title banner

猪野学の“坂バカ”奮闘記<2>「お待たせしてはいけない!」 番組を忘れて臨んだ『チャリダー★オリンピック特集』の舞台裏

  • 一覧

 番組というのは、何日もかけて撮られたものを編集して放送している。エキスが凝縮して面白くなるわけだが、カットされて日の目を見ない出来事も多い。放送時間の都合で見せられない…。でも面白いからもったいない…。そんな葛藤を常に抱えているのだ。今回はそんな「番組には出てこない話」をご紹介しよう。

『チャリダー★』ロケ史上最大のプレッシャー!『チャリダー★』ロケ史上最大のプレッシャー!

念願だった新城選手との共演

 今年の5月、『チャリダー★オリンピック特集』ということで、当時タイで合宿をしている新城幸也選手(ランプレ・メリダ)を取材させて頂けることになった。番組をやりながら、いつかは新城選手のもとに辿り着きたい! と思っていたこともあり、喜びもひとしお…と言いたいところだが、ちょっと待て。これはやばい仕事なんじゃないのか?

新城選手と土井選手が深夜にお出迎えしてくれた新城選手と土井選手が深夜にお出迎えしてくれた

 メダルを目指して命がけでトレーニングしている新城選手と走る…これは責任重大だ。決して脚を引っ張ってはいけない。しかも私の「坂バカ」というキャラクターは、とかくプロの方々から警戒されがちだ。そりゃそうだ、水玉ジャージに黒縁眼鏡…道頓堀人形じゃあるまいし。ふざけてんのか? と思われているに違いない。これはしっかり走り込んで身体を作り、「走り」で信頼を勝ち取るしかない。2週間みっちり走り込み、タイへと乗り込んだ。

‟世界の新城”との夢の競演に、笑顔が弾ける筆者(実はガチガチに緊張…)‟世界の新城”との夢の競演に、笑顔が弾ける筆者(実はガチガチに緊張…)

 バンコクから飛行機を乗り継ぎ、タイ北部のチェンライへ。深夜の到着にも関わらず、新城選手と土井雪広選手(マトリックスパワータグ)は起きて待っていてくれた。新城選手はとても気さくに挨拶してくれるのだが、私はガチガチに緊張してしまう始末で、何をしゃべったかサッパリ覚えていない。いままで数々の癖の強い大物俳優と共演して来たが、こんなに緊張しなかった。大物俳優と言ったってVO2MAX(最大酸素摂取量)が90もある人はいない。生命体として尊敬してしまうのだ。

初めて体験する壮絶なプロの練習

 翌朝、いよいよ!しかし バケツをひっくり返した様なスコールに見舞われ2時間遅れでスタートとなった (このスコールは後に幸運のスコールと解る )。今回のタイ合宿には、新城選手の他に2012年全日本チャンプ土井選手、フランスで活躍中の面手(おもて)利輝選手(チーム ペイネーム)、ボンシャンスの若手達(イケメン)、現地タイ人選手、というメンバーが参加していた。徐々にスピードが上がり、40km/h巡行へ、邪魔にならない様に最後尾で着いて行く。トレインは20分おきに先頭交代を順繰りに繰り返して突き進んで行く。

新城選手&土井選手と夢の3ショット!新城選手&土井選手と夢の3ショット!

 いよいよ自分が先頭を牽く番だ。時速40kmで20分、230W。 何とか耐えられるレベル。集中して20分耐え、やっと最後尾に。

こんなにもプレッシャーのかかる「押しスト」は無い…こんなにもプレッシャーのかかる「押しスト」は無い…

 戻れると思った瞬間、なんとボンシャンスの若手がアタック! 何でこのタイミング? 後方から「捕まえますよ!」と新城選手が上がって行く。パワーメーターの数字が急上昇…。だめだ、千切れた! と思ったら、土井選手が後から手で押してくる。千切れずに済んだと思ったら大間違い、土井選手に見られているのでまったく手を抜けない。逃げ場なし。

 しかもそこでさらなる地獄が。バイクぺーサーによるハイスピードトレーニングが始まった。50km/h巡行の世界…キツい、ただただキツい。今まで経験した事のない強度。必死の思いで前を走る新城選手の後輪を見続ける。世界の新城を前輪でハスったら大変だ。

"世界の新城"は強くて、速くて、とにかくカッコ良かった!"世界の新城"は強くて、速くて、とにかくカッコ良かった!

 ローテーションで僕もバイクぺーサーの真後ろへ付く事に。初めてのバイクぺーサー、信じられない近さ、緊張する! バイクの後部座席から僕の必死の形相を撮影してるスタッフが笑いながら「どうですか?」と…一瞬殺意を覚える。

 ローテーションで一番キツいのは牽くのを終え、最後尾に戻る時だ。漕ぎ出しが遅れ、上手く前の選手の後ろに入れないと千切れてしまう。1回目のローテーション…何とか上手く入れた。しかし2回目、最後尾に戻ろうと先頭を離れた時、ふと気がついた。…土井選手が居ない。

 土井選手は自分の次に先頭を牽いていた。これなら少し手を抜いても大丈夫、逃げ場がある。そう思った瞬間、漕ぎ出しが後れてしまった。甘えが出てしまったのだ。あっという間に千切れ、集団がどんどん遠くなる。

 後方を付いてくるスタッフのトラックから「回収しますか?」と声がかかる。だが断る。逃げちゃダメだ!この日のために走りこんで来たんだ!

