ラストレース目前のミスターブリッツェンに訊く「自転車が好き、宇都宮が好き。情熱だけで動いていた」 廣瀬佳正選手インタビュー(前編)

  • 一覧

 宇都宮市出身。ブリヂストン、シマノと国内トッププロで活躍した廣瀬佳正選手が、地元にプロ自転車チーム「宇都宮ブリッツェン」を立ち上げたのは、2008年のことだ。それから4年間、チームの顔として奮闘してきた廣瀬選手が、今季限りでの引退を表明した。地元でのビッグレース「ジャパンカップ」を目前に控えた廣瀬選手に話を聞いた。(聞き手 米山一輝)

 ――国内トップチームで活躍していた廣瀬さんが、地元にプロチームを作ったきっかけを教えてください

 プロ入りしたのは2001年ですが、その前から漠然と「何でロードレースって、国内でメジャーじゃないんだろう?」という思いがありました。
 2006年ごろに選手としてのピークを迎えていたのですが、実は2007年くらいから、もう引退を意識していたんです。30歳になって、子供もいましたし、自分は子育ては地元でやりたいと思っていたので、地元へ帰ろうと思っていました。
 しかし、ただ就職するのではなく、自転車で色々な経験をしてきたので、何か最後に地元に残せたらなと。それで、ずっと心の中にあった地域密着のチーム、Jリーグみたいに地域のみんなに支えられたチームというのを企画してみようと思い、最初の企画書を作りました。

「一緒にプロチームを」オランダに届いたメール

最初の企画書。ここから全てが始まった最初の企画書。ここから全てが始まった

 ――企画書を作ったのは2007年ですか?

 2007年の夏頃です。僕はイラストレーターとかのソフトは使えなかったので、まずブラッキーさん(*)にお願いして、自分の思いを企画書の形にまとめてもらったんです。それを秋ごろにはメーカーさんとか、自転車関係の仲の良い人たちに見せていました。「どう思いますか? できると思いますか?」という感じで。

(*)ブラッキーさん:子ども向け自転車教室「ウィーラースクール」を主催する団体「ウィーラースクールジャパン」代表のブラッキー中島(中島隆章)さん。本職はデザイナーで、ブリッツェンの初代チームウェアなども手掛けている。

 ――2008年もシマノで走りました

 本当は2007年で引退しようと思ったんですけど、チームからヨーロッパに行ってくれと要請があったので、2008年もシマノで走りました。ヨーロッパで走ることは高校時代からの自分の夢でもありましたから。
 その年の3月くらいですかね、オランダにいた時に「企画書を見ました。ぜひ一緒にプロチームを作りませんか?」というメールが来て、それが今の社長(ブリッツェンの運営会社社長の砂川氏)でした。元々社長は宇都宮市の職員で、サイクリングなどを通じて自転車の街づくりをやろうとしていた方です。企画書を見て「宇都宮市の自転車の大きなシンボルになる」ということで声をかけてくれたのです。企業にも独自に声を掛けてくれていて、もう数社スポンサーになってくれる会社がいるんだよ、というメールを貰ったので、「ああじゃあもう、これは動こう」と。

反発を受けながら進めた「改革」

 ――結果的に2008年は、いい切り替え期間になった

 オリンピックの年だったので、オリンピックだけはどうしてもシマノから(代表を)出さないといけないから、前半戦は頑張りました。フミ(別府史之)がオリンピックに行ってくれて、野寺さんが全日本で優勝してからは、自分のシマノでの役割は終わったかなと、そういう気持ちでしたね。
 その後は準備のために、夏前くらいから(シマノの本拠地の大阪と宇都宮を)行ったり来たりしていました。全く経験の無いことで大変でしたが、情熱で動いていましたね。自転車が好きだということと、宇都宮が好きだという、そういう情熱だけでした。でも実は自転車好きって栃木にも宇都宮にも沢山いて、「面白いね」って言ってくれて、どんどん仲間が増えていったんですよ。
 地域を盛り上げようというみんなの気持ちが、このチームを作り上げたと思います。

 ――2008年にいよいよ宇都宮ブリッツェンがスタートしましたが、最初から順風満帆という訳ではありませんでした

 1年目は周囲の風当たりもきつかったです。腫れ物を見る目とまではいかないけど、やはり出る杭だし、新しいものを見る冷たい目というか、冷たい空気を出すんですよ。「どんなもんだよ」みたいな。
 でもそれは、何か新しいことを始めたりする上で必要なことなんですよね。既存の常連の皆さんがアレルギーを示すくらいでないと、「改革」とは言えないんです。反発を受けながらも新しいことをやって、それが最終的には何も感じないようなスタンダードなことになっていく。それを繰り返すことできっと業界は発展していくと思うんです。

地域貢献をしながら出した“結果”

 ――選手はレースを走る以外のことも色々とやっていました

 1年目の選手は大変だったと思います。ラジオに出たり、デパートとかで土日にすごく集客のあるイベントの舞台に出たりしていたので。
 選手ってとてもナイーブなんですよ。特に自転車ロードレースの選手は、食事とかスケジュールの自己管理能力が高いので、そこから外れるとストレスを受けやすいんです。
 でもそれも、選手たちにとっての改革なんですよね。他のサッカーとかバスケットとかのプロスポーツチームでは、やはりファンサービスというのは命なんです。企業チームならそんなことしなくても年間予算が下りるけど、自分たちはいかにファンを増やすか、知名度を上げるか、人気が出るかでスポンサーが付くので、そういう活動をしないとダメだったんです。

ジャパンカップを目前に繁華街中心部に期間限定でオープンしている「ブリッツェンミュージアム」。これもファンサービスのための新たな試みだジャパンカップを目前に繁華街中心部に期間限定でオープンしている「ブリッツェンミュージアム」。これもファンサービスのための新たな試みだ

 選手は大変だったと思いますが、それがブリッツェンなんだということを、ぐっと押し通して2年3年とやってきました。そうすると、選手の方もだんだん受け入れられるようになってくるんです。ラジオに出ることも、イベントに出ることも当たり前。練習もやって、イベントや地域貢献、メディア活動もやりながら、今年の結果を出したんです。

 ――選手と地元との関係性が築けてきた?

 選手もフロントも我慢したと思います。フロントはフロントで押し通さなければならないし、選手は選手で自問自答しながら続ける中で、キャパシティが付いてきた。自分の中で気持ちの棲み分けができて、しっかりとレースで成績を出してきている。壁を乗り越えたからこそ、応援してくれる人も実際増えてきて、それがパワーになって、モチベーションが高く維持できている。
 4年目を迎えた今年、そうしたバランスが一番取れたのではないかと思います。

「(後編)世界のトップスプリンターを相手に、覚悟を持って挑みたい」に続く

廣瀬佳正廣瀬 佳正(ひろせ よしまさ)
1977年生まれ。作新学院を卒業後、地元栃木のクラブチームYCSTを経て、2001年ブリヂストンでプロ入り。ブリヂストンに2年、シマノに6年間在籍し、入賞多数。2008年、宇都宮ブリッツェンを設立。2012年6月「東日本ロードクラシック」で国内ツアー初優勝。2012年9月、同年限りでの現役引退を発表。
http://www.blitzen.co.jp

  • 一覧

新着ニュース

もっと見る

ピックアップ

ショップナビ

スペシャル

自転車協会バナー

ソーシャルランキング

インプレッション

インプレッション一覧へ

連載