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砂田弓弦の風を追うファインダー<17>自転車レースとスポンサー 金で夢を買う世界

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ブランド=金

ベルギーの新聞社からの依頼を受け、エティックス・クイックステップのチームマネージャー、パトリック・ルフェヴェルの撮影したとき、彼はたまたま“私服”だった。

 「うちの選手がメディアに出るときには、必ずスポンサーのロゴが入ったものを着るようにと口を酸っぱくして言っているのに、今日は自分が叱られる番だ」

 と頭をかいた。

 僕は逆にブランド名やロゴが入った服や製品を身につけることがいやだ。金も品ももらっていないのに、なんでコマーシャルをしてやる必要があるのかと思う。プロレースの世界に身を置いていると、こんなふうになってしまうのだ。

 選手の自宅で撮影をしたことはもう数え切れないほどあるが、必ずと言っていいほど打ち合わせが必要になることがある。それは、何を着るかである。チームスポンサーのロゴが入ったものにするか、それとも完全な私服にするかは、けっこう頭の痛い問題である。

子供のチームにもスポンサー名が常識

 日本の学生スポーツは、学校の部活動が基本になっていることが多い。一方、自転車の本場ヨーロッパでは、町中にあるクラブが母体となる。

 いずれにしても運営には少なからず金がかかるが、日本の部活動の運営費は、学校からの補助金や父兄からの寄付などが多いと思う。

 これに対し、ヨーロッパの自転車クラブはスポンサーからの金によって成り立っている。企業や地方自治体が金を出し、その見返りとしてユニホームやクルマに名前やロゴを入れる。

 だから、ヨーロッパの自転車チームは、たとえそれが子供のものだとしても、プロチーム同様にブランド名やロゴが入るのが普通だ。

この子供たちの着ているジャージにも「アブラ・イリデ」というスポンサー名が入っている。ヨーロッパでは当たり前のことだ =ジロ・デ・イタリア2013 Photo: Yuzuru SUNADAこの子供たちの着ているジャージにも「アブラ・イリデ」というスポンサー名が入っている。ヨーロッパでは当たり前のことだ =ジロ・デ・イタリア2013 Photo: Yuzuru SUNADA

チームの資金はスポンサー、賞金ではない

 “お水”のおねえさんが「スポンサー」という言葉を発すると生唾を飲まずにいられないが、自転車界ではあっちでもこっちでも「スポンサー」という声が飛び交っている。お水のおねえさんも自転車チームも本質はいっしょ。だれかが金を出してくれないと、なにもできないのである。

 トップクラスのプロチームともなると、運営費は非常に大きくなる。選手とスタッフへのギャラ、そして宿泊費や移動費など…。あるチームに聞いたのだが、宿泊費だけで年間1億円に上るという。それらのほぼすべてが、スポンサーから集められた金で賄われる。

 プロスポーツでは賞金が出されるのが当たり前だから、ロードレースの賞金もここに入るのではないかと思われる方がいるかもしれない。

 しかし、自転車レースの賞金は大きくないし、一人の選手の勝利もチームメートに支えられての結果だから、慣例として出場した選手とチームスタッフで山分けされる。そうなると、賞金はプロ選手たちにとってあくまでも臨時ボーナスであって、生活の糧はチームからの月給、すなわちスポンサーからの金なのだ。

 ちなみに、一部のトップライダーには個別にスポンサーがつく。シューズだったり、サングラスだったりする。そうしたものは当然個人の懐に入る。

最初の自転車メーカー以外のスポンサー

 ロードレースのプロチームは、長い間にわたって自転車メーカーしか持つことができなかった。メーカーが直接チームを編成したのであり、ちょうど日本のブリヂストンやシマノが国内でチームを持っているのと同じだ(シマノは部品メーカーであって、自転車メーカーではないが)。

 ジロを例にとろう。最初の大会は1909年だったが、そのときから1950年代まで実に40年以上に渡って自転車メーカーがプロチームを持っていた。規則があって、自転車メーカーにしか許されていなかったのだ。

 これを変えたのは当時のスター選手、フィオレンツォ・マーニである。ファウスト・コッピ、ジーノ・バルタリに次ぐ選手だったために「第3の男」と言われたが、ツール・デ・フランドル3連勝、ジロ優勝3回という大選手だ。