 20分くらい、一人でもがいただろうか…。休憩所につくと、皆様が休憩をとっていた。追い付いた…と同時に「行きますよ!」の声。当然だが、千切れた自分に休憩はない。

素敵な笑顔の土井選手素敵な笑顔の土井選手

 その後も延々、20分の先頭交代が続く。70km走って、メコン川沿いの村でようやく昼食。自転車を降りたときに、土井選手が「走れますね!」と声をかけてくれた。バイクぺーサー練習には付いて来られないと思っていたらしい。千切れはしたが、1回でも付いていけたことで、見直してくれたようだ。これは嬉しかった。

新城選手は体幹もデカいが心もデカい

 昼食を終え、いよいよ60kmの山岳コースへ。スコールで出発が遅れなかったら100kmの山岳だったらしい。スコール、コップンカー(ありがとう)。

 しかし、脚は既に売り切れ状態。またも単独の登坂に。気温40度の灼熱の中、20kmのロングヒルクライムを3本繰り返した。この辛さ、お分かりいただけるだろうか? しかし走りながら思うことはただ一つ。

 「お待たせしてはいけない」。

 途中、何度か意識が飛びそうになりながら休憩ポイントへ。30分も待たせてしまった。申し訳なく、不甲斐ない。そんな私に、新城選手がスイカを切って迎えてくれた。私は感動のあまり泣いていた…らしいのだが、全く記憶にない。

 「その時のスイカの味は忘れられないんじゃないですか?」と人から訊かれても、味すら覚えてない。どうやらあまりに強度の高いトレーニングを続けると、人は記憶喪失になるようだ。

ゴールの瞬間。新城選手がボトルのシャワーで出迎えてくれた!ゴールの瞬間。新城選手がボトルのシャワーで出迎えてくれた!

 しかしまだ終わった訳ではなかった。最後に待っていたのが、一番キツい時速70kmのバイクぺーサー。気持ちを切り替え、いざ最後のもがきへ!しかしこの時、何故か新城選手はボンシャンスの若手達を先に出発させ、土井選手と僕と3人だけを残した。これはタイ流のおもてなしなのだろうか?

 しばらくして、ようやく3人で山岳を一気に下り始めた。猛烈な速さだ。我が人生最高速度、80km/hを記録した。何とか着いて行くが、ちょっとでも登りがあると千切れてしまう。メーターを見たら、500W!…限界だ!もう脚がもげそうだ!

 そしてついに、下りなのに千切れてしまった…不甲斐ない。しかし冷静に考えたら二人は世界レベル、当たり前だ。しかし、しかしだ。

 「お待たせするわけにはいかない!」

 最後の力を振り絞り、一人で40km巡行…。何とか宿にゴールしたのは30分後。またしてもお待たせしてしまった。しかし何と新城選手はシャワーも浴びずに待っていてくれた。そういう男なのだ、新城幸也は…体幹もデカいが心もデカい(土井選手はしっかりシャワー中)。

終わったときはとにかく安堵。一生忘れられないロケになった終わったときはとにかく安堵。一生忘れられないロケになった

 最後に素敵な言葉を頂いた。

 「今回この合宿で辛かった事は、今すぐ忘れて下さい。でも僕達に付いて来られた事、これは自信に変えて、力にして下さい」。

 体幹もデカいが、心もデカい。そこにシャワーを終えた土井選手が戻ってきた。そして土井選手も素敵な言葉をくれた。

 「僕が猪野さんならこの仕事、断りますね!」

 最後に、次の日は帰国日のため走らなくても良かったはずなのに、プロたちのご厚意で空港まで一緒に走る事になったことを付しておく。

 本当に、本当に、ありがとうございました!!

(写真提供:NHK/テレコムスタッフ)

猪野 学猪野 学(いの・まなぶ)

俳優・声優。自転車情報番組NHK BS1『チャリダー☆』(毎週土曜18:00~18:25)にレギュラー出演し、「坂バカ俳優」という異名で人気を博す。自転車の他、空手やスキーなども特技とするスポーツマン。俳優として舞台や映画、ドラマなどで活躍する一方、映画『スパイダーマン』のトビー・マグワイアの声優としても知られる。ウェブサイト「マナブログⅡ

関連記事

この記事のタグ

猪野学の“坂バカ”奮闘記

  • 一覧

新着ニュース

もっと見る

ピックアップ

ショップナビ

スペシャル

自転車協会バナー
CyclistポケットTシャツ

ソーシャルランキング

インプレッション

インプレッション一覧へ

連載