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砂田弓弦の風を追うファインダー<21>今はなきポリアーギを訪ねた日 一流の自転車職人たちから学んだ仕事の作法

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 昔、ミラノにポリアーギ(POGLIAGHI)という自転車工房があった。オーナーのサンテ・ポリアーギは1983年にフレーム製作をやめたけど、僕が初めてイタリアに行った1985年はまだ廃業したばかりとあって、ポリアーギの自転車に乗っている人をけっこう見かけた。

 特にトラックレース会場に行くと、シートピラーを六角ボルトで固定するのではなく、無骨なナットで固定するポリアーギがたくさんあり、六角レンチでは締めつけが不足と言わんばかりの迫力に圧倒されたものだ。

世界選手権を32回制覇

自宅でくつろぐサンテ・ポリアーギ。かつて、イタリアを代表するフレームビルダーだった。同氏は2000年に他界した Photo: Yuzuru SUNADA自宅でくつろぐサンテ・ポリアーギ。かつて、イタリアを代表するフレームビルダーだった。同氏は2000年に他界した Photo: Yuzuru SUNADA

 ミラノには、記録が出やすいゆえに「魔法のトラック」と呼ばれた競技場ピスタ・ヴィゴレッリがあり、その下でファリエーロとアルベルトのマージ親子が自転車を作って一世を風靡した。

 ポリアーギもヴィゴレッリの近くに工房を構え、トラック選手から絶大な信頼を得た。とりわけタンデム車作りでは第一人者で、その名は世界に広く知れ渡っていた。

 今でこそトラックレースの人気は低迷しているが、以前はもっと人気があり、ミラノでも冬は6日間レースが開催されていた。スプリンターのレベルも高く、中野浩一が出現する前はアントニオ・マスペスが世界王者だった。1960年代から70年代のイタリアのトラック国内選手権は、世界選手権よりもレベルが高かったという逸話もある。

 トラックレースによって躍進していったポリアーギの歴史は古い。叔父のブランビッラが自転車の修理とフレーム製作で、1919年からミラノの中心部にほど近いチェザリアーノ通りに店を構えていた。そのかたわら、ピスタ・ヴィゴレッリで選手たちの機材の世話を務めていた。

 自転車が大好きなポリアーギは13才のときからここを手伝うことになったが、任された仕事といえば床掃除などの雑用ばかりで、しかもタダ働きだった。なぜならポリアーギはまだ法律で定められた就業可能な年齢に達してはいなかったのである。

 戦争中はファシズムから逃れるために山中に身を隠して生きのび、戦後に再び仕事を再開している。そして1965年、それまでの下請け仕事をやめて、自らのブランド「ポリアーギ」を出している。ラグにはポリアーギ・サンテ・ミラノを意味するPSMという刻印が施された。そしてポリアーギを駆った選手が世界選手権で優勝した回数は、実に32度に及んでいる。

よく働くイタリア人

 さて、僕が最初の自転車の工房の本を書くにあたり、すでに引退しているポリアーギの自宅を尋ねたのは1992年のことだ。高齢にかかわらず非常に元気で饒舌。はるばる東洋から自転車の話を聞きに来た僕を歓迎してくれた。

 話の中でよく覚えているのは、「自分は1日に14時間も16時間も働いていた。でも今は6時間も働けばもう嫌だと言う」と語ってくれたことだ。

 現在のイタリア人があまり働かないというイメージはたしかにある。労働者の権利意識は非常に強く、ストライキは今でも頻繁に起きる。ましてサービス残業という言葉は、まったく理解されないことだ。

ツール・ド・フランスで3週間休まずに働ける、わずか2人のうちの1人。レースディレクターのティエリー・グヴヌー(右) Photo: Yuzuru SUNADAツール・ド・フランスで3週間休まずに働ける、わずか2人のうちの1人、レースディレクターのティエリー・グヴヌー(右) Photo: Yuzuru SUNADA

 もっと上を行くのはフランスだ。労働者の権利と規則の遵守がいっそう強く求められるのだ。これはほとんど知られていないことなのだけど、ツール・ド・フランスのあの膨大な数のスタッフたちも、1週間に一度の休養が義務付けられている。特別の許可をとって3週間連続で働くことができるのは、レースディレクターのクリスティアン・プリュドムとティエリー・グヴヌーのわずか2人のみである。

 だけど僕はポリアーギはもとより、他の工房の取材も進めるにつれ、一流どころは例外なく休む暇もなく働いてきたことを身をもって知った。

 こうした自転車作りの偉人たちの仕事に対する姿勢は自分に強く影響している。

 僕には妻も子供もいるけど、仕事を休むことはほとんどない。元旦からパソコンのスイッチを入れるし、前日の大晦日の紅白歌合戦に至ってはもう何年も見たことがない。その時期になると、次のシーズンのホテル予約に追われるのだ。

 家族とパリや千葉のディスニーランドに行ったときですら、何度もホテルに戻って仕事した。自転車レースで食う=プライベートの時間はまったく持てない、ということだ。だけど、それは幸せなことでもあるから、実際のところ、苦にはならない。

一流の工房に共通すること

 それから自転車工房に足を伸ばし、取材を進めるに連れて発見があった。それは、日本と比べてイタリアは整理整頓ができており、仕事が綺麗なのだ。

 日本の自転車工房では、たとえば工具を使い終わると作業台に置いていき、その工具をまた使うときは、それを探して使う。たとえ探す時間が一瞬だとしても、そこにはタイムのロスがある。

 一方、イタリアでは使った工具をあったところに一回一回戻す。だから、いつも工具がきれいに片付いているのだ。

 もちろん、僕は日本の工房をたくさん見たわけではないから、すべてがそうだとは言わない。だけど、これまで経験した限りでは、この印象を強く持っている。イタリアの一流工房は例外なく片付いていて清潔だ。

 大阪に、長澤義昭さんがいる。ご存知、日本を代表するフレームビルダーで、単身でイタリアに渡り、まずは前出のポリアーギで修行された。

レース現場でのイタリアのメカニックの工具箱。イタリアの一流工房とよばれるところは、工具もきちんと整頓されている Photo: Yuzuru SUNADAレース現場でのイタリアのメカニックの工具箱。イタリアの一流工房とよばれるところは、工具もきちんと整頓されている Photo: Yuzuru SUNADA

 長澤さんに当時のお話を伺った時、たしか奥さんだったと思うけど「ポリアーギといえば、いつも掃除ばかりしていた印象がある」と言われたのを覚えている。

 僕は、決して几帳面な人間ではない。だけど、ちゃんと掃除ができない一流職人がいないことを知って以来、まずは整理整頓と掃除をする習慣ができた。部屋が片付いていないとすでに仕事をする気にならなくなってしまった。

 また写真もどこになにがあるかすぐにわかっていることがすごく大事だ。大量のフィルムが収められている写真保管庫、あるいはデジタルフォトのストレージ内の整理整頓ができて初めて可能になる。銀塩もデジタルも、探すのに時間がかかるようでは仕事にならないということだ。

 イタリアの一流の自転車職人のやり方が、今の自分の仕事にも大きく影響を及ぼしている。(続く)

砂田弓弦
砂田弓弦(すなだ・ゆづる)

1961年9月7日、富山市生まれ。大学卒業後にイタリアに渡り、1989年から自転車競技の取材・撮影に携わる。世界のメジャーレースで、オートバイに乗っての撮影を許されている数少ないフォトグラファーの一人。多くの国のメディアに写真を提供しており、ヨーロッパの2大スポーツ新聞であるフランスのレキップ紙やイタリアのガゼッタ・デッロ・スポルト紙にも写真が掲載されている。

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