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山口和幸の「ツールに乾杯! 2016」<8完>いつか日本人が優勝するまで… キャラバンの喧騒とともにボクも20年連続の“完走”

by 山口和幸 / Kazuyuki YAMAGUCHI
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 ツール・ド・フランスのフィナーレといえばパリのシャンゼリゼ通りだ。世界有数の大通りを完全封鎖してイベントを行うのはフランス革命記念日など年に何回しかなかったが、最近は月に1回ほどパリのど真ん中が車両乗り入れ禁止のノーカーデーになる。サイクリストにとってはツール・ド・フランスの出場選手のようにシャンゼリゼ大通りを自転車で走ることができるようになった。(バスとタクシーは通行可なので要注意)

ツール・ド・フランスのゴールの象徴はこのエトワール凱旋門だ Photo: Kazuyuki YAMAGUCHIツール・ド・フランスのゴールの象徴はこのエトワール凱旋門だ Photo: Kazuyuki YAMAGUCHI

ツールがシャンゼリゼに至るまで

ツール・ド・フランスさいたまの千羽鶴は毎日このトランクに大切に収納されてゴールのサルドプレス(プレスセンター)に飾られてきたが、パリだけなんで飾ってないの?と聞いたら、「シャンゼリゼの表彰式に持っていってフルームに持たせるんだ」とのこと Photo: Kazuyuki YAMAGUCHIツール・ド・フランスさいたまの千羽鶴は毎日このトランクに大切に収納されてゴールのサルドプレス(プレスセンター)に飾られてきたが、パリだけなんで飾ってないの?と聞いたら、「シャンゼリゼの表彰式に持っていってフルームに持たせるんだ」とのこと Photo: Kazuyuki YAMAGUCHI

 シャンゼリゼにツール・ド・フランスの選手たちが凱旋するようになったのはそれほど古くなく、じつは1975年からだ。第1回はまだ大会に対する評価が確立していなかったので、いわゆるかつてのパリ城内には凱旋できず、門の外に位置するビルダブレーにゴールした。その翌年から1966年まではパリ16区のパルク・デ・プランスに。当初は自転車競技場だったが、現在はサッカープロチームのPSGが拠点とする競技場だ。そして1967年から1974年までは、ブローニュの森とはパリ中心地をはさんで反対にあるバンセンヌの森にゴールした。

 1975年からはこうしてパリの目抜き通りをサーキットコースとして華やかなフィナーレを迎える。さらには第100回大会となった2013年からは、それまでエトワール凱旋門前で折り返していたのだが、パリ観光の目玉でもあるあの広いロンポワン(環状交差点)を1周するコースに変更された。

 最終日のシャンゼリゼは、選手が到着する前に取材車をのぞく関係車両が一周する。広告キャラバン隊の後ろについてくるのは、設営の大型カミオン(トラック)や機材車などで、クラクションを鳴らしながら凱旋するのだ。大観衆が見守るシャンゼリゼの石畳をたった1周ではあるが走れるわけで、23日間の旅が終わったという感慨深いものがあるのだろう。すべての関係者が「パリに着いた」という喜びでいっぱいなのだから、選手はそれ以上の思いだろう。

エトワール凱旋門から望むシャンゼリゼ通り。残念ながらツール・ド・フランス最終日は一般公開されていない © ASO 2013エトワール凱旋門から望むシャンゼリゼ通り。残念ながらツール・ド・フランス最終日は一般公開されていない © ASO 2013

運命の1989年ツール

 前コラムで、「最終日がタイムトライアルとなった年は別にして、ツール・ド・フランスの最終日は凱旋パレード」と書いたのだが、わざわざ「タイムトライアル」のことに言及したのは、最終日に逆転劇があったからである。それは1989年のツール・ド・フランスだった。ボクにとっては初取材のときで、その最終日であった。

 1986年に米国選手としてツール・ド・フランスを初制覇したのがグレッグ・レモン。その年のオフ、余暇の狩猟中に仲間の散弾銃が暴発して胸に50発もの弾丸を受け、生死の境をさまよった末に1989年にようやく復調した。しかしその年の大本命は、大学卒のインテリパリジャンとして5年ぶり3度目の優勝をねらうローラン・フィニョンだった。優勝争いはレモンとフィニョンによるシーソーゲームとなった。

 最終日はベルサイユからパリ・シャンゼリゼまでの個人タイムトライアル。フィニョンは50秒の貯金をもって最終走者として出発したが、その前を走るレモンが驚異的なスピードで飛ばした。レモンはこの日フィニョンに対して58秒を稼ぎ出し、わずか8秒差で大逆転劇を演じたのだ。そのときにレモンが使用したのがトライアスロン界ではすでに常識となっていたDHバーだ。このドラマチックなフィナーレが演じられた直後からプロ選手のすべてがDHバーを採用するようになる。

凱旋門を中心にしてシャンゼリゼの反対側、グランドアルメ通り。20年前は自転車ショップが軒を連ねていたのだが、今ではほとんどない Photo: Kazuyuki YAMAGUCHI凱旋門を中心にしてシャンゼリゼの反対側、グランドアルメ通り。20年前は自転車ショップが軒を連ねていたのだが、今ではほとんどない Photo: Kazuyuki YAMAGUCHI

ツール取材はライフスタイル

20年連続でパリにゴール。凱旋門近くの常宿で駐車位置も毎年同じ Photo: Kazuyuki YAMAGUCHI20年連続でパリにゴール。凱旋門近くの常宿で駐車位置も毎年同じ Photo: Kazuyuki YAMAGUCHI

 いきなりそんなシーンを目撃できたのも、ツール・ド・フランス取材がライフスタイルとなるボクにとっては運命だったかも知れない。1997年からは単独で全日程を取材するようになり、今年で20年連続の完走を果たした。ボクよりもキャリアのある名物記者は次々と顔を見せなくなり、おそらくもう20人くらいしか年長者はいない。日本選手が優勝できるまでは頑張りたいが、どこまで体力が続くかな。今回のパリでしみじみと思った。

山口和幸山口和幸(やまぐち・かずゆき)

ツール・ド・フランスをはじめ、卓球・陸上・ボート競技などを追い続け、日刊スポーツ、東京中日スポーツ、ナンバー、ターザン、YAHOO!などで執筆。国内で行われる自転車の国際大会では広報を担当。著書に「ツール・ド・フランス」(講談社現代新書)、「もっと知りたいツール・ド・フランス」(八重洲出版)など。

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