「“勝ち”は金メダル以外にない」リオパラリンピック日本代表・藤田征樹選手 義足で再び漕ぎ出した不屈のパラサイクリスト

by 後藤恭子 / Kyoko GOTO
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 「プレッシャーのないレースはないし、それがなければ良い走りはできない」─リオパラリンピック日本代表の会見で、こう語った藤田征樹(日立建機)。金メダル獲得への期待を前に、逆境をも力にしようとする強さが印象的だった。事故で両脚を失う悲劇から這い上がり、義足で再び立ち上がったパラサイクリスト。メダリストにはなったが“勝つ”ことはできなかった北京、ロンドンを経て、リオで狙うのは、ただ「金メダル」のみだ。本番を3カ月後に控え、高まる士気。「障害の有無は自分には関係ない。観ている人に気迫が伝わる走りをしたい」と藤田は語る。

リオパラリンピック日本代表の藤田征樹。伊豆ベロドロームにて Photo: Ikki YONEYAMAリオパラリンピック日本代表の藤田征樹。伊豆ベロドロームにて Photo: Ikki YONEYAMA

「また走れるようになる」光となった義足の存在

 藤田が両脚を失ったのは2004年、当時19歳。北海道の実家に帰省中、交通事故にあい、両脚のひざ下に大けがを負った。

 再起不能だった。脚の形は残せても、運動機能を取り戻すことはできない状態となり、両脚の切断を迫られた。そのとき医師から「義足を装着して、訓練がうまくいけばもう一度歩けるようになる可能性は高い」といわれ、藤田は切断することを選択した。

「義足があればまた走れると思っていたから、両脚を失っても上向きな気持ちを維持できた」と語る藤田征樹 Photo: Kyoko GOTO「義足があればまた走れると思っていたから、両脚を失っても上向きな気持ちを維持できた」と語る藤田征樹 Photo: Kyoko GOTO

 「切断しても比較的上向きな気持ちを維持できた」と当時を振り返る。事故に遭う少し前、たまたまテレビのドキュメンタリー番組で見た義足のトライアスリートの姿を思い出していた。

 中高時代は陸上に打ち込み、大学ではトライアスロンを始めたばかりだった藤田は、「医師から義足の話を聞いたとき、あの義足のトライアスリートのようにまた走ったりできるなら」と思いを強くした。同じ病院に義足の患者がいたことも、義足を装着した自分の姿を思い描くことにつながった。

 「真っ暗なところにいるのではなく、光があった。根拠のない自信だったのかもしれないけれど、きっとまた歩けるという希望を持っていたから、あまり後ろ向きにならずにすんだ」と振り返る。

 術後3カ月後に装着した訓練用の義足で、自分の自転車に乗った。自転車にまたがり、地面を蹴ってペダルに足を乗せた瞬間、「やはり間違ってなかった」と確信を得た。足首やふくらはぎの筋肉こそないが、乗るという行為に対してはさほど大きな違和感は感じなかった。

 そこからトライアスロンや自転車を再開するまでに時間はかからなかった。

ケガから2年で競技再開 そして北京へ

 ケガから2年後、藤田さんは義足をつけ、健常者に交じってトライアスロンへ出場。以降、藤田の存在は各方面から注目されるようになる。2007年に「力試し」と思って出場した日本障害者自転車競技大会で声をかけられたことがきっかけで、パラサイクルの道、すなわち北京パラリンピックへの道が開かれることとなった。

 そのわずか1年後に迎えた北京パラリンピックでは、初出場ながらトラック競技で銀と銅、合計3つのメダルを獲得するという快挙を成し遂げた。しかし、本人はこの結果について「“勝てなくて”悔しかった」と当時を振り返る。

 「結果はついてきたが、勝つことはできなかった。選手・人としての未熟さをすごく感じた。自分がもっと自転車選手として一人前になって、もっと突き詰めていきたいという気持ちが北京の後に自分の中で芽生えました。このままじゃ終われないと」

 この瞬間から、藤田にとって金メダル以外は「勝ち」ではなくなった。

 そして臨んだ2012年のロンドン大会ではロード個人タイムトライアルで銅メダルを獲得。北京大会の結果から金メダル獲得の期待も寄せられていたが、ロンドン大会からそれまでのクラス分けが変更され、競い合う選手たちのレベルが上がっていた中で、やっとの思いで手にした銅メダルだった。戦績としては振るわなかったが、北京大会とは違う手応えを確実に感じていた。

