバルのために、追走グループの動きを止める役割にシフト。最後の最後も、チームプレーを重視した。

ルーベのヴェロドロームの観客席。オーロラビジョンに映し出されるボーネンの姿に一喜一憂した Photo: Syunsuke FUKUMITSU

 その頃、フィニッシュ地ルーベのヴェロドロームでは、ボーネンの勝利を信じる人たちでいっぱいだった。誰よりも早く、1番でヴェロドロームにやってくる、きっとそう思っていたに違いない。場内のオーロラビジョンにボーネンの走りが映し出されるや大歓声。有料の観客席は、ベルギー国旗を手にした人たちが多くを占めた。

 彼らの目的はボーネンただ1人。だが、フィニッシュが近づくにつれ、ボーネンが先頭に追い付く可能性は失われていく。やがて、その応援はシュティバルへと向いた。彼らが所属するクイックステップフロアーズの勝利は、ボーネンの勝利。何が何でも、ボーネンと勝利を結び付けたい。彼に魅せられたファンの強い執念だった。

集団の先頭でヴェロドロームにやってきたトム・ボーネン。最後はスプリントをせず13位でレースを終えた Photo: Yuzuru SUNADA

 レース結果は13位。それまではただただ集中し、勝つことだけを考えて走っていたが、ラスト5kmで「本当にこれで終わりなのだ」と悟ったという。ペダル一踏み一踏みを味わうように、最後は順位争いのスプリントにも加わることもなかった。

 フィニッシュラインを越えた彼は、大歓声と鳴りやまない拍手を背に、たくさんの思い出を作ったヴェロドロームを去った。派手なお別れセレモニーをやるわけでもなく、優勝を逃し、敗れ去るものとしてこれまでのレースと同様に振る舞ったのだった。

 感情的になったのは、フィニッシュまでの5kmというわずかな時間だけだった。チームバスに戻り、シャワーを浴び、少しの間だけベルギーメディアの取材に対応。あとは、2位で終えたシュティバルを出迎え、いつものようにレース会場を後にしたのだった。

 これで本当の終わりだというのに、まるで最後だと感じさせない。選手もファンも、みんなで涙を流すような湿っぽい終わり方にはしない。それが、石畳を愛し、愛された男の美しい引き際だった。

 強いて挙げるならば、その数分のメディア対応でデゲンコルブの走りを「臆病な姿勢だった」と批判したところだろうか。やはり悔しさだけは押し殺すことができなかった。

ボーネン、プロトンのこれから

 ボーネンの今後については、「まずは車を買おうと思う」とジョークを披露した以外は、自身から具体的な言及には至っていない。

 彼が主戦場とした北のクラシックやスプリントでは、いまも次々と選手が台頭し、将来性豊かな若者も現れている。ボーネンは当初「ムセウの再来」とされ、ムセウ直々の後継者指名もあったわけだが、自らの力をもってして“ムセウ2世”から“トム・ボーネン”となってみせた。

自らの力をもってして、“ムセウの再来”から“トム・ボーネン”となってみせた Photo: Yuzuru SUNADA

 ではボーネンが誰かを後継者として指名したり、ファンやメディアが特定の選手を“ボーネン2世”と見立てているかというと、いまのところそんな雰囲気は感じられない。確かに、今回のパリ~ルーベで5位となった22歳のジャンニ・モスコン(イタリア、チーム スカイ)には、22歳当時のボーネンと比較する見方もあったが、だからといって“ボーネン2世”かといえば、それは違う気がする。

 それだけボーネンがリスペクトされ、そのキャリアが“聖域”となっているからこそ“ボーネン2世”は作られないのではないだろうかと筆者は感じている。レース順位だけでは図ることのできない、誰からも愛される人柄や存在感がトム・ボーネンという人物像を作り出していることは事実だ。

 レースのたびに勝者が生まれ、歴史は塗り替えられていく。だが、トム・ボーネンの走りや功績は消えることはない。これからわれわれは、折に触れてレジェンドとなった彼について語ることとなる。

美しい引き際となったトム・ボーネンの引退。これからはレジェンドとして語り継がれる存在となる Photo: Yuzuru SUNADA
福光俊介福光俊介(ふくみつ・しゅんすけ)

サイクルジャーナリスト。自転車ロードレース界の“トップスター”を追い続けて十数年、今ではロード、トラック、シクロクロス、MTBをすべてチェックするレースマニアに。現在は国内外のレース取材、データ分析を行う。自転車情報のFacebookページ「suke’scycling world」も充実。UCIコンチネンタルチーム「キナンサイクリングチーム」メディアオフィサー。ウェブサイト「The Syunsuke FUKUMITSU

関連記事

この記事のタグ

ロードレース

  • 一覧

新着ニュース

もっと見る

ピックアップ

ショップナビ

新春初夢プレゼント2018

スペシャル

ソーシャルランキング

インプレッション

インプレッション一覧へ

連載