自ら館長を務めたギザッロ博物館に立つフィオレンツォ・マーニ。自転車以外の企業をスポンサーにつけた最初の人としても知られている=2006年5月 Photo: Yuzuru SUNADA自ら館長を務めたギザッロ博物館に立つフィオレンツォ・マーニ。自転車以外の企業をスポンサーにつけた最初の人としても知られている=2006年5月 Photo: Yuzuru SUNADA

 1953年、当時所属していたのはガンナ(ジロの第1回大会優勝者ルイージ・ガンナが手がける自転車メーカー)だったが、チーム側から経済状態が思わしくないことを告げられた。

 このとき、マーニはチームメートを失業させてはならないという思いから、自転車メーカー以外の企業にスポンサーを募ることを考えた。コッピが駆るビアンキ、バルタリが乗るレニャーノはイタリアの2大ブランドで名門チームを保有していたが、それぞれの社長は業界保護の観点からマーニの発案に冷たい態度をとった。

 しかし、イタリア車連の会長がマーニのアイデアに同意した。この結果、ハンドクリームのニベアをメインスポンサーとし、マーニをエースとする新しいチームが誕生した。それは自転車界の長い慣習を変える画期的なことだった。イタリアと肩を並べる自転車大国フランスにもまだ存在していなかった。

スポンサーは時代の鏡

 1960年代に入ると、チームスポンサーは自転車メーカーよりも一般企業の方が多くなった。家電のイニス(冷蔵庫、洗濯機)、ファエーマ(コーヒー機械)、フィルコ(テレビ、ラジオ)。食品ではカルパノ(酒)、ギージ(パスタ)、モルテーニ(サラミ)、サンペッレグリーノ(水)、チナール(酒)、サンソン(アイスクリーム)。住宅のサルヴァラーニ(システムキッチン)、繊維のフィロテックス(絨毯)など、生活に密着したものが多かった。

 70年代に入ると、人々の生活が豊かになり出したことを反映してか、マーニフレックス(マットレス)、ゾンカ(照明)、ブルックリン(チューインガム)などが参入している。

 80年代は従来のサンソンに加え、ジスとサモンターナというアイスクリームメーカーが加わった。フランスのミコも入れると世界で少なくとも4つのアイスクリーム会社がスポンサーだったことになる。日本でもおなじみのセブンイレブンもアメリカで強力なチームのスポンサーとなった。深夜営業の店はヨーロッパにほとんどない時代で、驚きの業種だった。金属製食器のイノクスプラン、システムキッチンのデルトンゴや家具のシャトーダックス、タイルのアリオステーアやジョッリ、化粧品のマルヴォル、衣類ではカレーラ、MG、ナヴィガーレ。百花繚乱の時代だった。

 90年代になると、チームの規模が大きくなり、それまでの予算では結成できなくなってきた。そこに登場するのはロットやオンセ、FDJ(エフデジ)などの宝くじである。またバネストやラボバンク、ガン、アマヤ、ビタリシオなどといった金融関係も進出してきた。

 このように、チームのスポンサーは歴史的に見ると傾向があり、それは世の中の鏡になっているのだ。

情熱だけでチームを作れた時代

 昔は極端な話、情熱さえあればプロチームを作ることができた。1993年にイタリアでナショナル・チャンピオンのマルコ・ジョヴァネッティをエースとするエルドールというチームが結成された。僕の同業者が写真を撮りに会社に行ったら、従業員が数十人しかおらず、これは絶対に無理だと思ったという。案の定、金が続かずに半年も経たずに空中分解。ここに限らず、シーズン半ばで金がなくなってチームが崩壊した例は枚挙にいとまがない。

 エルドールに所属していた選手を救うために立ち上がったのは現イタリア経団連会長のジョルジョ・スクインツィで、自ら社長を務めるマペイの豊富な資金を用いてスーパーチームが結成された。当時、スクインツィといっしょにクルマに乗ってレースを回った人から聞いたのだが、このリッチマンは「あの選手は誰だ? 気に入った。買え。それからあいつも」などと監督に指示したという。

マペイで走った阿部良之。マペイは90年代に大資本が投入されて結成されたイタリアのチームで、それまでの自転車界の常識を破った =1997年10月 Photo: Yuzuru SUNADAマペイで走った阿部良之。マペイは90年代に大資本が投入されて結成されたイタリアのチームで、それまでの自転車界の常識を破った =1997年10月 Photo: Yuzuru SUNADA