原動力は「自分への挑戦」

「2015 UCIパラサイクリングロード世界選手権」で優勝し、アルカンシェルのジャージをまとった藤田征樹 提供: 日本パラサイクリング連盟「2015 UCIパラサイクリングロード世界選手権」で優勝し、アルカンシェルのジャージをまとった藤田征樹 提供: 日本パラサイクリング連盟

 以来、2015年にはトラック世界選手権で3km個人追い抜きで2位を獲得、ロードワールドカップではロード個人TTで2位、そしてスイスで開催されたロード世界選手権ではロードレースで初めての優勝を獲得。リオパラリンピックに向け、階段を上るように、金メダルに手が届くところまで自分を高めてきた。

 突き動かす原動力について「自分への挑戦」と話す藤田。「自分で考えてやらなきゃいけない、という環境がそうさせるのかもしれません。子どもの頃からというよりは、競技を始めてから。自分を支えてくれている人の存在を含めて挑戦しなければならないと思っている」と胸の内を明かす。

5作目となる競技用の義足。試行錯誤を重ねて現在はカーボンモノコックで作られた義足を使用 Photo: Ikki YONEYAMA5作目となる競技用の義足。試行錯誤を重ねて現在はカーボンモノコックで作られた義足を使用 Photo: Ikki YONEYAMA

 自身のトレーニングだけではない。身体の一部であり、マシンの一部でもある義足においても努力を重ねてきた。

 前例のない両足義足の開発は容易ではなかった。理想とする義足の形を紙に描き、形にするところから始まった。開発を進めるうえで数少ない海外の事例も研究した。競技を始めた当初から藤田の義足を作り続けている義肢装具士と試行錯誤を重ね、ペダルに効率よく力を伝えるための形状や素材を追求した。

取材当日。義足とはわからないほど自然な動き(撮影場所:日立建機) Photo:Kyoko GOTO取材当日。義足とはわからないほど自然な動き(撮影場所:日立建機) Photo:Kyoko GOTO
競技用の義足は自転車に乗るためだけの設計で、「歩くことは難しい」という(撮影場所:伊豆ベロドローム) Photo: Ikki YONEYAMA競技用の義足は自転車に乗るためだけの設計で、「歩くことは難しい」という(撮影場所:伊豆ベロドローム) Photo: Ikki YONEYAMA

 費やしたおよそ10年間でたどり着いたのが、現在使用している5世代目の義足。パイプがむき出しだった当初の形状から、現在はカーボンモノコック製となり、シェル(外側の殻)でペダルの力を伝える形状へと進化を遂げた。リオにはこの義足で挑む。

「健常者のレースで存在感を示したい」

 「障害の有無は関係なく、さらにいえば選手である前に、見ている人に何かを伝えられる人間でありたい」という藤田。「ラグビーに詳しくはない自分が、日本代表のワールドカップの試合を見て感動した。それは選手の気迫や想いが見ていて伝わったからだと思う」と続けた。

練習中の藤田征樹。走る姿はまさに自転車と一体化している Photo: Ikki YONEYAMA練習中の藤田征樹。走る姿はまさに自転車と一体化している Photo: Ikki YONEYAMA

 最近は健常者の一般レースにも出場する。自分の能力の幅を広げるために、健常者とも勝負できる力をつけていく必要があるとの考えからだ。取材の前日に出場した全日本学生選手権チーム・ロード・タイムトライアル大会の普及大会でも、2位以下に差をつけて優勝した。

「健常者のレースで存在感を示したい」と話す藤田征樹 Photo:Kyoko GOTO「健常者のレースで存在感を示したい」と話す藤田征樹 Photo:Kyoko GOTO

 最近では一般のレースに参加すると、周囲から声をかけられるようになってきた。「健常者のレースでも存在感を示せるくらいの実力をつけたい」という藤田。「一般のレースで僕がそういう存在になることでパラサイクリングが特別なものでなくなる。そんな形で、パラサイクリングをもっと多くのサイクリストに知ってもらえたら嬉しい」と語った。

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