事象を感じ取る力を強める乗り物レンタル自転車と銭湯 堀川惠子さん(ノンフィクション作家)

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■産経新聞連載【新・仕事の周辺】

 取材先でもっとも便利な乗り物は何かと聞かれれば、私は自転車だ。最近はどの町でも駅周辺に観光協会の出張所があって、気軽に自転車を貸し出してくれる。相場は、1日500円から1000円。事前に現地の地図を用意して、取材先さえ確認しておけば、これほど小回りが利いて使いやすい乗り物はない。

自転車だからこそ感じられること、発見、出会い…(写真は本文と関係ありません)自転車だからこそ感じられること、発見、出会い…(写真は本文と関係ありません)

 8月6日夕方、広島での取材を終えて鳥取へ向かった。目的地は、日本海を望む岩美町だ。夜遅くに着いた。翌朝、夜が明けると、真っ青な海と豪快な岩礁が切り立つ美しい風景に驚く。浜辺では、まだ朝の6時過ぎというのに町民総出で大掃除をしている。「日本で一番住みたい町」に輝いたという話に納得する。

ノンフィクション作家の堀川惠子さんノンフィクション作家の堀川惠子さん

 この日、鳥取は38度を超える猛暑となった。駅前には客待ちのタクシーもいたが、躊躇(ちゅうちょ)なく自転車を借りて漕ぎ出す。海沿いの一本道を疾走すれば、暑さなど吹き飛んでいく。町の人たちの協力を得て、取材は順調に進んだ。

 自転車に乗るようになって気がついたのは、どんな町にも銭湯があるということ。運が良ければ、それが温泉だったりもする。取材を終えると、目星をつけていた風呂屋に飛び込んで汗を流す。田舎で、よそ者は目立つ。周りは興味津々で、おのずと会話がはずむ。湯船の中で思わぬ情報を得られることも少なくない。なんせ裸の付き合いだから、垣根は低い。

 テレビ局に勤務していた頃は、いつも時間に追われていた。撮影隊を引き連れ、大きなバンに乗ってピンポイントで取材先を回る日々。効率は良かったが、見落としたものも多かったと思う。ひとり稼業となった今は、締め切りは自分が決める。時間に制約はない。

北海道・網走取材時に使った電動アシスト付き自転車北海道・網走取材時に使った電動アシスト付き自転車

 東京の自宅でパソコンに向かう時、長丁場の執筆を支えるのは、取材現場で五感を駆使して蓄えたエネルギーだ。それぞれの町にはそれぞれの風が吹き、方言があり、土地が持つ”パワー”のようなものがある。車や電車とは違って、自転車は身体がむき出しだ。肌に感じる暑さや寒さ、ふと目に留まる人々の生活の営み、折々に表情を変える自然など、さまざまな事象を感じ取る力をより強めてくれる。

 最近は、電動機付き自転車を貸し出す町も増えて、機動力も格段にアップしている。数年前の春、取材で網走を訪れたときのこと。女満別空港に早朝に着き、夕方には次の目的地へ移動しなくてはならなかった。貸し出された自転車は最新型でバイク並みの速度が出た。半日で予備バッテリー3本を使い切って100km近く走り、想定していた以上の現場を回ることができた。走行距離のメーターを見た観光協会の人には、新記録だと目を丸くされた。あの日、頬に受けたオホーツクの潮風のにおいは今も身体に残る。

 この夏も、岩美町を自転車で駆け、新たな事実を発見した。そして、さまざまな記憶をこの身に刻み込んだ。また東京で戦いが始まるけれど、踏ん張れそうな気がしている。

堀川惠子(ほりかわ・けいこ)

昭和44年、広島県生まれ。広島大学総合科学部卒。広島テレビを経て、17年からフリーのドキュメンタリーディレクターに。22年「死刑の基準-『永山裁判』が遺したもの」で講談社ノンフィクション賞、23年『裁かれた命 死刑囚から届いた手紙』で新潮ドキュメント賞、26年『教誨師』で第1回城山三郎賞、今年6月には『原爆供養塔』で大宅壮一ノンフィクション賞。

産経ニュースより)

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サイクルツーリズム レンタサイクル/バイクシェアリング

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