ツール・ド・東北 2016<4>48歳、震災からの再挑戦で走り切った気仙沼➔石巻95km 熊本の被災サイクリストも参加

by 澤野健太 / Kenta SAWANO
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 9月18日に行われた「ツール・ド・東北」の参加者には、東日本大震災への特別な思いを胸に走るサイクリストが少なくなかった。宮城県東松島市の自宅が津波で被害を受けた仙台市在住の齋藤一郎さんは、昨年の60km初挑戦に続き、自ら新規事業に向け再出発する決意を込めて95kmの「気仙沼ワンウェイフォンド」に挑戦した。また、2014年に初参加した熊本市の真藤隆次さんは2回目の今回、熊本大地震の〝被災者〟として参加。様々な思いを胸に北上フォンド(100km)を走った。

気仙沼湾を見下ろすスタート会場付近で気合を入れる齋藤一郎さん(右)と中野眞吾さん Photo: Kenta SAWANO気仙沼湾を見下ろすスタート会場付近で気合を入れる齋藤一郎さん(右)と中野眞吾さん Photo: Kenta SAWANO

震災後脱サラ、不動産経営からさらなる飛躍へ

 「あと少しだな。俺たちついにやったな」「ゴールできるとは思わなかったな」―。午後4時30分、今年になってロードバイクに乗り始めたばかりの48歳、齋藤さんは高校時代からの友人、中野眞吾さんと、気仙沼から石巻まで初挑戦した95kmを走った健闘をたたえ合いながらゴールに向かった。昨年は長男、優太郎さんのサイズの合わないマウンテンバイクで制限時間ギリギリで60kmを完走。今年はさらにレベルアップして、未体験の95kmに挑戦した。それは、震災から少しずつ立ち直ってきた斎藤さん自身の復興の証でもあった。

北上エイドステーションでは名物の茶碗蒸しで栄養補給 Photo: Kenta SAWANO北上エイドステーションでは名物の茶碗蒸しで栄養補給 Photo: Kenta SAWANO

 斎藤さんは2011年3月11日、東松島市の自宅が津波の被害を受けた。両親は2階へ逃げて助かったが、家屋は大規模な修理を要し、家財の多くは廃棄。出費はかさみ、当時は「1年後の未来すら想像できない状態。職場では過労で倒れてしまい、震災後2年くらいは体調が戻らず、職場も休みがちでした」と打ち明ける。そんな状態の2013年、石巻でツール・ド・東北というイベントが10年続けて復興支援するという話を聞いた。2014年、まずは南三陸町でボランティアとして参加した。そして長く勤めていた会社をやめ、心機一転、不動産賃貸業に挑戦し、不動産経営に乗り出した。

北上川沿いを走る斎藤一郎さん(左)と中野真吾さん Photo: Kenta SAWANO北上川沿いを走る斎藤一郎さん(左)と中野真吾さん Photo: Kenta SAWANO

「台湾への感謝」でロードバイク購入

 今年はクラウドファンディングを使ったシイタケの栽培にも乗り出した。そんな中での95kmへの挑戦は、自分自身への挑戦でもあった。毎週末30kmを目標にトレーニング。気仙沼から石巻のアップダウンを乗り越えられるよう、自転車もGIANT(ジャイアント)のロードバイクを中野さんとお揃いで購入した。「台湾は震災のときに200億円も寄付してくれた。台湾製のジャイアントに乗ることで、少しは恩返しできれば」と、ジャイアントへの思い入れを語った。

 しかし、走破は簡単でなかった。スタートから大雨。さらに、前年走った北上フォンドの平坦が多い60kmとは違い、初めて挑む三陸沿岸のアップダウンが徐々に斎藤さんの体力を奪った。30km地点の南三陸ホテル観洋エイドステーション(AS)まで3時間かかってしまった。「1時間で10kmしか進まず、このままだとヤバい」。スピードをあげようと思ったが、そこからはさらなるアップダウンの連続だった。

復興の進捗を体感

雨にもかかわらず、大勢の地元の方の声援をうけながら走る齋藤一郎さん Photo: Kenta SAWANO雨にもかかわらず、大勢の地元の方の声援をうけながら走る齋藤一郎さん Photo: Kenta SAWANO

 「神割崎ASまでの上り坂は大変だったけど、そこから北上ASまでの坂道がもっときつかった」と振り返る。しかし、雨にもかかわらず沿道から傘をさして声援を送ってくれる地元の人たち。さらに各エイドステーションでのおいしい食事で補給し「70km過ぎる頃まで大変さが前面にあったが、70kmを超えてから、完走出来そうな自分が想像できた時から体が少し楽になった」と、前向きにゴールに向かった。

 被災地の現状も体感した。齋藤さんは仙台市在住で、同じ宮城県内でも気仙沼までは震災後ゆっくり訪れることはなかったという。前夜は久々に気仙沼を観光し、「道路の舗装も終わっておらず、被災したままのビルも何カ所もあった。被害の範囲が大きいので、全部一気に出来ないことの難しさを感じた」という。5年たっても回復していない被災地の厳しい現実。それでも、2年前に立哨ボランティアで参加した南三陸町を走ってみると「ずいぶん道路も町もきれいになったように感じる」と話した。

 午後1時過ぎには雨が一旦止み、残り約25km地点の北上ASには午後2時30分過ぎに到着。制限時間の午後5時に間に合うメドがついた。「行けるんじゃないか、俺たち」。人気の十三浜の茶碗蒸しや茹でたてのホヤを補給し、体力も自信もつけて、雄大な北上川沿いの平坦な道を一気に石巻まで走った。