 今はどうかというと、より大きな資本がチーム運営で必要とされている。八百屋がなくなってスーパーマーケットに変わっていったように、近年はチームも巨大化している。今の一流チームの多くは年間10億円から20億円という経費で運営されている。今から20年前のチーム予算の5~10倍だ。

 大きな転換期となったのは2005年、プロツールをはじめとするチームカテゴリーがUCI(国際自転車競技連合)によって導入されたことである。チームの資本、そして銀行への預託金もUCI側で精査されるので、金を持っていないとそもそも結成が認められなくなった。

 そうなると、小さなスポンサーが出資しあってでは無理であり、大手企業がドーンと金を出す必要がある。

スポンサー企業の条件

 億万長者が大金を投じる例もある。スイスの大富豪アンディ・リースはフォナック、そしてBMCという一流チームを保持してきたが、立ち上げ当初は会社の金ではなく、すべて個人資産を投じたと言われている。

 またロシアのオレグ・ティンコフも同じようなものだ。これまでティンコフという金融機関の名前をジャージに入れてきたが、そもそも会社になんのメリットもないのだという。にもかかわらず、コンタドールやサガンの走るレースを見るために、プライベートジェットで会場に駆け付ける。結局は自転車が好きだからスポンサーをやっているのであり、仕事にメリットがあるからというのではなさそうだ。

 自転車チームのスポンサーになる会社の必要条件はなにか? 各プロチームのマネージャーは口を揃えてこう言う。

 「ワンマン経営の会社」である。

 これは自転車界で昔から言われていることだ。大きな会社が対費用効果を見ながらチームをサポートするようなところはまず無理。自転車に愛情を持つ社長が「好きだから」という一個人の一存で決めなくてはダメなのだ。

 それは、かかる費用を上回るだけの効果が期待できないというところにある。

 サッカーのように、スタジアムの入場料が取れるとか、放映権料が分配されるとか、そうしたことが自転車界にはまったくないのだ。

 僕の知り合いで、イタリア人の弁護士がいる。これまで事件や契約に数多く関わってきており、自転車界では有名だ。僕がレースで交通事故にあったときも弁護士として動いてくれた。

 彼はもともとサッカーの世界から入ってきたのだが、プロチームが収入を確保するシステムを持たないという構造的な欠陥に驚き、嘆いていた。自ら1日100km、200kmと自転車に乗るサイクリストでもあるが、前出のティンコフに「これじゃ、あんたはやっていけない。早いところ、チームを売る方がいい」と言っていたら、ティンコフは本当に今シーズンいっぱいでプロレースの世界から手を引くことになってしまった。

見返りのない世界

 僕のイタリアのうちの近くにも、かつてプロチームを持っていた人がいた。もともとは強豪アマチームを持っていて、そこでジュゼッペ・サロンニ、クラウディオ・コルティ、シルヴァーノ・コンティーニといったスター選手を走らせていた。本業は家具関係だ。

 サロンニやコルティはプロを辞めた後にやはりチームマネージャーとなったが、毎日のようにスポンサーになってくれと電話をかけてきたという。

 彼は残念ながらこの春に死去したが、僕にポツリとこう言ったのが忘れられない。

 「プロチームのスポンサーになっても、売上げが伸びることはないんだ。それだったら、業界誌に数千円の広告を出した方が、まだ仕事の話が来るんだ。そんなもんだよ」

 興ざめな話だが、これがプロレースの実態である。

 だけど逆に言えば、こんな状況を覚悟でスポンサーになる会社や人も多数存在しているわけで、それは自転車の世界がとても魅力的だからとも言える。

 結局、金で夢を買っているのだろう。

砂田弓弦
砂田弓弦(すなだ・ゆづる)

1961年9月7日、富山市生まれ。大学卒業後にイタリアに渡り、1989年から自転車競技の取材・撮影に携わる。世界のメジャーレースで、オートバイに乗っての撮影を許されている数少ないフォトグラファーの一人。多くの国のメディアに写真を提供しており、ヨーロッパの2大スポーツ新聞であるフランスのレキップ紙やイタリアのガゼッタ・デッロ・スポルト紙にも写真が掲載されている。

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