家族のサプライズに感激

初挑戦の95kmを完走し、ガッツポーズでゴールする斎藤一郎さん(左)と中野眞吾さん Photo: Kenta SAWANO初挑戦の95kmを完走し、ガッツポーズでゴールする斎藤一郎さん(左)と中野眞吾さん Photo: Kenta SAWANO

 石巻専修大のゴールゲートに飛び込むと、家族のサプライズが待ち受けていた。「おつかれさま。イチロー、シンゴおめでとう!」。斎藤さんの妻、博美さん、長男、優太郎さん、次男、和博さん、長女、唯さんが手作りの横断幕を掲げて待ち受けていた。斎藤さんだけでなく、親友の中野さんの名前まで入っていた。「なんだよ。うれしいなあ。ありがとう」と、完走だけでなく、家族の温かい応援に大喜びしていた。

ゴール直後、「お疲れさま」の横断幕を持つ家族と一人ずつハイタッチを交わす斎藤一郎さん Photo: Kenta SAWANOゴール直後、「お疲れさま」の横断幕を持つ家族と一人ずつハイタッチを交わす斎藤一郎さん Photo: Kenta SAWANO

「子供たちに背中見せる」

斎藤さんの長女・唯さんは父親の親友・中野眞吾さんにも完走祝いのレイを首にかけた Photo: Kenta SAWANO斎藤さんの長女・唯さんは父親の親友・中野眞吾さんにも完走祝いのレイを首にかけた Photo: Kenta SAWANO

 震災後、脱サラする前は「忙しくて運動をする暇もなかった」という斎藤さん。脱サラしたからこそ、自転車に乗る時間が増えた。事業を軌道に乗せながらロングライドを成し遂げた斎藤さんの姿に、長男の優太郎さんは「本当に走りきった。すごい」。娘の唯さんも「かっこいい」と改めて父親を見直した様子だった。

初挑戦の気仙沼ワンウェイフォンフォンドを完走し、家族と喜ぶ齋藤一郎さん(中央)と中野眞吾さん(左) Photo: Kenta SAWANO初挑戦の気仙沼ワンウェイフォンフォンドを完走し、家族と喜ぶ齋藤一郎さん(中央)と中野眞吾さん(左) Photo: Kenta SAWANO

 95kmを完走したことで齋藤さんは「48歳で初めてロードバイクに乗り、毎日でなくても少しずつ練習を続けて約100kmを走れた。この達成感は半端ないです。自分自身にも自信がつきました」と、気持ちを新たにした。また来年に向けては「次の一年に向けて、自分たちの生活の復興、地域の復興へ努力し復興支援の気持ちに答える努力を重ねた上で、子供達に背中を見せたいと思います」と話した。

◇      ◇

聞く側から伝える側へ、熊本地震経験者の思い

雨の中、スタートした真藤隆次さん。走るのは「北上フォンド」 Photo: Kyoko GOTO雨の中、スタートした真藤隆次さん。走るのは「北上フォンド」 Photo: Kyoko GOTO

 今年4月、熊本地震を経験したサイクリストも、再び三陸を走りにやって来た。熊本市在住の真藤隆次さんだ。震災翌年の2012年は大会とは関係なくたった一人でマウンテンバイクで石巻から仙台まで自走。 2014年大会に初参加し、今回は100kmの北上フォンドに挑戦した。震災では、熊本市内の自宅にひびが入ったくらいで済んだものの、近くの熊本大学の体育館に避難。避難所で2日間ほど過ごした。

熊本から参加した真藤隆次さん。2年ぶり2回目の出場となる今回は、自身も熊本地震の被災者としての思いを胸に走る Photo: Kyoko GOTO熊本から参加した真藤隆次さん。2年ぶり2回目の出場となる今回は、自身も熊本地震の被災者としての思いを胸に走る Photo: Kyoko GOTO

 地震の話を聞く側から、伝える側へ。自身も被災の経験を経て、感じ方が変わった。「『来るだけでお手伝いになるんだ』と東北の人に前回言われたが、今まさに僕らがそういう気持ちで、熊本に来てほしい。壊れた熊本城も見にきてほしい」と話す。

 今回、熊本の震災を経ての「ツール・ド・東北」で感じたことがある。真藤さんは「『お互いさま感』がものすごくある気がした。僕らも『やっと』というのは変だが、同じ土俵に立った気がする。当然、被災の面積や亡くなられた方の数は全然違うが、僕らもマイナスからの出発なので、大変だけど前を向いていくしかないという気持ちで臨んだ」と話す。

 だからこそサイクリストには熊本への来訪を勧める。「自転車でも走れる。一番揺れが激しかったところはアスファルトがぐにゃぐにゃになっていて、車だと突然バウンドするところもあるが、自転車だと走れないことはない。いまの段階でも早すぎるということはありません」と力強く訴えた。

「復興とは変わること」

100kmを走り終えた笑顔の真藤隆次さん。「サイクリストの皆さんに熊本を見に来てほしい」と語る Photo: Kyoko GOTO100kmを走り終えた笑顔の真藤隆次さん。「サイクリストの皆さんに熊本を見に来てほしい」と語る Photo: Kyoko GOTO

 東日本大震災が起こった当時、真藤さんは長崎県島原市の「雲仙普賢岳災害記念館」で広報の仕事を担当していた。1991年の普賢岳噴火以前、多くの人がゴルフのため、フェリーで熊本から島原に渡っていたが、噴火後その流れは途絶えたという。

 それでも「島原は登山とかトレッキングとかジオパークなどで復活している。 “復興”とは元通りになることではなくて、変わること。そのためには外の人間が忘れないでちゃんと見ていてあげないといけない。ちょっと上から目線かもしれないけど。だから熊本も忘れないで見ていてほしいと思います」と話した。

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